八 経済活動としてのマイクロ
思想の定着のためのマイクロではなく、純粋に経済活動としてのマイクロ活動がある。どのような基準で人が選抜され、活動しているのか分からないが(一つの例は、親が統一協会に反対している会員で、救出される可能性がある場合)、常時かなりの数のマイクロ部隊が全国を回っていた。マイクロの専属として一年間も全国を売り歩くのであるから、困難極まる奴隷的労働である。一〇キロ以上もある鞄を背に売り歩き、夜もまともに寝ることができない状態であるから、この活動で体をこわす人が多い。
1 原理研究会
乙ハ第一七号証の二 ○○○○ 平成五年一〇月四日 証人調書 一四二頁
ですから、珍味を売る場合は、原理研究会のメンバーですと言うふうに言って売るのですか。違う説明をするのですか。違う説明をするのですか。
いや、原理研究会の学生ですということは言わないと思いますよ。
乙ハ第一七号証の三 ○○○○ 平成五年一二月六日 証人調書 一三頁
こういう販売活動というのは全国一斉に行うという話しでしたけれども。
ええ。
全国で実績を競争しているようですね。これはなぜ競争させるんですか。
それは多分、そのいわゆる意欲を鼓舞するためじゃないでしょうか。
意欲というのは販売意欲ということでしょうか。
ええ、そうですね。
乙ハ第一七号証の三 ○○○○ 平成五年一二月六日 証人調書 一五頁
全国で競争しているということは、全国の状況が分からなければ競争になりませんね。
ええ。
ということは、全国のとりまとめというのはだれが把握しているんですか。
それは例えば長期の休みのたびごとに、そういう活動をまとめる責任者という者が当てられます。その人が把握するということになっております。
毎回そういう人が決められていたんですか。
そういうことです。
乙ハ第一七号証の三 ○○○○ 平成五年一二月六日 証人調書 一六頁
成績の優秀だった人は後日表彰されたりするようですね。
ええ。
これはなぜ表彰するんですか。
それは頑張った者は評価するというのは当然じゃないでしょうか。どこの社会でもあることじゃないですか。
乙ハ第一七号証の三 ○○○○ 平成五年一二月六日 証人調書 七六頁
あなたはそこで出発式のときに、摂理として頑張りなさいということを言うんでしょう。
私はともかく文先生のご苦労を思いながら頑張りなさいということはよく話したことはございます。
被告証人F 平成一一年二月一二日 証人調書 九六頁
学生部、勝共カンパ。北海道全域対象。一日三万くらい。一二、一日二五万。
原告証人b 平成九年九月二六日付 証人調書 一一頁
二か月も続いていると具合が悪くなるんじゃないかと思うんですが、そのあとあなたはどんなことになったんですか。
そのあとマイクロに人事になりました。
マイクロに行けということですね。
はい。
マイクロは、このときはどこから出発してどこまで行ったんでしょうか。
北海道から出発して、青森と秋田に行きました。
親には、そこに行ってるということは知らせるんでしょうか。
いいえ。知らせないで、住所は札幌のノースガーデンの住所にして、実際は本州をずっと回ってました。
ノースガーデンというのは何でしょうか。
当時研修所だったんですけれども、マイクロの拠点というか、責任者がいたところです。
どこにありますか。
手稲の曙にあります。
本州で物売りをしてるときに、親にはどんな連絡を取るんでしょうか。
手紙とか出すとしたら、一回ノースガーデンに転送して、ノース、ガーデンから市内の郵便局とかポストに出してもらって、消印でばれないようにしたりとか、電話もこっちから一方的にかけて、向こうから来てもこっちからかけ直すというふうにしていました。
あなたは「経緯」によれば、昭和六二年一〇月一〇日、お姉さんと一緒に住んでいたアパートを出て、生活を始めましたね。
はい。
それから統一協会の活動に入っていくわけですが、それ以降、お父さんやお母さんのいる実家にはどのくらい帰っているんでしょうか。
年に一回帰ればいいほうで、おばあちゃんが亡くなったお葬式にも姉の結婚式にも行きませんでした。
統一協会では、自由に親の元に帰る事ができるんですか。
一応、許可を受けないと帰れないようになってます。
