札幌青春を返せ訴訟・控訴審判決
 弁護士 郷路征記

第1 当事者の求める裁判  
第2 事案の概要
 1 控訴人の主張
  (1) 信教の自由及び違法性の判断等について
  (2) 控訴人の使用者責任等について
  (3) 損害について
 2 被控訴人らの主張
  (1) 信教の自由及び違法性の判断等について
  (2) 控訴人の使用者責任等について
第3 当裁判所の判断
第4 結論

平成15年3月14日判決言渡し 同日原本領収 裁判所書記官 會木賢一
平成13年(ネ)第331号 損害賠償請求控訴事件(原審・札幌地方裁判所昭和62年(ワ)第603号、昭和63年(ワ)第1929号、平成2年(ワ)第570号、平成4年(ワ)第1775号)

口頭弁論終結の日 平成14年11月29日

          判     決
     当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

          主     文
     本件控訴を棄却する。
     控訴費用は控訴人の負担とする。

          事 実 及 び 理 由

第1 当事者の求める裁判

1 控訴人
(1) 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人らの負担とする。

2 被控訴人ら
 主文同旨

第2 事案の概要
 本件は、被控訴人ら(ほか3名)が、控訴人ないしその信者組織による違法な経済活動及び伝道活動によって、受講料・献金等の入教関係費用や購入物品代金等の財産的損害及び精神的苦痛を受けたとして、それらの損害の賠償を求める事案であり、控訴人は、上記活動の違法性を争い、また、その主体は控訴人ではない等と主張している。
 原判決は、控訴人の民法715条1項に基づく責任を肯定し、被控訴人らの請求の各一部を認容した(ほか3名の請求は棄却された。)。
 前提事実並びに争点及び当事者の主張は、次のとおり付け加えるほかは、原判決「事実及び理由」中の「第2章事案の概要」の控訴人と被控訴人らに関する部分に記載のとおりであるから、これを引用する(略語等は原判決の例による。)。

1 控訴人の主張
 原判決は、信教の自由に対する偏った基本姿勢の下に、事実を誤認し、誤った法的判断をして被控訴人らの請求を一部認容したものであり、取り消されるべきである。

(1)信教の自由及び違法性の判断等について
ア 信教の自由は、精神的自由権の中でも特に尊重を要する重要な人権であり、それに含まれる自由(ある宗教を信じる自由、信じない自由、改宗の自由・宗教上の儀式を行ったり参加したりする自由、これらを行わない自由、宗教上の結社を組織したり加入したりする自由、これらをしない自由等)が衝突した場合、裁判所は先ず両者を公平に扱わなければならず、次に信教の自由を十分に尊重する立場から、明らかな違法行為があると認められる場合を除き、当該自由を制約してはならない。
 したがって、布教ないし伝道活動の自由を、相手方の信教の自由を含む基本的人権を侵害するおそれがあるとみなしたり、信じない自由ないし宗教的勧誘を受けない自由を絶対的に保障すべきものとして、そのような内心の自由にかかわる重大な意思決定に不当な影響力を行使しようとする行為は許されないなどとするのは、本来公平であるべき信教の自由に対して一方に偏った反宗教的な判断である。

イ 宗教的伝道活動に対して、いわゆるインフォームド・コンセントの法理は適用されない。したがって、相手方が個々の行為につき、外形的に任意に承諾していると認められる場合、秘匿されている不当な目的を知ったときにもなおこれに承諾を与えたであろうと認められる特段の事情がない限り、上記承諾の存在は違法性の判断に影響を及ぼさないなどとはいえない。
 伝道とは、自らが価値あるものと信ずる宗教的教義を他者が信ずることがその人の幸福や救いにつながると考え、善なる目的の下に行われるものであり、伝道を行う者が伝道目的を不当であると認識している道理もないから、そのことを相手方に積極的に告げた上で自らの宗教に加入するよう説得するような事態はあり得ない。

ウ 勧誘方法が組織的体系的であることによって、個々の勧誘行為の違法性を肯定することはできない。
 何らかの目的をもった団体がその目的達成のためにシステムを構築し、それを高度に発展させていくこと自体は正常な営みであって、何ら非難されるべきものではない。宗教活動においても同様であり、伝道活動を効率的に進めるために書籍、パンフレット、ビデオ等のソフトを開発したり、教育のための施設や制度を構築し、マニュアル等を作成して人材を育成・訓練すること自体に何ら違法性はなく、これらは情報化時代の現代では一層強化される。
 連絡協議会の者らが用いた様々な勧誘の手法は、彼らが経験の中で築いてきたノウハウにすぎず、全て相手方から任意の承諾を取り付けるという合法的な手法によって構成されたものである。このような勧誘を、言葉巧みにとか、相手方の信頼や無防備に乗じなどと表現して不当なものとし、それが組織的体系的に行われているから、個々の行為に違法性がなくとも全体的にみて違法であると判断することは許されない。

