2 教育過程の次の段階を明らかにしない

平成九年一一月二八日付 原告証人a証人調書 七一頁〜
それから。
最終的な目的を言わずに、例えばビデオセンターが終わるとき、あるいはツーデイズのときになって初めて、その次がライフトレーニング、フォーデイズセミナーがあると、ライフトレーニングの最後になって新生トレーニングがあるんだと、献身という道があるんだと、そういうふうに少しずつ次のすべきことを言っていくというの。
それも判断を誤らせる大変に大きな原因だと思いますか。
はい。
ライフトレーニングに進むという決断はどこでさせてましたか。
ツーデイズセミナーです。
献身の決意をすると新生トレーニングに行くことになりますよね。
はい。
献身の決意はどこでさせますか。
フォーデイズセミナーです。
ツーデイズセミナー、あるいはフォーデイズセミナーでは、その決定をするときに、受講生をどんな状態にするんですか。
外部と一切の連絡などはとれませんし、講義などでも講師が非常に熱烈に語って、受講生の気持ちを高揚させますし。
感情を刺激するんですね。
そうですね。またそのときにいるスタッフなども、自分の証しなども踏まえて、何というんでしょうか、受講生が一番知的にも感情的にも高まったときに、じゃあ次、ライフトレーニングがあるんだけど、あるいは献身というのがあるんだけどというふうに問題を提示するわけです。

3 勧誘の真の目的を隠すこと
 統一協会が受講生を最終的に導こうとしているのは、実践トレーニング冒頭で講義する公式七年路程を真理として信じ、そのとおりに実践する人になることである。物売りと組織の拡大が、愛の人格者として復帰していくために必要な過程であり、その課題の達成後無原罪の文鮮明による合同結婚式で原罪を脱ぎ、さらに物売りと組織の拡大をしていくことが真理だと信じ、実践する人たちである。
 その目的は実践トレーニングに入るまで隠されている。新生トレーニングで罪の清算を終わらせ、献金もさせ、恋人と別れさせ、親との連絡を断って、一生をかけてこの道を行くと決意して統一協会に入った後でなければ、明らかにしないのである。そして、その講義がされる時期は睡眠時間が極めて少ない新生トレが一ヶ月程度継続した後で、生理的剥奪がひどく、頭が正常に働かない状態になってからである。

平成八年一〇月一一日付 原告A証人調書 三三頁〜三八頁
講義の最初に、公式七年路程についての講義がありませんでしたか。
ありました。
どんな内容の講義だったでしょうか。
簡単に説明するのは難しいんですけれども、統一協会で目標とされる合同結婚式、祝福を受けるまでの間に、三年半の伝道活動と三年半の経済活動をしなければならないと。それで三人の霊の子を立てた土台に、祝福を受ける基準が与えられるというように。そんな内容の講義だったと思います。
祝福、合同結婚式というのは、統一協会員にとってはどんなものなんでしょうか。
人間は堕落しているので原罪があるんですけれども、それを清算するために受けなければならないものなんです。

・・・・・・・・

そうすると合同結婚式、祝福というのは、統一協会員にとってみれば信仰の目標になるわけですね。
はい、そうですね。唯一罪を清算できるものですから。
この講義でいうのは、その罪の清算をする祝福までに、しなきゃいけないことがあるというわけですか。
はい。
それが三年半の物売り、経済活動と、三年半の伝道活動だと。合計七年間ですか。
はい。

・・・・・・・・
(甲第一五五号証 「公式七年路程」)
この講義を聞いたときのあなたの率直な感想を聞かせてください。
初めて聞いた内容で、新生トレーニングで統一協会員になってこの道に行くことを決意したあとで、実際にやることが三年半の物売りと三年半の伝道ということを聞いて、けっこうショックを受けました。
どんなショックを。
祝福を受けるまで、そこまで期間が決められて苦労しなけれならないのかということを知ってショックを受けたんです。
ビデオセンターに誘われたときにこのことを教えられていたら、あなたはビデオセンターに通うことにしましたか。
いえ、しないです。
ライフトレーニングで文鮮明がメシアであるというふうに明かされましたよね。そのときに原罪を脱ぐためにはこういうことをしなければいけないんだと説明を受けたら、そのあとに進んだでしょうか。
迷ったと思います。
聞いたときは「えっ」とは思ったけれども、やめることにしたんですか、それともやろうと、やらなきゃいけないと思ったんですか。
実際もう統一原理というものを真理と信じてしまったあとだし、自分自身はこの世の救いのためにこの道を行くということを決意したあとなので、どんな苦労があっても耐えていくという決意をしたあとなので、今更内容を聞いたからといって引き下がることはできなかったです。
それを聞かせられる前に、どんなことがあろうと命懸けでやっていくんだという決意をさせられているわけですね。
はい。

4 情緒高揚により操作された決定
 ライフトレーニングの受講決定や献身するという、その人の人生を変えることになった最も重要な決定は二デイズ修練会と四デイズ修練会という閉ざされた空間の中で後述するとおりの社会心理学的技術を用い、催眠の技術を利用して人に統一原理を注入し、感情を揺さぶって、その先どうなって行くのかということについての情報を何も知らせないまま決断させる。
 受講生は二デイズ修練会に参加したときにはライフトレーニングや四デイズ修練会に参加することになるなどとは思ってもいなかった。
 四デイズ修練会に参加する時にはほとんどの人は、献身の決意をするなどと思ってもいないのである。統一協会は決定というものが人の行動、感情、思想を変化させる特殊な力を持っていることを知っていて、それを利用している。人を操作しているのである。

(一) 情緒が高揚させられると?

