札幌青春を返せ訴訟・最終準備書面
 弁護士 郷路征記

一九 思想の定着
 以上、取り入れた思想を信念として定着させなければならない。そのための操作が必要である。過酷な活動をさせるなかで、その変化がおこるので、統一協会は過酷な活動をさせるのである。

1 神の・お父様の悲しみとの一体化

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 七二頁〜七三頁
学校のクラスのみんなに相手にされてないなというふうにしみじみ思い知らされたという出来事がありますか。
はい、あります。
どんなことでしたか。
大体五時間日ぐらいまで授業があるんですけれども、またいつものように眠ってしまって、目が覚めたときに教室にだれもいなかったんです。もう授業が終わっていて、みんな帰ってしまったあとだったんです。
だれ一人あなたに声もかけてくれない。
はい。
そのようなことを知るというのは、自分の心の中に悲しみをもたらすでしょう。
そうですね。それも、文鮮明が孤独な道を歩んだという教えがあるので、これがお父様がたどられた道なんだというふうに、気持ちをダプらせて考えた、そういうふうにして自分自身を慰めてました。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 七七頁
学校を卒業してからは献身になりますよね。専門学校を卒業する前、献身前の時点でのあなたの気持ちについて聞くんですが、神についてはどのように思うようになってますか。
今まではずっと講義の中とかで、悲しみの神の心情だとか、親なる神というふうに観念的には分かっていたんですけれども、統一協会で教える悲しみの神というのが、実際いろいろなことを経験して、自分自身が悲しい思いやつらい思いをして初めて実感したというふうになるんですけれども、これが神様の悲しい心情なんだと。私はこれを慰めていかなければいけないんだというふうになってました。
神の存在をどうこう考える前に、もう神の悲しみを実感してしまったと。
はい。
文鮮明についてはどんなふうに考えるんですか。
人類の救いのために苦労して歩まれたと。今度は私たちがお父様の苦労を背負って頑張りますと。もう休んでいてもいいですから、私たちに任せてくださいというふうに思ってました。

2 人を誘うことが思想を強化する

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 五七頁〜五九頁
後出の甲第一五五号証を示す
七ページを見てください。ここに「伝道勝利の為の生活」と書いてまして、伝道がうまくいくためにはどういった生活をしなければいけないと書いてあるんでしょうか。
自分が救われたという確信、あと神様が私を通して導くんだという確信を持てというふうに教えられます。
そういった確信を持って、あなたの日常生活はどうでなければいけないというんでしょうか。
自分自身が正しい信仰姿勢をしなければいけないと思います。
正しい信仰生活を送っていることが、伝道がうまくいくことの条件だというふうに言われませんか。
はい、言われます。
伝道がうまくいかないと、どういうふうに考えるようになるんでしょうか。
自分自身の条件が足りないと。あと信仰が足りないから導くことができないというふうに反省をします。
自分を責めるんですか。
はい。
伝道がうまくいくと喜んでいいんですか。
これも喜んではいけません。
やはり栄光在天なわけですね。
はい。
しかし、伝道がうまくいった場合には、誘った人の側に何か変化が生まれるでしょう。
伝道すると、今度は自分自身が霊の親という立場になるので、そのゲストに対して、子供を育てるように、大事にアフターケアするようになります。
後出の甲第一五七号証を示す
一一月二八日のところを見てください「なんか信じられません。自分がコース決定してS一したなんて・・・」と書いてます。これはどんなことを指しているんでしょうか。
彼女が伝道でコース決定、ビデオセンターの受講を決めて、そのゲストが一回、ビデオセンターに来たということですね。
下から三行目に「すっごくこんな年下の子供をたよって・・・すごく自分自身ふらふらしていられない!って思ったんですよね」と彼女は書いてますね。
はい。
こういうふうな自覚を持つようになるわけですか。
はい、そうです。

