七 ビデオ・センターなど教育過程

1 無償労働に導くために・青年の場合
 青年の場合、新生トレーニングの心情解放展で初めて献金をさせられる。そのために布石をうつ講義がある。

甲第一四四号証 新生トレ受講ノート 六頁
万物主管
万物を供え物として神の前に帰る。万物を通して神の前に帰る。物(金、地位、名誉、権力、etc)に執着→絶対神と出会えない。最も大切な物(一番執着しているもの)→神に捧げる→サタン分立(神と出会う出発点)汝のイサクを捧げよ。

甲第一四四号証 新生トレ受講ノート 七頁
万物に対する見つめ方
2 全て神のもの:能力、技術、体、性格、地位、名誉、財(お金)etc。神が喜ばれるように用いる。
3 お金の使い方:サタン的出費→天法に引っ掛かる。神的出費→カイン的出費(自己目的の為の出費:衣・食・住、etc)とアベル的出費(全体目的の為のもの:献金、伝道、奉仕、etc)。
4 献金・献品:世界的摂理、伝道、教会維持、etc。神のみ旨を進めたい私達の願い。神の救いの恵みに対する感謝。心から感謝して捧げる→サタン分立。
※ 万物に主管される人から神に主管される人に変わる。

甲第二二九号証 ○○○○○○受講ノート四 一二頁
最も大切なもの一番執着しているものを捧げることが必要→神と出会う出発点。
汝のイサクを捧げよ→サタン分立
万物に対する見つめ方:全て万物は神のもの
献金・献品 神の救いの恵に対する感謝。神のみ旨を進めたいという私達の願心から感謝して捧げることによってサタン分立。
※万物に主管された人生から神に主管される人生に変わる。

甲第二二九号証 ○○○○○○受講ノート四 二四頁
万物復帰の意義と価値
一.個人的救いの観点
 象徴献祭:万物復帰(すべての物を神の前に帰す)の為の蕩減条件。子女(人間)復帰のための象徴的な蕩減条件
供え物を成す基準
 万物を私の身代わりとして捧げることが必要。→身を切られるような思い。完全投入。感謝と喜びをもって神の前に完全に私を捧げる心情基準。

2 だから、いずれ全資産を

原告証人a 平成九年三月一四日 証人調書 六三頁
あなたの体験として、この心情開放展で、お金を持っている人に出会ったことはありますか。
はい。
幾らぐらいのお金だったでしょうか。
額は百二、三十万ぐらいだったと思います。
それについては、あなたのアベル、上司はどういった立場をとったんですか。
本人の救いのためだから、持っている貯金を献金、ささげさせなければいけないと。
あなたに対してはそういった指示がくるわけですね。
はい。
その指示というのはあいまいにできるものなんですか、反抗できるものなんですか。
反抗は難しいです。ただ、本人の状況を伝えることはできますが、伝えたからといって、指示が変わるということは考えづらいですね。
どんな状況の人だったんでしょうか。
その人は若干知恵遅れぎみの人で、原理自体もなかなかスタッフが思っているように理解できない人で、親子関係も悪くて、とても愛されたいという、それが動機になって来ていた人でした。
あなたはそのお金を心情開放展で献金させることについては、どんな思いがあったんでしょうか。
実際に原理が余り理解できていませんでしたので、今じゃないほうがいいんじゃないかという、とまどい、ちゅうちょはありました。
でも、それは駄目なんですね。
そうですね。
その彼は、心情開放展で献金をしたんでしょうか。
たしか一〇万ほどしたと思います。
残金はどうなりましたか。
新生トレーニングの期間にどういう形であってもささげさせなけれはいけないということで、そのあとに高麗人参茶を貯金の分だけ買いました。
お金は全部統一協会にいったわけですね。
はい。