乙ハ第一号証 西田論文 一三八頁
 またセミナーでは情緒高揚性の因子が得られ、感動した人や興奮した人のいたことが明らかになっている。これは現実性の操作をさらに高める効果を持つと思われる。集団雰囲気の特異性の因子項目を見ると、睡魔や疲労に抵抗しながら、周囲の人々の熱狂に煽られている様子が伺えよう。こうしたストレス状況下では、被暗示性が高まり、現実性のチェックといった判断機能が低下するのかもしれない。この状態は、Petty&CacioppoのELモデルでも同様の説明が可能といえよう。つまり、身体的ストレスで生理的に剥奪され、情緒的に高揚することで刺激の過負荷状態になり、思考の動機づけが低下し、熟慮しようとする傾向が低くなる。そして、信憑性の高い講師という周辺的手がかりによって価値が高まるのである。

(二) ライフトレへの参加決定

(1) それまでの教育
 ライフトレーニングの受講決定まで受講生はビデオセンターでのビデオ受講と二ディズの講義で、概ね二回統一原理の講義を受けている。
 それまでに理想社会としての地上天国と人間のためにそのような天国を作ろうとした親としての神の素晴らしい愛が存在し、にもかかわらず子供である人間はその自己中心的行いから堕落してしまい、私もその結果として罪人であり、神はそれにもかかわらず、人間を救うための、各時代に一人の中心人物を準備して摂理をされたが、いずれの機会も人間がその責任分担を果たさなかったために失敗しており、特に二〇〇〇年前、神はひとり子であるイエスを摂理のために地上に遣わしたのに、人間はイエスを不信することによって、その摂理も失敗しているのである。
 人は肉身と霊人体とでできている。肉身生活の意義は為に生きることによって霊人体を成長させ、光り輝く霊人体が天国で永生することである。自己中心的に生きた人の霊人体は黒く傷ついており、そのような霊人体は地獄へ行く。
 そして、今は終末と思われる。終末とはメシアが現れるときなのである。肉身を持ったメシアが地上に現れるこの時でなければどんなに個人として努力して霊人体を成長させたとしても天国へはいけない。地上天国は建設できない。
 したがって、先祖の霊はみんな天国にはいけないでいる。その霊達が私の成長と一緒になって成長し、よりよい霊界に行こうとしている。真理を知った私は氏族のメシアであり、この道を行く責任があるのである。
 そして、今回が最後の機会なのである。
 そこまでの教育をしておいて、二ディズの最後の講義、歴史の同時性の講義で、過去の歴史が同じように繰り返されていると説明して、今この時期メシアが地上に存在していると説明する。
 その上で、メシアが誰であるかは、ライフトレーニングで・・・と言うのである。このような教育がそれなりに浸透していれば、当然、ライフトレーニングへの参加を選択するはずである。その後になにが待ち受けているのか、知らされていないのであるから。

(2) 原理教育による価値観の変化の例

平成七年五月一九日付 原告A証人調書 六九頁
(甲第八三号証)
「創造原理(1)」と「OH!GOT」を見せられて、それから主任さんと話をすることになって、あなたの神に対する考えというのは変化しましたか。
変化しました。
どんなものだったのが、どんなふうに変化しましたか。
自分が思っていたおすがり的な神様、そういうイメージではなくて、創造主として、この地上のものすべてを作り、人間を作ったという親なる神とか、そういうふうな考え方を初めて知って、自分が今まで考えていた神様に対するイメージと全然違うものですと。そして、その学んでいる内容を割りと受け入れ始めていたと思うんですけれども。

平成七年五月一九日付 原告A証人調書 七〇頁
(甲第八三号証)
K三を見てください。「創造原理(2)霊界」とあります。しかも「ここまでで価値転換されていなければならない」と書いてあります。このビデオとその後の和動の内容で、あなたの霊界に対する認識というのは変わりましたか。新しくなりましたか。
やっぱり変わったというか・・・。
まだ変わってはいないけれども、新しい認識を手に入れた。
そうですね。変わってはいないんですけれども。
それまでの認識はどんな認識で、新しい認識はどんな認識か、それを述べてください。
霊界というのは死んでから行く世界ですということぐらいしか考えてなかったと思うんですけれども、統一協会で教える内容は、肉体を持っている期間というのは、霊界に行くための準備期間ですというような説明になるんですけれども、それを聞いて、新しい考え方として教えられたと。

平成七年五月一九日付 原告A証人調書 九八頁〜一〇〇頁
(甲第一〇四号証)
その講義の中で、個性完成というのは、人間がどんなものになることが目標だとされるんですか。
要するに神様と一体となる、罪のないというか、本然の姿というか。
神様と一体になる。そうすると、神様のようになる、神性を帯びるというふうに言ってもいいですね。
そうですね。
そういうふうになったら、悪をするんでしょうか。
いいえ、しません。
善しかしない人になるわけですか。
そうです。
それが個性完成だと。
はい。
子女繁殖というのは。
完成した人格、個性でもって、その者同士が結婚し、子供を増やしていくと。要は、罪のない子孫を増やして、罪のない世界を築いていくということだと。
罪のない者同士が結婚することによって、罪のない子供が生まれてくると。それが繁殖することによって、世界が良くなると。
はい。
万物主管ですが、万物というのは何のことですか。
人間以外のすべてのもの。
万物主管というのはどういうことなんですか。
簡単にいえば、正しく収めるというふうに。
だれが収めるんですか。
人間が。
人間が、自分以外のすべての自然物、すべてのものを正しく収めると。
(うなずく)
そのような形が地上で実現されたときには、何というんですか。
地上天国というふうにいいます。
この講義を聞くと、どんな思いを持つんでしょうか。
これが本当の創造目的とするならば、自分を見ても、今の世の中を見ても、本来神が願っていた方向ではないというふうに思います。