エ 「宗教上の教義」を「超自然的事象に対する非科学的・非合理的な確信に由来する信仰に基づくもの」とし、科学的論理的な検証が可能か否かによって非宗教的な思想と宗教上の教義を峻別できるかのような二分論は、宗教に対する無知に由来する。歴史的に見ても、宗教の教義と合理的思考は深く関わり合い重なり合っているのであって、これらを完全に分離することは不可能であるし、常識的に考えても、現実社会と全く無関係な純粋に超自然的な宗教的教えなどはあり得ない。
 宗教上の教義は、宗教や宗派の違いにより内容が全く異なり、ある人に一つの教義が示されたとしても、その者は他の教義や当該教義に対する社会的評価等から、示された教義を批判的に検討することが十分に可能である。
 裁判所が上記のように宗教上の教義を判断することは、そのこと自体が司法権の領分を逸脱するものであって憲法に違反する。また、宗教上の教義であることを理由に他の非宗教的思想よりも厳しい基準で情報開示を求め、連絡協議会の信者らの伝道行為を欺罔であるとするのは、法の下の平等にも反している。

オ 連絡協議会所属の信者らに、欺罔といえるような行為は存在しない。いわゆる因縁トークは欺罔行為ではない。被控訴人らにかかわる手相、姓名判断、家系図鑑定をした信者らが、霊能力を偽装したり虚偽の事実を告げたことはない。
 特定宗教に属する個人が、当該宗教において正当と認められている以外のことを説くこと(教義とは直接関係がないことや、教義上根拠がないこと述べること)を、虚偽であり違法であるとするのは、裁判による異端者審問であって憲法の政教分離原則等に違反する。
 信者らの行為を「あたかも特定の宗教上の教義を超えた普遍的真実を流布しているという外形をまとって伝道するような行為」などとするのは、宗教的信仰に対する無知に基づくものである。裁判所が「特定の宗教上の教義」と「普遍的真実」を峻別し、両者が異なると判断することは、裁判所による宗教上の教義の真偽の判断であって、憲法に違反する。また、真剣に宗教的教義を信ずる信仰者にとって、その教義はすなわち普遍的真実なのであって、その伝道活動等を「普遍的真実を流布しているという外形をまとって」などとすることは許されない。

カ 信者らは、信仰心に基づき、宗教的動機と目的をもって伝道や献金勧誘等の行為を行ったのであって、これを外形的に見て恣意的に判断することは信者の信仰の自由を無視するに等しく、憲法に違反する。
 連絡協議会所属の信者らの勧誘活動は、何ら不公正なものでない。信者らのする献金は、信者らが献金の宗教的意義と価値を理解し、その信仰に基づいて主体的に行い、納得して出捐可能な献金額を拠出していたものであり、強制や強要等の行為は一切存在しない。連絡協議会所属の信者らが各種販売活動や募金活動を行ったのも同様の理由によるものである。上記信者らが活動の中で法規違反をもいとわないなどとしていたことはなく、単なる集金活動の成功が信仰の証しとなるものでもない。

キ 控訴人の布教の目的は全人類の救済であり、その伝道活動において、身体の不自由な者や病者などを伝道対象者から除外していた事実はない。被控訴人らの供述の一部に基づき、上記信者や控訴人が伝道対象者をその身体的障害の有無等によって選別していたとするのは、不当なすり替えの論理であって許されない。
 仮に、連絡協議会所属の信者らが万物復帰の教義を誤解した結果として経済活動を行ったとしても、それは故意に基づくものではなく、欺罔とはいえない。
 以上に反し、「控訴人の協会員が、協会員となった被控訴人らに求め、あるいは求めようとしていたものは、上記のような勧誘、献金の経済活動なのであって、これを外形的客観的に観察して直截に表現すれば、被控訴人らの財産の収奪と無償の労役の享受及び被控訴人らと同様の被害者となるべき協会員の再生産という不当な目的にあったということになる。」などと判断するのは、控訴人に対する偏見、敵意及び悪意に基づくものであり、控訴人の宗教団体としての人格ないしその尊厳及び控訴人の信者が有する信仰の尊厳を否定するものであって、到底許されない。