3 マイクロ・困難が思想を定着させる

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 八七頁〜八八頁
甲第一八六号証の一に車が写っていますけれども、この車に乗って歩くんですか。
はい、この車の中に寝泊まりしています。
甲第一八六号証の三及び四を見てください。このごちゃごちゃとしたところがその車の内部ですか。
はい、改造した中です。
違法な改造だというふうに聞いてますけれども。
はい、そのように聞いてます。
ここに寝るんですか。
はい。
布団敷けないでしょう。
寝袋を使います。
寝袋を使っても、どんな感じになりますか。
頭、足というふうに互い違いに寝るんですけれども。
あおむけに寝れるんですか。
もうほとんどぎゅうぎゅう状態なので、一度寝ると身動きが取れないような状態になります。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 八八頁〜九〇頁
甲第一八六号証の一を見てください。手前に置いてあるかごの中には何が入っているんですか。
珍味が入っています。
これは重さ何キロくらいあるんですか。
大体一〇キロか、多いときは二〇キロくらいの重さがあります。
甲第一八六号証の二を見てください。右端の人のような形で背負うんですか。
はい。
一日どのくらい売り歩くんですか。時間。
朝七時くらいだと思います。それから夜の八時とか九時。
真っ暗じゃないですか。
はい。
どこで顔を洗うんですか。
駅ですとか、あと公園の水道で。
ふろは入らないんですか。
ふろは一週間に一回くらい、銭湯で。
朝御飯はどんなものを食べますか。
簡単なパンだとか。
昼御飯は。
昼も同じような感じで。
晩御飯は。
夜だけはドライバー、キャプテンを兼ねているんですけれども、手作りの料理を用意して待っててくれます。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 九〇頁
それで一人平均、一日幾ら売るんですか。
ばらつきはあるんですけれども、大体四、五万くらいが目標で、三万以上は最低でも売りなさいというふうに言われています。
一人一人が個で、その日の目標を何万円というのを立てるんですね。
はい。
そしてその目標を持って売り歩いていく。
はい。
あなたはどのくらい売りましたか。
二か月やってたんですけれども、一か月目で約一二〇万、二か月目で一五〇万くらいの実績がありました。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 七三頁〜七六頁
卒業間近に二一日間修練会、二一修と言いますが、それに参加しましたか。
はい、参加しました。
場所はどこでやるんでしょうか。
千葉県の統一協会の研修センターなんですけれども。
二一日間も修練会が続くわけですね。
はい、そうです。
ここであなたが一番苦しかった活動は何でしたか。
実践神学と称して、お茶売りという物売りの行動があったんですけれども、そこでお茶が売れなくて、ましてや知らない土地で、実績が出ないという状況に置かれたときに、北海道に帰りたい、もうやめてしまいたいというところまで追い詰められたことがあります。
何時から何時まで売り歩くんですか。
朝六時とか七時の早朝から、夜遅くまで、八時、九時、もっと遅い場合もありました。
二月か三月だから、四時か五時ぐらいで真っ暗になるでしょう。
そうですね。
暗い中を歩くんですか。
はい、そういうこともありました。
あなたは全然知らない場所でしょう。
はい。
歩いていて、怖いという感じのした場所なんかはありませんでしたか。
周りに電灯も何もついていない、すごい田舎の道で、一応女性には何か危険な目に遭ったときはこのひもを引きなさいということで痴漢防止ブザーを持たされていたんですけれども、何かの拍子にそれが抜けてしまって音が鳴ったんですけれども、どこにも聞こえそうもないような田舎の中にいたんですよね。たとえ自分がここで危険な目に遭っても、だれも助けに来てくれるようなところではないなと思ったときに、すごく恐怖を感じました。
どうしてお茶が全然売れなかったんでしょうね。
その辺では、ほとんど農協などで取りまとめて買うというのがあって、もうその申込みの手続が終わったあとなので、あえて高いお茶、統一協会で売るお茶は高いんですけれども、それを買うということはしてくれなかったです。
そのような厳しい状況だとすると、それこそ前線逃亡する人が出ませんか。
私たちのトレーニング中にも、ほかの班からなんですけれども、前線中に逃亡した人かいるという話を聞きました。
あなたも逃亡したくなりましたか。
逃亡したいという気持ちもあったんですけれども、お金も持ってないし、稼げてないので、逃げる手段がありませんので、もう統一協会側に帰るしかないという状況にありました。
そんな状況では、もしかしたらここで逃げてしまったらということを考えますよね。逃げてしまったらと考えると、どんな思いがわいてくるんですか。
私が今ここであきらめるわけにはいかないと。私には救いの使命があるし、選ばれた人間だと。私はこの道を行くと決意した以上、何としてもやり遂げなければならなしという思いになります。
そのような困難を乗り越えたあと、二一修が終わったあとの気持ちというのは、どんなふうになるんでしょうか。
落ち込んだあとに、気持ちが舞い上がるような講義、本当に私たちが希望の実体になって頑張らなくちゃいけないんだと思うような講義があって、たとえつらくても頑張っていこうと決意したんですね。あれだけの苦しみを耐えられたんだから、これからは何でもやろう、どんなことでも耐えていこうというふうに思いました。
その苦しみの道というのは、だれが先に歩んでいる道というふうに考えたんですか。
メシアである文鮮明が歩まれた道なんだというふうに思って。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 六五頁
最も極端な活動としては、どんな伝道をするんでしょうか。
例えば、統一協会ではその部署ごとに何名ビデオセンターのコース決定をするとか目標があるんですけれども、月末になると、その目標に達していない場合、何としてもその目標を達成するししいうことで上から指令が来まして、朝まで伝道することもありました。
徹夜で。
はい。
対象者はいるんですか。
もうほとんど人けのないというか、すすきのの街角とか、そういうところに行くんですけれども、それでも信じてやるのが統一協会の信仰なんです。
そんな活動をしていると睡眠不足になりますよね。
はい。
どんな異常な事態が起きますか。
例えば、立ったまま寝てしまうとか、歩きながら意識が途絶えているとか、そういうことがありました。