(3) 班長面接
 班長面接では権威に仮装している講師の言葉として賛美が伝えられ、その権威がライフトレーニングに参加することを願っていると伝えられる。しかし、この段階では、詰めることはしない。翌日の講義によって価値観の変化が起き、それによってライフトレーニングに参加を決意する受講生がいることを考えているのである。統一協会は受講生がそのように決断しなければならない状況を作り上げた上で自分で決断したのだと思わせたいのである。コミットメントの利用である。

甲第二四〇号証 原告証人a陳述書 一五頁
 第一日目の班長面接の時、班長は感想を聞いた上で「講師は○○さんのことをすごく真面目に聞いていたねとほめていたよ。」などと伝える。やってみると、少なくとも半分くらいの人たちはとても喜びました。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 二七頁〜二八頁
第一日目の夜に班長面接が行われますね。
はい。
そのときに、○○講師は○○さんのことをすごく真面目に聞いていたねと褒めていたよと、班長が講師の言葉を伝えるということをやりますよね。
はい。
これは、講師からそんな話が伝えられてやるんでしょうか、それとも伝えられてもいないのに、うそをついてやるんでしょうか。
ほとんどの場合はうそをついてという形になります。
やってみると、どんな効果がありますか。
大体半分ぐらいの人は、講師が自分を意識してそういう評価をしてくれたということに対して、とても喜びます。
態度に表れるんでしょうか。
そうですね。
半分ぐらいというふうに区分けするわけでしょう。ということは、あなたのほうで、喜んだか喜ばないか判別できるわけでしょう。
やっぱり表情がとても軟らかくなって、笑顔になりますし、ああ、そういうふうに言ってたんですかと、本当に喜んでいるというのが目に見えて分かりますので。

平成八年七月五日付 原告A証人調書 一二頁〜一三頁
あなたはどう答えましたか。
その時点では私はツーデイズでやめようと思っていたので、次に進む気はありませんというふうに答えました。
でも、あなた自身は霊界を信じて、自分には霊人体があるということも信じているわけでしょう。
はい。
それがそんなにきれいではないんだと。例えばねたみや人をうらやましがる気持ちもあって、霊人体が傷ついているんだと。そんなにきれいではないんだと思ってるわけでしょう。
はい。
そのことについてはどうしていこうと思ったんですか。
ここの講義を聞いたことによって、自分自身でこれから努力していけばよくできるというふうに思っていたので、特にこの先に進む必要件までは、感じてなかったんです。

(4) メシア論と歴史の同時性
 二日目の講義は暗い重い話である。神がせっかく準備した摂理を人間が責任分担を果たさないで失敗させていくと言う歴史の連続である。特にメシア論では強い絶望感が与えられる。過剰刺激による心理操作も行われる。その直後にメシアがいまこの世に存在するという希望に充ち満ちた話をするのである。その落差が受講生の心をつかむ。そしてメシアが今地上にいることは、信じられないような幸運なのである。ここでは、希少性のルールが用いられている。そのような心理操作が行われているため、ライフトレーニングへの参加を決断する人が多いのである。

平成一〇年一二月一八日 被告証人E 証人調書 八八頁以降
ところがそのイエスさえ、人間が不信をしたために十字架ではりつけにされてしまうのですね。
はい。
イエスが命を奪われたのは、人間の責任なのですね。
そうです。
独り子を人間の救いのために遣わしながら、その人間の不信のために独り子を失ってしまう神の悲しみの心情を、講義の中では強調して伝えますね。
強調するかどうかは個人差でしょうけれども、伝えます。
イエスがゴルゴダの丘で処刑されるところなどは、その無残さを強調するためにリアルに講義をするのではありませんか。
その人の表現力の違いですね。
表現力があるかないか分かりませんが、例えば、イエスの手の平に五寸釘が突き刺される場だと。あるいは、その場所がイエスの肉体の重みによって裂けていく様子だとか、そういったことも話されますね。
強調するときには、話したい気分のときには話します。
二〇〇〇年前のイエスの摂理も失敗をしてしまったわけですね。
はい。
講義室は、悲しみと絶望で重い雰囲気になりますよね。
まあ、そうですね。
次の歴史の同時性では、メシアが今地上に存在しているという講義をなさるわけですね。
はい。
受講生は、絶望から希望へと導かれませんか。
そうですね。
メシアが誰であるかは、その場で明らかにはしないんですね。
はい。
いつ明らかにするというのですか。
ライフトレーニングの中で明かしていきます。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 一九頁〜二一頁
(二デイズで)
統一協会の側で一番大事な講義というふうに考えているのは何という講義でしょうか。
第二日目の午後に行われるメシア論という講義です。
具体的にはどんな内容の講義ですか。
人類始祖が堕落して以来、罪の歴史になったんだけれども、その罪を清算し、地上天国を建設するために、イエス様、イエス・キリストというメシアがこの地上に遣わされたと。そして本来はイエス様がメシアの使命を果たすはずだったんだけれども、一二弟子をはじめ、多くの人々に不信されることによって、十字架につけられねばならなかったと。
簡単にいえばイエス路程ということですか。
そうですね。
その講義の中で、最もつかんでもらいたいポイント、つかませたいポイントはどこなんでしょうか。
イエス様を殺したのは私自身の罪なんだというところを、聞いている側が理解できれば最高だと聞きました。
どうして自分自身の罪ということになるんですか。
もし自分自身が二〇〇〇年前、イエス様が生きている当時にそこにいたとしたら、どのような行動をとっていたかと。一二弟子ですら、あれだけ命懸けでイエスに従っていくと言っていたにもかかわらず、不信してしまった、だから、何の信仰もないような私たちが、そのような場に行って、果たしてイエス様を信じきることができただろうかと。ですから、その不信してしまう材料というか、そのようなものがたくさんあるので、結局私自身の罪、不信がイエス様を十字架にかけてしまったんだということになる。
そうすると、聞いている受講生の心理状態はどうなるんでしょうか。
イエス様はかわいそうだと思います。私自身のせいでイエス様が十字架につけられてしまったのではないかという、そういう感情を持つようになります。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 二二頁〜二三頁
歴史の同時性の講義ではどこまで言うんでしょうか。
今メシアが来ているというところまでです。
メシアがだれですということは、どうすると言うんですか。
ライフトレーニングでと。
そのような講義の流れを聞いていて、じゃ、ライフトレーニングにという受講生は多いと思いますか。
はい、多いと思います。
何か根拠はありますか。
メシア論の講義を通して、二〇〇〇年前、せっかく神様が遣わしてくれたイエス様を十字架につけてしまったと。だから、聞いている側、受講生としてはとても絶望的な感情になるわけです。ところが、同時性の講義を通して、イエス様の再臨、再臨主が今来ているんだという、暗闇の中で一筋の光明がさすような感じで、とても希望的になってきます。