被告証人F 証人調書
まず、心情解放展で財産の把握をすることはありますか。
把握することはあります。
それはどういった場合ですか。
これは、その受講生が献身をしたいと。じゃあ、献身するのは、どういうふうなことが献身ですかと聞かれた場合に、いわゆる聖書に書いてありますが、私は裸で生まれてきた、だから裸でかしこへ帰ろう、神様のもとに帰ろうということを教えながら、いわゆる持っているお金を捧げなければならないですよ、そういうのが献身の一つの道ですと、そういう話、相談、指導をします。そのときに、幾らありますかと、通帳幾らですかとは聞きます。
そこで幾ら献金できますかということを聞くこともあるわけですね。
ええ、聞きます。

3 献金の一部は

原告C陳述書
 新生トレーニングで行なう心情解放展の後もEISにお金が入る事になっていた。田村所長はニューホープに電話して献金がいくら出たかを問い合わせていた。最近のゲストは罪の告白は長くてその割には献金は余り出ない傾向のようだ。

4 巨大な費用・収益事業
 統一協会のビデオセンターにかかる費用は莫大である。街頭でのアンケートからすぐ動員するためには繁華街に近いところでなければならない。札幌のEISもパルコの南隣で札幌一番の繁華街にあった。そこに広大なフロァーを賃借するのであるから、スタッフは無償労働だとしても、大変な経費がかかる。
 それらの経費は心情解放展の献金や定着経済での売上や統一協会員となったゲストが無償で働くことや新しいゲストを獲得することで回収されるのであろう。しかし、対価を取りながら、これだけ巨大な投資と経常的支出を全国で展開していたのであるから、ビデオセンターが宗教法人法上許されない収益事業を行っていたことは明らかである。また、ライフトレーニング以降実践トレーニングまでの教育過程はすべて有料であるが、それらも全く同様に考えることができる。

平成一〇年四月二四日 小柳定夫 主尋問 四七頁
ビデオセンターというのは、最盛期、どのくらいあったんですか。
定かに計算したことはございませんが、数から言えば大体一〇〇か所以上はございました。
維持費というのは相当かかるんでしょうかね。
私がびっくりして調べたところの一か所では、大体、維持経費が月に五〇〇万から八○○万。

乙ハ第二四号証の一 小柳定夫 平成七年九月一一日 証人調書 三七頁
新宿にビデオセンターを開設したときの開設費用としては六〇〇〇万円ぐらいかかりました。それで、地方も非常に目抜き通りの立地条件のいいところを選んでそういうものを開設しましたので、おおむね半額ぐらいはかかっていたと思います。
・・・池袋に作ったものでは一億前後かかったと記憶しています。そして、新宿のビデオセンターの施設の維持経費だけで三〇〇万から四〇〇万ぐらいかかっていたと思いますし、池袋の会館の維持管理経費で八〇〇万前後かかっていたと思います。

5 受講料を取る意味と金額
 統一協会が教育過程のすべてについて費用を徴収するのは、前記のとおりの巨大な投資に対する回収という側面と、お金を取ることによって教育過程への参加を心理的に強制すること、真理が学べる場である(すなわち、ゲストのためである)と説明しながら無償では説明がつかないという面がある。
 したがって、高すぎない、そして安すぎない金額が検討され決定されているのである。

原告A 本人調書 平成七年五月一九日 四一頁
後出の甲第七七号証を示す
三枚目のNo.六、先ほど見ていただいた座り方の下に「お金のつめと動キづけ」「主任の証し」と書いて四角く囲ってあります。これは大体受講決定の後に行うことですね。
そうです。
それを説明してもらえますか。
まずお金のつめは、受講料は私がいた当時で学生二万五〇〇〇円、社会人三万五〇〇〇円、それの支払方法、支払時期などをそこで相談して決めると。
お金を払わせるということはどんな意味がありますか。
自分自身の体験から言えば、お金を払ったんだから続けようとか、代償を払ってるわけだから今後通っていくことを。
通っていくことを心理的に強制するものにつながると。
そうですね。
そこに書いてある内容は、酒飲むことに使うお金だとかそんなことがいろいろ書いてありますね。それはいつでもできる。学ぶなら今のうちだと。
はい。結局、遊んで使ってしまうお金はそのときだけの楽しみで終わってしまう。でも、ここで勉強していくのはこれからのためになるとかそういう感じで、お金の価値観を変えるトークをします。