4 神体験
 生理的剥奪状態の継続で心身の状態が悪化したとき、単に偶然に起きた事について願いが叶えられたと誤解する心理が働く。体感する神体験もある。その体験は極めてリアルである。それらのことが確信へと導く。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 七八頁〜七九頁
あなた自身の体験で、神様が成した業だというふうに痛感若しくは実感したことは、このほかにありましたか。
ありました。
どんなことでしょう。
学生部のときに、勝共カンパという募金活動があったんですけれども、それで家と家の間を走るようにと言われて、走って回っていたんですけれども、途中でどうしてもひざが痛くて走れない状況になって、歩けない状態になってきたんですけれども、それでは自分の与えられた任地に対して責任を持てないということで祈ったんですね。ここで自転車があればもっといろんなほかのところも回れるのに、どうか自転車を私に与えてくださいという祈りをしたんですけれども、そうすると、歩いていくと道端に捨ててあった自転車があって、その辺で作業をしていたおじさんに聞いたら、それを持っていっていいというふうに言われて、これは私の願いを聞き入れてくださって、与えてくださったんだなというふうに思って、その自転車に乗って勝共カンパを続けたと。それが本当に、ああ、神様が私を見ていてくださったんだというふうに感じてしまったんですね。偶然とは考えられなかったんです。
そういう心理状態になっているんですね。
はい。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 九一頁〜九二頁
そのような活動の中で、あなたはどのような神体験をしましたか。
真っ暗になってからなんですけれど、一応自分の与えられた任地に対して回る順番があるんですが、それを回ってるときに、ちょっと離れた家の明かりを見て、ああ、あそこの家で何か自分を呼んでるような気がするというんでしょうか、それでそちらのほうに行ってトークをするとそこで珍味が売れたりだとか、あと、道を歩いてる中で、外の明かりを見ただけでここの家では珍味が売れるというふうに確信するものがあって、そこに行くと続けざまに四軒五軒と売れたりとか、そうしたときに、何か神様に導かれているんだという実感を覚えたことがあります。

平成一一年二月一二日 被告証人F 証人調書 四六頁
 販売をすれば、イエス様が叫べど、叫べど民衆が理解してくれなかったという心情に触れる。そういう神体験、いわゆるイエス様との体験こういうものを実践を通じて肌身をもって学ぶ。