平成八年七月五日付 原告A証人調書 三〇頁
後出の甲第一一六号証を示す
○○○○○○○の講義ノートですが、一二ページを見てください。下から五行目ぐらいに「1517 ルター(宗教改革、文芸復興)」と。「メシア再降臨準備時代」と書いてありますね。これはどんな講義がされたんですか。
このあたりから、再臨のメシアが降臨するにあたっての摂理が説明されるところです。
・・・・・・
今言ったところの右下のほうに「1917≦時≦1930」と書いてありますが、これはどんな講義をされたんですか。
一九一七年から一九三〇年の間にメシアは生まれているというふうに説明します。
あなたがこの講義を受けたのは、一九八○年代ですか。
八八年です。
そうすると、その時期というのは。
メシアが存在する時代にあるというふうに。
今ここにメシアがいると。この地球上に。そういった講義をするわけですか。
はい、そうです。
・・・・・
今後二〇〇〇年たったら、またメシアは来てくれるんですか。
これが最後の摂理だというふうに言われたと思います。
そうすると、これを逃したら救われないんだ。
はい。三段階、三人目のアダムとエバというふうに言われているので、もうあとがないような意識を持ってます。
講義の中で、メシアが地上に降臨しているときにあなた方がこの会場で真理に導かれている、こういった偶然の珍しさについて、例え話を使って説明を受けましたか。
受けてます。
どんな例え話が使われましたか。
太平洋からすっぽんが顔を出して、そのすっぽんに流れ星が当たる確率だというふうに、それだけ希少性があることだというふうに。
そのような話を聞いて、あなたの心の中にはどんな感情が生まれましたか。
すごい時代にこの話を聞いてしまったなと。
・・・・・
あなたはそのときまでに、自分の使命についてはどのように思うようになっていましたか。あなたには使命があるというふうに思うようになっていましたか。
自分自身がこの内容を、真理を勉強してきたことは、先祖も願っていることだし、すごく重要なことであると。そしてメシアがいるこの時代に自分が聞いてるということは、私にも何か大きな使命があるように感じました。
次に、「同時性を聞き今の時の重要性が分かるでしょう。」と。これは講義を聞いて分かっちゃったわけですね。先ほどの証言では。
はい。
更に4Daysに出たくなったでしょう。」と。これはどうですか。
そういう言われ方をしたかどうかちょっと覚えてないんですけど、その面接の前に、私は次に出たいというふうに思うようになってしまったので、この言葉は言われてません。

乙ハ第一四五号証 原告M ツーデイズ新生日記 五月八日
 イエス様のお話で最後にクギを打たれ死んで行かれるお話と、その後すぐにみんなで唄った聖歌は感動的でした。
 摂理的同時性のお話の後今度の勉強の予告をちらりっとお話されたので続きは苫小牧に帰って早く勉強したいです。

(5) 閉講式
 受講生を感激させるため、純粋にそれだけの目的の「演出」である。真理へ紹介して、親身になって尽くしてくれた霊の親がわざわざ来てくれるのである。感激しないわけがない。その霊の親が望んでいることが、ライフトレーニングへの参加なのである。それに応えないのは困難である。閉校式でもライフトレーニングへの参加を決断しなかった受講生には、ウエルカムパーティーで「説得」が続く。ここでは、後がないからうんと言うまで「説得」し続けるのである。

甲第二四〇号証 原告証人a陳述書 一四頁
五 二デイズでの操作
 閉講式で霊の親と受講生を対面させることは、受講生をすごく感動させることでした。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 二五頁〜二七頁
ツーデイズの閉講式がありますね。
はい。
そこで霊の親と受講生が対面をするという場面がありますね。
はい。
自然にあるわけではなくて、これは統一協会の側が意図的にそういった場を設定するわけですね。
はい。
霊の親を呼び寄せるわけですね。
はい。
あなたは進行として、その対面をする場の状況全体を司会していたことがあるわけですね。
はい。
どんな状況になるんでしょうか。
閉講式の一番最後に、進行から受講生に対して、実は霊の親が来ているんですというふうに言います。そうすると、受講生としては、えっ、本当に来ているのというような感情になるんですけれども、でも、来ているわけはないですよねというふうに進行が一度はぐらかすわけですね。そしてそのあとに、でも、実は皆さんのことを思って忙しい中を霊の親の皆さんが駆けつけてくれましたということで、札幌ハイツで行われていたときは、後ろにカーテンがあるんですが、そのカーテンが開かれて、そこから霊の親が自分の霊の子の名前を呼びながら駆け寄ってくるわけです。ですから、涙ながらの感動の場というんでしょうか、そのような雰囲気になります。

平成一〇年一二月一八日 被告証人E 証人調書 九一頁
受講生感動しませんか?
すごい演出じゃないでしょうか。
すごい演出ですよね。だから感動しますよね。
ええ。
女同士なら抱き合って涙涙という事になりませんか?
そういう人もいるんじゃないでしょうか。