甲第二五六号証を示す
一四〇ページを見てください。帰省申請書ですが、これはあなたが書いたものですか。
はい、そうです。
これと同じものを統一協会の上司に提出をして、許可をもらって帰るということですか。
はい、そうです。
毎回これを提出するわけですね。
毎回提出します。
甲第二五九号証を示す
このメモ帳は記憶ありますか。
はい、あります。
これは何ですか。
マイクロのときの実績ノートです。
一番最後のページ、七四ページの冒頭に書いてある「〇一二〇−××−××××」という番号は何でしょうか。
ノースガーデンにある隊長の受け専用の電話番号です。
これはフリーダイヤルになってますね。
そうです。
マイクロ隊の隊長というのは、手稲曙のノースガーデンいつもいるわけですか。
はい、そうです。
あなたがいたこの当時、マイクロ隊というのは何隊行動していましたか。
大体一班七、八人の、その当時八隊くらいあったと思います。
一班八人として、六四人の人が全国を売り歩いていたと。
はい。
その隊長のところに、何をするんでしょうか。
決まった時間に、それまでの時間に売れた実績と心情とかを報告をします。
七四ページの今の電話重の下に「R一」「R二」「R三」とありますね。この「R」は何の意味ですか。
一ウンド、二ラウンド、三ラウンドの略で、一ラウンドというのは朝出発してから報告時間まで、二ラウンドが一ラウンドの報告し終わってから二時一五分から二時二五分までというふうになっています。
時間が決められて、その時間内売り歩いて、その結果をフリーダイヤルで隊長のところに報告をするということですね。
はい。
真ん中辺りに「回収は五分前に」と書いてます。「回収」というのは何のことでしょうか。
いつも車で移動して歩いているので、朝任地に降ろされるんですけれども、小さい地図を渡されて、朝降りた場所に時間が終わったら帰りに迎えに来てもらうので、そのことを回収といいます。
その下に「二八一−七五八一 ポケベルB」と書いてます。これはどんな意味を示してますか。
同じ班の、ドライバーの兄弟が持っているポケットベルの番号で、もし回収場所に時間に間に合わなかったりとか、あと売ってる物が足りなくなったりとかしたときに、私が三番で、ポケットベルに三という数字を入れて、私の回収場所に兄弟に来てもらうようにするための番号です。
その前の七三ページを見てください。「こんにちは野の花会の○○と申します」というふうに始まる文章があります。これはいったい何でしょうか。
その当時、野の花会というボランティア団体を名乗って物を販売していたので、そのときのトークマニュアルです。
実際に販売してたあなたの気持ちとしては、だれのために、どこの計算で物を販売しているつもりなんですか。
統一協会のお父様と神様のためにやっていると思ってました。
甲第二五九号証の一ページ目を見てください。大体真ん中くらいに「三〇、TA三.〇、四.〇」という記載があります。これについての説明をしてください。
三〇というのはその班の一日の売上げ目標で、TAというのはトータルアベレージの略で、全員で三.〇、三万円以上売りましょうという目標で、四.〇は、その日の私自身が四万売るという目標です。
表の左側に「Mソ」「Wソ」とありますが、これらを説明してください。
Mソはメンズソックス、Wソはウーマンソックス、Wハはメンズハンカチ、Wハはウーマンハンカチ、SKは献金の略です。
これらを持って、この当時は売って歩いてたわけですね。
はい。
甲第二六〇号証を示す
これは何ですか。
野の花会で回ったマイクロのときの領収書です。
この領収書は渡したのでしょうか。
いいえ、渡してません。
控えのところに名前が書かれてますね。これはどうしてあなたが書いたんですか。
切り取れるようになっているので、この何々様のところに領収書の数字を書いて渡そうと思ったんだけれども、要らないと言われたので、いい人だったからアフターケアをしょうと思って名前と住所を聞いたんだと思います。
甲第二五九号証を示す
三六ページを見てください。一〇月一五日の日付がありますが、売って歩いた場所はどこですか。
秋田県の男鹿市です。
一ラウンド目で、メンズソックスが一足売れてますね。
はい。