乙ハ第一四九号証 被告証人K 陳述書 七頁
(仙台の活動を通じて)
 努力しても努力しても努力の報われないその様な時期に断食をしたり、祈祷条件を行いながらも責任者から結果が出ないのは、あなたの心情が足りないからだ、もっと、今よりもっと救いの心情に満たされるようにならないとなんの結果も出ないなどと否定され、それでもなんとか精誠をつくして頑張っても結果は得られず、いつの間にか自分が訪問しようとする気も、結果を出したいという声も無くなってしまった時に路傍で人を救う中で六〇〇〇年間我が子を探し求めてきた神様も、実は愛する子供を今まで救えなかったという事が強烈に感じられ涙がとまらなくなり、ああ、これが神の心情なのかと本当に心が打ち震える思いになりました。これが始めての私の神体験なのかも知れません。

乙ハ第一四四号証 被告証人J 陳述書 九頁
 六月から一ヶ月間、教育隊でお茶売りをしました。このお茶売りは単にお金を稼ぐためにおこなうのではなく、神やイエス様や文先生が堕落した人間を一人一人訪ねながら救われようとした心情を自分自身が一軒一軒訪ねる中で実感し救いの心情を育てるためのもので私も訪問する中でいろんな人と出会い神様を実感するようになりました。

二〇 その他の問題点
 その他の問題点として指摘すべき事は、統一協会の教育過程が極めて組織的であり、その維持、成功のために組織を挙げて取り組んでいることである。また、教育過程は一定のスケジュールにあわせて、受講生の意識変革を進めていくものであって、宗教が通常すすめる伝道の過程とは全く様相が違うのである。

二一 結果

1 信じられない高率
 商売の世界でも、ダイレクトメールを千通出して三通反応があればよいとされているのに、統一協会では一〇〇名コース決定をさせて教育すると最終的には五名もの、統一協会の商品を救いのためと信じて売り歩くために、会社を辞め、仕事に付かず、対価を貰わないで、二四時間専従するという人間が作られるのである。それは驚異的高率である。その外に統一協会員になる人が五%はいて合計一割に達するという。この人たちも二四時間ではないが、統一協会員として物売りをするのである。統一協会の教育過程は異常に効率的なのである。その秘密はいつまで説明したことから納得されるであろう。

2 二つのアイデンティティ
 以上の教育の結果、統一協会員は二つのアイデンティティを持つことになる。自分がそれまでの人生をかけて形成してきた自分の人格と、急速に人為的に形成された統一協会の人格である。自分の人格を排除して統一協会員の人格が機能している状態が形成されるのである。

 二重人格 カルトのメンバーを理解する鍵
 カルトのメンバーは、もはや自分自身として機能していない。彼は新しい信念と新しい言語を持った新しい人工的なカルト的人格構造を持ってしまっている。カルトの指導者たちの教義が、カルトの新メンバーの現実に対する「マスター地図」となる〔「マスターキー」(親鍵)のように〕。
 ・・・だから、カルトのメンバーと接するときには、彼がふたつの人格を持っているのだということをいつも心にとめておくことが、とても大切である。

被告証人S 証人調書 八八頁
この増田先生の陳述書ですけれども、洗脳しても、物理的支配下に置いても、永続的に捕縛者の世界観に転換したものは、ごくわずかであるというようなのが出て来ているんですけれども、今回原告となっている人たちは、すっかり元に戻ってしまっているというんですけれども、これは、どういうふうにいうことになるんでしょうか。
ロバート・リフトンのやった研究というのは、アメリカ人、要するに、西洋的な価値観を持ったアメリカ人を、つまり生まれたときからアメリカ人で成人した人を、中国共産党の価値観に変えるという作業なわけですよ。ということは、そのアイデンティティーは、生まれてから成人するまでの間に形成されたアイデンティティーなわけですね。それを強制的に変えようとしても、一時期的には変わっても元に戻ってしまうということであるわけです。じゃ、統一協会の信者のアイデンティティーというのは、どうかというと、生まれたときから統一協会の信者のアイデンティティーを持っているというわけでございませんで、大体一〇代の後半とか、二〇代の前半とか、そのぐらいの時期に、それまでは、いわゆる世間一般の考え方をしていたかもしれません.、それが、統一協会のアイデンティティーを形成するようになって、例えば二年であるとか、三年であるとか、それぐらいの期間で構築されたアイデンティティーであると。これは、どちらを破壊するのが容易かという問題でございますね。ですから、生まれたときから米国人であるというアイデンティティーを破壊するのと、統一協会の信者という、それこそアイデンティティーとしては二、三年のものを破壊するのとでは、それは容易さは異なるであろうというふうに、私は考えております。