ク 本件訴訟における違法性の判断においては、本来、各個人に対して具体的にどのような不法行為が行われたのかが証拠に基づいて詳細に検討され、当該行為の違法性が検討されなければならない。
 本件においては、信者の被控訴人らに対する勧誘等の行為につき、違法性を問われるような事実はほとんど認定されていない。それにもかかわらず、「勧誘方法が信者獲得という一定の目的の下にあらかじめ周到に準備された組織的体系的目的的なプログラムに基づいている。」、「その勧誘等の手段方法の違法性を判断するに当たっては、個々の勧誘等の手段方法の違法性だけを問えば足りるものではなく、その勧誘方法全体を一体のものとして観察し、その一部分を構成する行為としての位置づけの中でその部分の違法性を判断することが必要である。」として、連絡協議会所属の信者らの行為について総論的に違法性判断を行い、「被控訴人らが外形的に任意にこれを選択し、その選択に当たって物理的強制力や脅迫も働いていなかったことは、その違法性の強弱及び損害の程度を検討するに当たっては考慮すべきことではあるが、そのことのゆえに違法性がないと判断すべき事情には当たらない。」などとして、被控訴人ら各人に係る個別的・各論的な違法性判断を一切行わないのは不当であり、かつ、自己矛盾である」このように被控訴人らに対する個別具体的行為の違法性を何ら検討せず、連絡協議会所属信者らの行為の違法性を十把一絡げのように短絡的に認定することは、同種事案を含め、不法行為訴訟において裁判所がとるべき判断手法を無視した常軌を逸した判断である。

(2)控訴人の使用者責任等について
ア 連絡協議会は、控訴人とは別個独立の信者の任意の組織(団体)である。
これを補足して説明すると、@控訴人が連絡協議会にかかわる書類を提出できなかったはそのためであり(連絡協議会の全国事務局も平成4年に解散しており、事務書類も残っていない。)、A控訴人がいわゆる霊感商法に関する調査を株式会社ハッピーワールドに依頼したのもそれが同社にかかわって問題となっていたからである。B控訴人が本件のうち最初の訴えが提起された昭和62年から7年後に連絡協議会の存在を主張するようになったのは、控訴人が連絡協議会の正式名称や活動の具体的内容等を知らず、その後の調査過程で徐々にこれを認識するようになったからである。C協会員らは、連絡協議会の実務組織である「中央本部」、「ブロック」、「地区」、「青年支部、壮年婦人部」等々の自分が属していた組織の名称や、最高責任者が「コマンダー」あるいは「社長」と呼ばれる古田元男であったことは認識していた。D控訴人の当時の副会長小山田秀生らは連絡協議会に対して注意をしており、連絡協議会の事務局である中央本部が解散した平成4年以降に活動内容の変化がなかったのは、ブロックや地区などの地方組織が独自に活動していたからである。
 連絡協議会の発足は、昭和54年に株式会社ハッピーワールドの特約店の一つが顧客同士の親睦を図るために「しあわせ会」を作り、顧客の個人的な悩みを解決したり、人生勉強をするため統一原理を分かりやすく噛み砕いた「しあわせ原理」を紹介するワンディ、ツーディズ、フオーディズなどのセミナーを開いたりしていたことが基礎となっている。その後、同種のものが多数作られ、昭和55年に東京都内や近郊の特約店関係のしあわせ会が集って「東京しあわせ会」が発足し、全国的に普及した昭和57年4月に「全国しあわせ会」が発足したが、同年8月にそれが解消して「全国しあわせサークル連絡協議会」(連絡協議会)に拡大発展した。このような経緯等に照らしても、連絡協議会の組織、運営及び活動が控訴人と全く異なることは明らかである。