甲第二六〇号証と符合しているわけですね。
はい、そうです。
甲第二四一号証を示す
末尾添付の「経緯」を見てください。九三年七月に対策と言われてから九五年一月まで、両親の元にあなたは行きましたか。
いいえ、行ってません。
それは統一協会の方針として行かされなかったんですね。
はい、そうです。
それで北海道マイクロを二回やってるわけですね。
はい。
要するに、地方を歩いていて両親には居場所を知らせないようにしたと。
はい。
甲第四四五号証 ○○○○○ 陳述書 二六頁
その頃、文鮮明教祖の指示で、一〇月二六〜二九日の間に、韓国・済州島の女性幹部修練会に参加しました。一二月からは、自ら進んで北海道マイクロ隊に人事にしてもらいました。それは、祝福感謝献金が未納だったからです。私は「野の花会」というボランティアの立場で靴下やハンカチやスカーフ等を持って、万物復帰(経済活動)をしました。日本全国をまわるということで、滋賀県から出発し、岡山、徳島、広島、福岡、熊本、青森、茨城、長野、福井、香川県等をまわり経済活動をしました。
最初の頃は、私も張り切って頑張っていたのですが、この活動による収入は、札幌教会やそれぞれの所属教会の借金の返済にまわされていました。ほとんどの兄弟姉妹たちは、マイクロに乗ることによって、自分の献金返済ができると思い、すすんで参加している人達ばかりでした。どちらにしても、天の摂理に貢献していることには変わりはないと、自分に言い聞かせてやっているところもありました。そういう状態で、私たちがこの活動を続けて行くには、かなりの忍耐が必要でした。心の底から喜んで感謝してできるものではありませんでした。そして、徐々にそれぞれの隊の実績は下がって行くばかりでした。
その当時、北海道の顧問のような立場で、韓国のリージョナルリーダーと呼ばれる李耀翰(リ・ヨハネ)先生が北海道の世話役として、しばらく札幌に滞在していたことがありました。李耀翰先生は、韓国統一教の創始者で文鮮明教祖も尊敬しているという人でした。統一協会の教えの基盤を作った人で、信仰面で多くの本を出して、統一協会員にとっても尊敬されている人でした。私達のマイクロの実績が下がっていた時に、李耀翰先生がよく激励にきました。その時に、ようやく李耀翰先生が一人一人に預金通帳を作りなさいという指示を与えてくれました。李耀翰先生に言われて、最初のうちは手作りの預金通帳らしきものを一人一人に提示してくれましたが、いつの間にか預金通帳の制度は消えてしまい、裏の会計では、どのような評価をしていたのか明確にはわからなくなりました。結局、個人にもらえる配当は極めてわずかなものでした。
私は、マイクロ隊でほとんど班長をさせられていました。みんなを一つにまとめて行くのは至難の業でした。兄弟姉妹たちも、私と同様に、自分たちの将来のことや、家族の問題を抱えている人が多く、不安を抱えながらの活動でした。その反面、同じ目的、同じ苦労、同じ問題を抱えていたからこそ、みんなで頑張れた部分もあったと思います。みんなの一番の不安は「いつまでマイクロに乗らなければならないのか?」という不安でした。長い人で二、三年以上もマイクロに乗っている兄弟姉妹がいました。
私は、マイクロ隊でかなり体力の限界まで来ていて、電池が切れたようになり、本当に体が動けなくなる事もありました。長い期間マイクロに乗っていると、ほとんどの人たちが腰を悪くします。病気になっても、保険証もなく、活動に追われるので、健康管理が難しい状況でした。そして、私も一九九五年二月末で一五ヵ月間のマイクロ隊からやっと降りることができました。降りてから、すぐに札幌・手稲のJ・ノースガーデンに戻りました。
2 馬鹿にならない売上
原告A 平成八年一〇月一一日付 証人調書 九〇頁
それで一人平均、一日幾ら売るんですか。
ばらつきはあるんですけれども、大体四、五万くらいが目標で、三万以上は最低でも売りなさいというふうに言われています。
一人一人が個人で、その日の目標を何万円というのを立てるんですね。
はい。
そしてその目標を持って売り歩いていく。
はい。
あなたはどのくらい売りましたか。
二か月やってたんですけれども、一か月日で約一二〇万、二か月日で一五〇万くらいの実績がありました。