3 統一協会員の人格ではどうなるのか

被告証人G 証人調書 一〇五頁
統一協会で出している、「統一原理レベル四」というのを読んだら、そこにこう書いてましたよ、善悪の判断の基準、善というのは神様にとってはいいかどうか、悪というのは神様にとって悪いかどうかと、それが判断の基準だということですね。
はい、そうです。

平成八年一〇月一一日 原告A本人調書 八四頁
善と悪の判断基準というのが普通と違うんですね。
統一協会的な考え方になっています。
統一協会的な考え方でいえば、善というのは何ですか。
神のためというんですけれども、統一協会側の利益になるようなことが善です。
統一協会にとってマイナスになることは悪なんですか。
はい。
逆にいえば、統一協会のためということであれば、どんなことでも善になっちゃうんですか。
はい。
例えば、統一協会のためにはあの人を殺さなければならないということになった場合、その殺すということが善なんですか。
善です。

平成九年七月二五日付 原告証人b証人調書 二六頁〜二七頁
何ていう本ですか。「統一協会の素顔」ですか。
はい、それです。
読んだらどうだったんですか。
読んで、脱会した元信者の証言が出てくるんですけれども、その人が、げっけの人で女性なんですけれども、母親が引き止めに来るんですけれども、兄弟と一緒に乗った車でその母親をはねて逃げようとする場面が出てきて、それを読んだときに、自分も母親が止めに来たら車でひいてでも逃げるかもしれないなと思った瞬間に、ここまでして信仰を貫くことが果たしていいことなんだろうかということで疑問が思い浮かびました。

 公式七年路程や万物復帰の意義と価値を真理と信じていることも、統一協会的人格の一部である。
 従って統一協会員は統一協会の指揮命令の下で、救いのためと信じつつ国民の財産権を不断に侵害し続けるのである。

(一) やめることができた後で

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 一〇六頁〜一一〇頁
あなたの中に一番深く残った問題というのは、自分に対するどんな思いなんでしょうか。
統一原理の間違いが分かったときに、どうしてこんなでたらめなものを信じるようになってしまったんだろうかと。周りを見渡せば、自分だけではなく、ほかのたくさんの人たちが同じように信じているわけですよね。どうしてそういうふうになるのだろうかと。
まず自分をばかだというふうに責める気持ちはありませんでしたか。
ありました。
だまされた自分がばかだというその思いは、どんな形で解消されていったんでしょうか。
マインドコントロールということが世間で言われていますけれども、そういう心理操作によって自分自身の思考が変えられていった結果、自分がそこまで命懸けで統一協会のために働く人間になってしまったと。そういう要所要所で自分自身をうまく操作されたというそのへんのカリキュラムが分かって、ただ単に信じてしまったのではなくて、操作されたんだということが分かりました。
そうすると、自分を責めなくてもよくなってくるということですね。
そうですね。単に自分の不注意だけではなく、いろんな面から変えられたというか、操作されたというふうに。
統一原理が誤りですというふうに分かったとき、あなたの中にあった統一原理の原告A、統一原理が真理だと信じてそのことに献身することに喜びを見いだしてるようなそういった原告A、これはどうなりましたか。
もう全部足元から打ち砕かれたような。
打ち砕かれてどうなるんですか。
何もなくなってしまったような。
何年間もこうやって構築してきた一定の思想体系が瓦解するわけですね。
そうですね。
瓦解したら何が残ってるんですか。
残るものなど何もないというか、ただ本当に・・・。
空白みたいな感じ。
そうですね。
空白だけじゃどうにもならないでしょうから、何か寄せ集まってくるような感じになりませんか。それで自分を作り上げていくような。
普通の生活をすることによって、今まで考えることをやめていたわけですね、統一協会にいる間は。いろいろなことを考えて、自分自身で行動することを、社会に出て働くなどして、自分自身を少しずつ取り戻していったんです。
自分自身を取り戻していくベースになるものってあるでしょう。統一協会の自己がある意味で瓦解していった後、そこに昔のあなたがよみがえってくるんですか。
統一協会と接触する前の自分、一八歳のときだった自分、いろいろ将来何をしようかと思っていたころに戻って。
そこを出発点にして、自分をもう一回作り上げていくという作業になるわけですね。
そうですね。
社会にそんなに問題なく適応できているなというふうに思うようになるまで、何年くらいかかりましたか。
大体二年から三年くらいの間はいろいろと悩み苦しみました。
人間関係で悩むことが多いでしょうね。
そうですね。
その中でも、あなたはどんな問題に悩みましたか。例えば職場なんかでは。
統一協会でカイン・アベルと称して、上の者には絶対服従という、命令には背いてはいけないということがあったんですけれども、本当にそれから解放されて自由になってから、上司から命令されるとか組織に押さえつけられるということに耐えられなくて、うまく順応できなかったんですね。それで仕事を辞めてしまったりだとかいうこともありました。