(三) 献身の「内的」決定

(1) それまでの教育
 ライフトレーニングでは、愛の神や人生の目的である三大祝福、すなわち理想社会についての講義が行われた後、罪の確認がさせられる。過去を振り返らせることによって自犯罪を自覚させる。理想社会を構成するはずの人間の講義が前段にあるので、どんな小さな事でも罪に思える。連帯罪を自覚させるため、日本の朝鮮侵略に関する強烈な映像を見せる。
 その罪人が神のところに帰っていくのが、復帰の過程である。その過程は善なる条件を積み、自分の中に巣くっているサタンを分立し、アダムとエバが堕落した地点まで成長し、その場でメシアを迎えて新生し、その位置からさらにメシアと共に成長し、三大祝福を完成するのである。
 今は第三次世界大戦が思想戦として闘われている。思想戦に神の側が敗北すれば、現実の戦争としての第三次世界大戦が勃発する。
 前記のとおり日本は韓国にひどい仕打ちをしたのに韓国人である文鮮明は日本人を、日本を恩讐を越えて許してくれている愛の人である。奇跡的な活動をした人である。
 以上のとおりの講義を前提として、新生の手順の講義が行われる。この講義の特徴は受講生の生き方の転換を問うていることである。メシアが現存する今という時代に、罪人であり、真理を聞いてしまったあなたはいかに生きるのか?と問いかけるのである。文鮮明は無原罪なのにもかかわらず、たった一人で私達のために戦い続けてきてくれた。罪人であるあなたはどうするのか、今まで通り自己中心で生きるのか(そうすると地獄行き)という問いかけである。そうでない道は、二四時間神のために生きること、すなわち統一協会に献身することであると示される。
 四ディズでは今までの講義が繰り返された上でメシア論が語られる。人類の不信の故にひとり子をサタンに奪われた神の悲しみ、人間の罪が強調され、神のためにたった一人で戦い抜いてきた文鮮明の人生が語られた上で、文鮮明から受講生へのメッセージ、お父さまの詩が朗読される。
 その内容は、罪の深いお前が救われることの方が私はうれしいのだよというもので、文鮮明は神の愛の体現者として現れる。
 その後、身近でかつ希望の実体としての班長が献身の証をして、大丈夫だよ、私でもやれるだし、素晴らしい人生だよと伝える。
 その後、献身の決意をすることが求められるのである。

(2) 新生の手順
 この講義を聞いてすぐ献身の決意ができる人は少ない。それでも、四ディズでは参加者の半分位が献身の決意をするのだという。求められているは、当面「決意」だけであるからと言う面はあるが、それにしても高率だと思う。それまでの教育と四ディズにおける操作の力なのだと思う。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 三八頁〜四一頁
ライフトレーニングのもう一つの中心的な目的は何ですか。主があかされることと、もう一つは。
ライフトレーニングの一番最後に行う新生の手順という講義を通して、二四時間神様のために働く、献身ということを提起します。
献身の提起というのは、受講生にとっては何を迫ることになるんでしょうか。
学生であれば大学あるいは専門学校などをやめる、働いている人であれば職場を辞め、あるいは家族を捨ててということを迫ることになります。
そういった道を歩むことが新生の手順なんだということになるわけですか。
そうですね。
その講義の内容というのは、受講生にとってみれば何を迫られるんでしょうか。今までの生き方を変えることを迫られるんじゃないでしょうか。
そういうことになります。
そうすると、すごく厳しい要求がされるということになりますね。
はい、そうです。
それを受け止めることのできる人もいますよね。やっぱり頑張ってやりますと。
はい。
やれないという人もいるんじゃないですか。
はい、います。
どれぐらいの割合になりますか。
この講義を聞いた時点で、本当に私は献身しますという人は、ごくわずかですね。でも、多くの人の場合、今はちょっと難しいけれどもよくよくはしたい、やっぱり献身できたらいいなという反応があります。
とても献身なんかできないというふうに思う人も中にはいると。
はい。
とても献身はできないという人や、すぐ決意のできない人というのは、スタッフの側から見れば、どうしなければならない対象になるんでしょうか。
献身ということを考えられないということは、み言葉との接点も薄い、余り深くはなっていない、自分のものとして考えられないわけですから、もう一度そういうことを勉強するためにフォーデイズに行ったらいいという話し方になります。

(3) メシア論
 メシア論は二ディズでも聞いているが、四ディズのメシア論の方がはるかに感銘力が強いという。ライフトレーニングの教育で罪意識が強められていることや実際に活動に参加していて、神の悲しみなどを実感しているリフレッシュのメンバーなどがいて、その影響力が及ぶためであろうか?

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 四四頁〜四五頁
フォーデイズのメシア論のときには、進行は最初にどんなことをするんでしょうか。
いつもよりもたくさん何回も何回も聖歌を賛美して、その受講生の心情を整えるということをするのが一つですね。あとはイエス様の話を交えながら、本当に真剣に聞かなければいけないんだという話をします。
締めるというふうにいっていいですか。
そうですね、かなり厳しい口調で。ですから、そのときもまじめに聞けないのであれば帰ってもらっても結構ですということを話します。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 四六頁
メシア論の講義を聞いて泣いているような人というのはいるんでしょうか。
はい、います。
相当感情が高ぶっている状態ですね。
はい。
講師はどんな様相のお祈りをするんでしょうか。
通常のお祈りに比べると、声を大きく出して激しく祈ります。中には教卓をたたきながら涙ながらに祈る方もいます。

(4) お父さまの詩
 罪人である受講生に愛を伝えるメッセージである。。ところで、原理の神は愛の人である。お父さまの詩によって、文鮮明は愛の体現者となり、神と同格のメシアとして受け止められていくのであろう。