原告B 本人調書
ビデオを見てツーデイズセミナーに通っただけで真理が分かるというのも随分と安直な話ではないかというふうに我々なんかは思いがちなんですけれども、そのへんの疑問はありませんでしたか。
ここに来た人はみんなそれで真理が分かるというふうに証言しているので、ビデオは一三巻ですし、受講料は三万五〇〇〇円なので、もしこれが本当でなくても、ツーデイズまで行って真理がつかめるんであればかけてみようと思いました。
そういう気持ちから、最終的に決心するわけですね。
はい。
三万五〇〇〇円は、そのときに払いましたか。
払いました。

6 思想の定着のために 珍味 お茶
 青年の場合、実践トレーニングの後伝道機動隊を経過して珍味マイクロ活動がある。壮婦の場合、トレーニングを終了してお茶売りの実践がある。いずれも、それを終了してから任務に配置される。したがって、右の活動は教育活動の最後なのである。なんのためにこのような活動を最後に配置しているかというと、いままで教え込み、成り立ての統一協会の頭の中に真理として獲得された思想を定着させるためである。

被告証人F 証人調書
それから「実践神学の意義と価値」というのが一五ページに書いてありますが、これは簡単に言うとどういうことですか。
これは、いわゆる販売活動をするときの宗教的な意義付けを、私の経験を交えながら講義をしました。
具体的にはどういったこと。
要は、珍味販売であるとか、あるいは路傍でそういう販売活動をするときに、そんなに販売ってできるわけじゃないですから、無視されたり、否定されたり、おまえ何やっているんだと言われながら、イエス様が、叫べど叫べど民衆が理解してくれなかったという、心情に触れるわけです。ですから、そういう神体験、いわゆるイエス様との体験、こういうものを、いわゆる実践を通じてその神学を肌身をもって学ぶということを話しました。

乙ハ第一七号証の三 ○○○○ 平成五年一二月六日 証人調書 七八頁
経済活動の中で神体験ができますからといいますね、あなたは。
ええ、そうです。
どういう神体験ができるんですか。まあ、苦労している中で、本当に神様の六〇〇〇年の苦労がずっとしのばれてくると、これはやった人でないと分からないと思います。
売れないですね、なかなか。で罵声をあびせられますね。その苦労もお父様が歩んだ苦労の一部だと言ってますね。お父様が歩んだ苦労であり、神なる苦労だといってます。
売れない、売れない、ふらふらいいながら、あなたはどうやって指導しますか。
お父様、お母様、興進様助けて下さい、あるいは興進様とお父様とお母様の三人のことをお祈りしながら人の家の門の中に入りなさい、こう言いませんか。そういうふうな話しは聞いたことがあります。
そこで売れるわけですね。
ええ。

乙ハ第一四四号証 被告証人J 陳述書 九頁
 六月から一ヶ月間、教育隊でお茶売りをしました。このお茶売りは単にお金を稼ぐためにおこなうのではなく、神やイエス様や文先生が堕落した人間を一人一人訪ねながら救われようとした心情を自分自身が一軒一軒訪ねる中で実感し救いの心情を育てるためのもので私も訪問する中でいろんな人と出会い神様を実感するようになりました。

原告A 平成八年一〇月一一日付 証人調書 九一頁
そのような活動の中で、あなたはどのような神体験をしましたか。
真っ暗になってからなんですけれど、一応自分の与えられた任地に対して回る順番があるんですが、それを回ってるときに、ちょっと離れた家の明かりを見て、ああ、あそこの家で何か自分を呼んでるような気がするというんでしょうか、それでそちらのほうに行ってトークをするとそこで珍味が売れたりだとか、あと、道を歩いてる中で、外の明かりを見ただけでここの家では珍味が売れるというふうに確信するものがあって、そこに行くと続けざまに四軒五軒と売れたりとか、そうしたときに、何か神様に導かれているんだという実感を覚えたことがあります。


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