平成九年九月二六日付 原告証人b証人調書 三四頁〜三六頁
脱会したあと、あなたを襲った気持ちというのはどんな気持ちですか。
信じるものがなくなった脱力感というか、本当に自分が何をしていいのか、目標も、結婚とかも考えられなくなって、本当にぽっかり穴が開いた状態というか、統一協会の信仰がなくなったんで、ああもう自殺もできるんだなって考えてました。
自分で自分のやった行為についてはどんなふうに考えてますか。
物を売ったこともものすごく罪責感というか、本当にこんなに多くの人に迷惑掛けたなという気持ちもありましたし、霊の子もまだ協会に残ってるので、それを考えると本当にどうしたらいいんだろうというふうに悩みました。
その思いというのは、どんな形で、どのくらいの時間がかかって消えていったのかしら。まだ消えてないですか。
まだ消えてません。
脱会したあと、社会に復帰していくために、最初は自分で自分の物を買うというところから始めるんでしょう。そんなことぐらいからでも。
そうですね。買物に行くのも自分で物を選べないし、外に出るのも、自分が何か協会に報告したくなるんじゃないかとか、逃げて帰りたくなるんじゃないかっていう思いで怖かったです。
仕事を始めて、職場の中ではどんなことが困りましたか。
一般的な仕事を全くしたことがないので、仕事の手順すら分からないということもあったんですけれども、それ以上に、精神的に依存できるアベルになれるような人を捜してしまうというか、自分でどうしたらいいか判断ができないという状態が続きました。

 人を救いのためと信じて統一協会に入れてしまい、自分は救出された人の苦悩は深く重い。原告以外には、祝福によって結婚し、子供ができ、その後統一原理が誤りだとわかって、離婚に至るケースもある。そのようなことすべて、統一協会が違法に人の判断基準=人格までも入れ替えてしまったからおきることなのである。