甲第二四〇号証 原告証人a陳述書 二八頁
三 お父様の詩
 メシア論の後だけは、事前に講師と打ち合わせをしておいて講師に「聖歌を歌いましょう」と言ってもらいます。歌う聖歌は六八番「十字架にむかえり」です。講師も皆と一緒に歌います。その後、黙祷して下さいと言って講師が祈ります。講師の祈りは感情が高ぶっていることもあって、極めて熱烈なものです。
 その後スタッフがお父様の詩を読み上げます。聖歌指導がいる時は、その人がその場の状況に合った曲を弾きます。いないときにはCDをかけます。

平成一〇年一二月一八日 被告証人E 証人調書 九二頁
お父様の詩を朗読しますね。
そういう演出もありますね。

平成一〇年一二月一八日 被告証人E 証人調書 九三頁
会場はどうなりますか?
まあ想像されるとおりだと思います。
涙、涙でしょうね。
でしょうね。
その後献身の決意を求める班長面接が行われますね。
はい。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 四五頁〜四八頁
メシア論以外の講義では、講義が終わった後はどのような手順になっているんですか。
講義が終わりましたら、講師がまずお祈りをします。そして退室した後に進行が壇上に上がって、聖歌を一曲賛美して、解散ということになります。
メシア論の講義の後は、その部分が変わりますね。
はい、変わります。
どんなふうに変わるんですか。
事前に講師と打合せをして、メシア論の講義が終わりましたら、その場で講師に聖歌を歌っていただきます。そして歌い終わったら、講師がお祈りをして、お祈りが終わりましたら、そのまま黙祷していてくださいと言ってもらって、退室してもらいます。
歌う聖歌は決まっているんですか。
決まってます。
何番ですか。
六八番の「十字架に向かえり」という聖歌を歌います。
どんな内容ですか。
一二弟子あるいはユダヤ民族の不信によって、イエス様が十字架にかかってしまったんだと。そこからまた新しい摂理をイエス様が始めようとしているというような感じです。
・・・・・・
黙祷させたまま、講師は退室しましたね。それからどういうふうになりますか。
事前にオーディションを行って、その中で一番上手な人が行うんですが、選ばれた班長が壇上に上がって「お父様の詩」という詩の朗読をします。その前にカーテンを引いたり、ろうそくをともしたり、小さなライトアップをして、暗くして雰囲気を出していきます。
「お父様の詩」というのは、端的には何を訴えかけている内容ですか。
どんなに罪深いおまえだとしても、私は捨てないんだと。おまえがその罪を清算して救われるならば、本当にそれが私の喜びなんだということですね。
罪人だというふうにメシア論で思わされているわけですよね。
はい。
そして「お父様の詩」で、おまえがどんな罪人であっても私は見捨てないと、その罪人のお前が救われるのが私の願いなんだと。こういう話になるわけですね。
はい。
会場はどんな雰囲気になりますか。
「お父様の詩」を聞いて、自分は罪人なんだけれども許されたと。このような感情を抱く人が非常に多かったです。
それはどんな形になって表れますか。
涙の場になりますし、そのあとの食事もなかなかのどを通らないという人も出てきます。

甲第二四〇号証 原告証人a陳述書 二九頁
 メシヤ論の講義で自分達が罪人だと思わされている受講生に対して、お父様の詩はそのような罪あるお前だからこそ、罪の重いお前だからこそ救われることが私の喜びなんだ・・・というような内容です。受講生は罪人である自分が全て許され、救われていくという感動を持ちます。会場は号泣につつまれ、夕食はご飯が喉を通らないという人がたくさんいます。

平成八年七月五日付 原告A証人調書 八九頁〜九二頁
三日目の夜、主の路程の講義が終わったあと、お父様の詩という詩が朗読されると言いましたね。
はい。
このときの状況について聞いていきますが、詩が朗読されるときの外的な状況は。
部屋の中を暗くして、ろうそくを立てた中で読まれます。
読むのはだれですか。
読むのは班長、まあスタッフの中から私が班長で行ったときはオーディションをやったんですけれども、一番読んで雰囲気の出る班長を選んで、それでその朗読をさせました。
ろうそくということは光を落としてるわけですね。
はい。
そこで受講生は座っているんですか。
はい。
お父様の詩というその詩を読み始めると、どんな状況が生まれますか。
涙を流す人、泣き声とかがそこら中に響き渡ってきます。
後出の甲第一三九号証を示す
これがそのときに読まれる詩ですね。
はい。
簡単に言えばどんな内容の詩なんですか。読んでみてもらえれば分かると思いますが。
まあ、おまえは罪人だ、でもそれを許して愛してると。
ベースとしてはそういうことですね。
そうですね。
より罪深いおまえが救われることのほうが、お父さんはうれしいというようなくだりがありますね。
そうですね。
おまえは私の真実の子なんだと、こうも言われますね。
はい。
あなた自身は第一回目に参加したとき、その雰囲気の中ではどうでしたか。
・・・まあ、目分自身もこれから献身していこうと思ってるんで、かなり感情が高まりました。
涙が出るということは。
涙は多分流していたと思います。

平成八年七月五日付 原告A証人調書 九二頁〜九三頁
あなた自身はリフレッシュのメンバーとしてフォーデイズに参加したことがあります。
はい、あります。
これはフォーデイズに参加したときから考えてどのくらいあとですか。
大体一年くらいたってますね。
その一年くらいの間にあなたがやっていたことというのはどんなことですか。
実際伝道活動ですとか、経済的な活動ですとか。
物を売ると。
はい。
そのような伝道活動とか経済的な活動をして、あなたは自分のどんな部分が変わったと思いましたか。
なかなか伝道もできないし、なかなか物も売れないし、そういう悲しみの気持ちが、悲しみの神の気持ちだとか迫害された文鮮明の路程だとか、そういうことと重なっていきました。
そうすると文鮮明のつらさ、あるいは神の悲しみが分かってきたと。
はい、実感したというふうに。
その実感した上でフォーディズに参加して、この詩を聞くとどうですか。
心に染みるというか本当に、更なる決意をしなくちゃいけないなというふうに受け止めました。