二二 個別責任論
 原告らは全員が、被告の勧誘にあい、被告の設置した教育過程に取り込まれ、公式七年路程を信じ実践する人間を作り上げるという一貫した目的にしたがって用意された教育過程を歩まさせられ、ついにそれを信じ、対象者の救いのためという意識で被告の商品を販売するようにまでなったものである。
 被告の教育過程はシステムとして完成度が高く、確立していて、そこを全原告が歩むようにさせられたのである。
 被告がその教育過程のなかで行使している諸手段のなかには社会心理学的な手法が多く、それは、それが自分に対して行使されているという記憶を残しにくいところに特徴がある。したがって、原告各自の陳述にはその手段の内容がすべて記述されていると限らない。
 しかし、原告らの印象に残った働きかけの内容は記憶されており、それらは証言されている。そして、それらの証言は前述した被告の教育過程全体の流れや内容に矛盾するものは全くなく、すべてその内容を裏付けるものばかりである。
 教育過程の内容が完成度が高く、確立していて、システム化していること、原告らが全員全く同じく統一原理を真理であると信じさせられ、公式七年路程を歩むために商品の販売や献金をさせられていた事実、すなわち被告の目的が達成されている事実や、他の手段方法では公式七年路程等現代の通常人の常識に反する価値観を普通の人たちに信じさせることは不可能であると言えるから、すべての原告に対してこの準備書面で詳述した教化手段が行使されたと推認することができる。
 よって、原告ら全員について、被告はその責任を負わなければならない。

二三 責任原因
1 統一協会が行為者であると認定された場合の責任
 「民法七一五条一項、四四条一項、商法二六一条三項などによらず、直接法人に七〇九条による責任を負わせることにつき、判例は当然視していると言われ(前田・法人の不法行為責任・民法講座A二三〇)、その例は枚挙に暇がないとされる(神田・法人の責任・続判例展望一二八)。」(判例時報一二四三号四〇頁)。右は被告が指摘した判例(最終準備書面一〇頁末尾)について判例時報の評釈部分の記載である。
 前述した被告の教育過程を構成する一連の行為によって、原告らは、自分を含めてすべての人たちの救いのためには、被告の提供する商品を購入しなければならないこと、全身全霊をこめて、尽くしきれるだけの献金をしなければならないこと、そのことを行う人を組織に勧誘しなければならないという公式七年路程を真理として信じさせられるに至り、被告の全面的管理・指揮命令の下に、自らは勿論、親族や一般市民に献金をさせたり、商品を買わせたりする活動を行うようになった。
 原告らがそのような行動をするようになったのは、被告によってその判断基準が入れ替えられたためであり、統一協会的人格を作り上げられたからである。
 原告らに右のような状態をもたらした被告の各行為は、すでに詳述したとおり、その目的、方法、結果が社会的に相当な範囲をはるかに逸脱しているから、到底正当な行為とは言えず、民法が規定する不法行為との関連において違法の評価を受けるものである。
 したがって、被告は原告らに対して、民法七〇九条により、原告らに発生した後記損害を賠償する責任がある。

2 連絡協議会が行為者である場合の責任
(一) 民法七〇九条の責任

 もし仮に連絡協議会が、原告らの指摘した各行為を行っていると仮定した場合にも、右連絡協議会は、宗教法人としての被告が公然と宗教法人法違反の商行為を行うことができないし、かといって、統一原理の実践として万物復帰は必至であり、したがって、その解決のために連絡協議会なる信者組織を発足、存続させ、被告の隠れ蓑として活動させていたものと推認できる。収益と信者獲得の成果を被告が取得していたのはその証左である。
 右のような場合、被告と信者組織は法的には一体の人格として評価すべきであり、被告は信者組織の活動について直接民法七〇九条による責任を負う。
 したがって、この場合も被告は原告らに対して、民法七〇九条により、原告らに発生した後記損害を賠償する責任がある。

(二) 民法七一五条の使用者責任
 「信者組織の活動が、被告の宗教活動ないしはそれと密接に関連する布教活動の一環として行われ、かつ、被告の教義、信仰の実践活動と認められる場合、被告の信者らが被告法人と別に組織・団体を構成し、その信者組織の意思決定に従って布教活動あるいは経済活動を行う場合であっても、被告とその信者組織とは同じ目的のために存立し、信者組織は、宗教法人たる被告を母体とし、その存立基盤としているのであって、被告の存立目的を達成するのに必要な限度と方法において、被告が信者組織ないしはその構成員である信者らを規律・監督することが本来予定されていると見るべく、被告において、信者組織に対する実質的な指揮監督関係があるものというべきである。」(広島高裁岡山支部判決・甲第四四六号証一四頁)
 したがって、被告は民法七一五条により、原告らに対して後記損害を賠償する責任がある。


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