(5) 班長の証
 メシアである文鮮明のメッセージだけではあまりに距離がありすぎる。身近な人で「希望の実体」で世話をしてくれているこの「班長」が献身をしているということを言うのである。あの彼が献身しているのなら私だってと思うであろう。社会的証明の利用である。

甲第二四〇号証 原告証人a陳述書 三一頁

五 班長面接
 二日目の夜、お父様の詩の後に各班の班長が班員を集めてそれぞれ自分がどのような経過で献身したのかという話しをします。そのような話しをした上で班長面接をするのです。班長の証しも班長が自分で勝手にするわけではありません。受講生が講義を聞いている間に班長を集めて、それぞれの班員の状況をよく聞いた上で進行が証のレベルを指示します。

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 四八頁〜五〇頁
そのあと行うのは、班長のあかしですね。
はい。
各班員を集めて班長があかしをするわけですね。
はい。
どんなことのあかしですか。
班長自身が導かれたあかしです。そして原理を聞いて、なぜ献身したのか、どのような経過で献身したのかということを話します。
献身につながるあかしなわけですね。
そうですね。
そのあかしの内容というのは、進行であるあなたが事前にチェックをするんですか、しないんですか。
事前にチェックをします。
内容について決めるわけですね。
基本的には班長本人が実際に通過してきた心情を話してもらいますが、その班によっては、全体的に献身を決意させるところまで持っていけるという班であれば、多くの苦難、障害を乗り越えて献身したんだというあかしを、少し大げさにあかしてもらいます。
そういうレベルまでいかない班員の多い、なかなか献身は難しいんだという班員の班では、どんなあかしになるんですか。
私は献身をしたんだというあかしは基本的にはしてもらいますが、班長が全体を把握して、献身できない、引っ掛かっている障害の部分を分かってますから、若干変えたりしながら、その人がその障害を乗り越えられるように、献身まで考えられるように、あかしを持っていくように指示を出します。
状況に応じて、証しのレベルを変えるわけですね。
はい。
それを進行が指示すると。
はい。

(6) 班長面接

平成九年三月一四日付 原告証人a証人調書 五〇頁〜五一頁
あなたも班長として面接をしたことがありますか。
あります。
簡単にしてくれる人と、簡単にはしてくれない人がいますね。
はい。
簡単にしてくれなかった人に、どんなことをやったかということを、覚えがありましたら言ってください。
参加した受講生は学生だったんですが、み言葉、原理もかなり理解できていましたし、献身したらいいんだなということもその本人は自覚していたんですが、大学をやめられない、家族も捨てられないと。この二つがネックになって、なかなか献身の決意ができなかったんです。それを自分自身が把握した上で、多少自分自身のあかしを作り替えて、自分もあなたと同じように実際にそうだったんだけれども、でも乗り越えて献身をしたんだと。そういうあかしをしました。そうすると、その人は、五分ぐらいうつむいていたんですが、そのあと、分かりました、私も献身して頑張ってみますということで、献身を決意していったという例がありました。

平成八年七月五日付 原告A証人調書 八五頁〜八九頁
その中に献身の決意をさせることに手間取ったという人がいましたか。
一人だけいました。
その人は他の人に比べてどんな特徴を持っていましたか。
ちょっと個性が強かったというか、自分自身のやりたいことというのをしっかり持っていた人だったので、なかなか献身するということにはならなかったと思いますけれども。
そうすると何か自分でやりたいことを持っている場合には、献身というのはしにくいんですね。
そうですね。それを犠牲にしなくてはいけないということがあるので困難です。
例えば会社に勤めている人というのは。
会社を辞めなければならないということが大きな障害になると思います。
そういった人に献身の決意をさせるのは大変だと。
はい。
あなたがフォーデイズの班長で説得をした人のことについて聞きますが、一番長時間説得をしたのはいつの夜でしたか。
三日目の夜なんですけれども。
三日目の夜は何時間くらいその人を説得して、何時まで説得しましたか。
その人は一番時間がかかりそうだったので面接を最後の順番に回して、一二時くらいから三時くらいまでかけて説得しました。
フォーデイズでは、睡眠時間というのは大体何時間くらい与えられているんですか。
スケジュール的に言えば五時間半くらいなんですけれども、実際的にはそういう面接が長引いたりするので、睡眠時間はもっと短いです。
そうすると三日目というと、かなり疲れている状況で、あなたがターゲットにした人については夜の三時まで説得をやったと。
はい。
あなた一人の判断でそういうふうにするんですか。
いえ、そうではなくて、そのセミナーを取りまとめている自分の上司の立場の人に、献身すると言わせるまで寝かせちゃいけないって、そこまで言わせてから今日は休ませるというふうに言われてるので。
結局その人はその夜は献身の決意をしましたか。
しぶしぶの状態だったと思います。本当に決意したかどうかは分からないんですけれども、多分眠りたいために。あいまいなままだったかもしれないですけれども、取りあえず決意したという形ですね。

甲第一三一号証 四D班長ノート一 一頁
外的献身ではなく→内的献身。動機の成長をみる。夕方のミーティング、動機の確認、TEL、貴重品、講師の証

 以下に、四ディズの班長たちの工作ノートを掲載する。一人一人の班員に対して詳細な分析をおこなっている。うわべの優しさとは裏腹に、獲物をねらう漁師のように、受講生の心を読み、工作の方向を検討し、それを総括し、変化をとらえて、献身の決意をさせていくのである。

甲第一三一号証 四D班長ノート一 三頁
〈○○姉〉 財産把握、−五〇(+六〇)車(借金五〇万あるということ)+二〇(貯金)一一万(給料) DKしなくていいと言っている。
〈○○姉〉 DK自信ない→環境は何とかなる。未練はない。かるい。
〈○○姉〉 →幼い、知的に入っていない。人間的に弱い。訓練としてNT。

甲第一三一号証 四D班長ノート一 四頁
・○○○○○  接点・・・人生をどのように生きていったらいいのか、原罪を精算し、真の家庭を築きたい。DKに対する確認。
・○○○○  DKはつめない。しかし、アルバイトを辞めること。アダム・エバ、人生を深く考えることにおいてつめる!。アダム・エバ分別した→彼が不幸になる(一点越えた)知的に整理されない。四D次第、よくて上級。
・○○○○○  罪観弱い。DKは長期。み言に対して軽い。フッフッという表情。
・○○○○  因縁が入っている。為に生きる生活。つめれないDK。NT→青年部へ。

甲第一三一号証 四D班長ノート一 七頁
面接 課題を本人にも自覚させる。
一  今日までの講義でどんなこと感じたの?(どの辺に一番相対しているか)
二  これから先どうしていこうと思うのか。四つの方向性があるんだよ。専従、実践、奉仕、探求
三  (天の願い)あなたは摂理のために今すぐ仕事をやめて、外国へ行く決意はあるか。Yes→動機は何か、賛美、ゆさぶり・・・そう甘い道ではない、苦労の道、大丈夫?不安なことはないか?内的、外的課題の把握。財産、貯金、借金、給料、アダム・エバ→分別意識があるか。つきあってどれくらいか。
   No→どこがひっかかっているのか。兄弟の信仰の限界。動機の成長をみることできる。例えば親、真の親孝行とは? 会社→神様の願い、お父様、イエス様は自分の事情はどうだったんだろう。→明日のKにつながる。お父様は罪ないのにあえてこの道。
   Noの人の動機とその対策 自信のない人:私もそうだった、証 信じ切れない:あなたは、本当にそれでいいのか?!体当たり。原理じゃなくてもいいのではないか・・・み言入ってない。どこの課題か?どこをどうすればよりよくなるだろうか?個人的・・・「自分のことしか考えていないのね?」 今じゃなくてもいいのでは?・・・み言入ってない。(深く入っていない)
   人間性、社会性に欠ける→報告

甲第一三一号証 四D班長ノート一 一一頁
行き方、それなりの目的もてれば→NTにすすめる。
NT→主体的動機(やる気)のある人
〈面接〉献身決意している人→今までの講義の感想。昨日献身したいと言っていたけどどう思うの?→ゆさぶり
修練会終わってすぐに辞表かける?たやすい道でない。苦労の多い道だよ、大丈夫?→うんと言わせて賛美する。→新生トレの証 合宿生活、仕事をやめること、親については自分勝手にやらないでアベルと共に。NTは決意してのぞまないと目的意識もっていかないと、ただ、ただ、大変な合宿生活、中には一人二人最後まで続かない人がいる。
献身を決意していない人については次のように言う→「四Dの後、NTというのがあるけれどもどう思っているの?」

甲第一三二号証 四ディズ班長ノート二 二頁
一日目
○○→真の愛、全ては導かれるためにあった。AEでつみをおかしてきた。精算していきたい。罪と霊界を知ったのでこのみち行く。
○○ →現実に戻ると自信がない。自分の親をみると、真の家庭は自信ない。希望。
○ →決意して髪切ってきた。生命かけてきた。
○○ →もう聞いてしまった。この道しかない。全ては導かれるためにあった。

甲第一三二号証 四ディズ班長ノート二 三頁
奉仕、探求 人間として本当にそれでいいと思うの?→生き方をみつめさせる。
実践といったら→なぜ、専従会員でないの?どうとらえているのか?!献身していけそうな人・・・情的に闘っている人→つめていく、明日に向けて戦わせる。→歴史を通してどのように神がたどってきたのか。神の願いという観点から考えさせていく。

甲第一三三号証 四ディズ班長ノート三 一頁
蕩減生活=信仰生活−神を中心とする生活。メシヤを迎えるために、どうしていかなくてはならないのか。→条件をたてなくてはいけない。=善なる条件生活=神が働く=原理的生活。仕事、学校よりも蕩減生活、条件生活が必要。教会に入って信仰の訓練。経済、政治に最終的についていく。真の父母と一つとなって侍り、主管されないと(献身以外に)ザン訴件をまぬがれることできない。

甲第一三三号証 四ディズ班長ノート三 二頁
都合のいいときだけ神を求め・・・あとは捨ててしまう私たち。大切なものはしっかり持っていて、さらに神の愛も求めている私たち。そんなんでわかるわけがない。ごうまん、欲張り、堕落人間。

甲第一三三号証 四ディズ班長ノート三 四頁
神はいらないという人は地獄にいったらよくわかる、地獄ツアー、すがるしかない。→神はそれではいけないから、神に帰れ!と訴え続けてきた。地獄みたら韓国、目前で親が日本人に虐殺されていった。我々はそれをした方だからやられた人の心情がわからない。

甲第一三三号証 四ディズ班長ノート三 五頁
北海道〜神が守っている。→もっと緊迫している。あること自体奇蹟。

甲第一三四号証 四ディズ班長ノート四 一頁
前日→一日目で決まる。堕落性をおもいきり脱ぐ。サッカー、班長きちがいのごとくやってみる。和動会でいかに堕落性脱がせるか→情が解放したところにみ言が入る。
面接 アブラハム→その決意が見たかった神。決意ゆえに神が働く。


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札幌青春を返せ訴訟・最終準備書面
 弁護士 郷路征記