イ 連絡協議会が控訴人に帰属するとするのも誤りである。
 すなわち、a.上記のとおり連絡協議会はしあわせ会が発展したものであり、古田元男を中心とするしあわせグループと密接に関連していたことは明らかである。b.伝道活動は、信者個人の信仰的信念を他者に伝える行為であって個人的活動にも属するから、控訴人の組織に直接関わりなく、信者らが自主的な組織を作って伝道活動を行うことは当然にあり得るのであり、現に連絡協議会はそのようにして発生、発展した組織である。連絡協議会の活動内容が統一運動を支援するためのものであり、統一原理と密接な関係があることは確かである。しかし、その活動拠点は控訴人の教会ではないし、控訴人の役職員が被控訴人らの活動に関与したり指示や命令をしたことも一切なく、被控訴人らは自らが活動している組織と所属教会との違いを明確に認識できていた。c.副島嘉和は、会社の乗っ取りに失敗し、控訴人から除名処分を受け控訴人に深い怨みを持つ人物であり、同人の手記には基本的内容にさえ誤りがあり、およそ信用できるものではない。d.控訴人が昭和55年当時の責任役員会議事録などを提出できないのは、それらが存在しないからであって、中央本部と控訴人との関連性を示す内部資料が秘匿されている疑いを抱くべき証拠はない。e.控訴人は、しあわせグループと控訴人とを同一視したことはない(控訴人が同一視されたとしているのは勝共連合や幸世商事、国際文化財団など統一運動を担う組織である。)。f.ブロック以下の部署では連絡協議会において統一運動を支援するための信者を獲得するための伝道活動が行われている。連絡協議会に所属する者が信者として控訴人主催の21修に参加すること、連絡協議会所属の信者らに伝道された人が控訴人への入会を控訴人の教会で行うことは当然のことであり、信者の控訴人への献金はどのような団体等に属していても当然に奨励されている。控訴人の教会は、信者一般に伝道の必要性を説きこれを奨励するが、信者の活動には関与していなかった。g.古田元男及び小柳定夫が、控訴人内部において実質的に多大な影響力を有していたと認めるべき証拠はない。h.控訴人がブロック以下の部署における各協会員の活動内容を不断に把握し、人事全般を統括していたことはない。
ウ 「万物復帰」とは、「人間が万物以下に落ちたので、万物を通して象徴的に献金などをして神への信仰と愛を取り戻すという教えであり、献金することも象徴献祭になるが、あくまで神に近づくという認識が必要であって、単に金集めを指示しているのではない。」というのが真実である。
 「アベル・カイン」の教義を、先輩信者に絶対に服従しなければならないものであるなどと解釈することも誤っている。
エ 控訴人の規則32条に定められている信者の定義を無視し、控訴人の「信者」を「控訴人の教義を主観的に信仰し、控訴人において信者であることを認める者」と、「協会員」を「客観的・外形的に経済活動や伝道活動を行う信者」と独自に定義することは誤りであり、また、控訴人の信者52万人全員が協会員に当たるとする根拠もない。控訴人の信者のうち、壷や多宝塔、印鑑等の販売に携わり、教育活動を行っていたのは古田元男を中心とする連絡協議会に所属したごく一部の信者にすぎない。連絡協議会が活動していた当時も信者の大多数は連絡協議会に所属しておらず、自分の仕事をして献金をし伝道活動をしていた数多くの信者を上記のような協会員に当たるとすることはできない。
 協会員の行っていた経済活動等が特に強引であったとか、対象者を絞っていた(身体の不自由な者や病者などを除外していた。)などと認めるべき証拠もなく、控訴人がその教えの下に協会員の経済活動を正当化し、協会員をして経済活動に奔走すべく利用していたとするのは、極めて不当である。

(3)損害について
 何らかの宗教的信条を新たに受け入れた者が、価値観の変化によってそれまでの人間関係に支障を来すようになる現象は広く宗教一般に見られ、周囲との価値観あるいは文化的な相克が生ずるのはある程度避けられないことであり、それが結果的に信者を一般社会から遊離させることになったとしても、そのこと自体を悪いとし、責任を教団に求めることはできない(文化的多様化の様相を強める現代社会においては、新奇な信仰や習慣に対する一般社会の寛容な対応こそが求められている。)。
 被控訴人らが信仰を持つようになったことが家族関係に影響を及ぼしたとしても、それを被害の一部として評価することはできない。むしろ、多くの被控訴人らが、身体の自由を拘束されるなどの宗教的偏見に基づく違法な手段によって棄教に至っていることが重大な問題であり、本件訴訟の被控訴人らの背後にあるイデオロギー的性格及び犯罪行為さえいとわないほどの控訴人に対する強い敵愾心を認識すべきであり、係る重大な問題を無視した判断は司法の公平・公正に反する。

2 被控訴人らの主張
 原判決は、いわゆる一時的マインド・コントロール、催眠の技術、判断基準の入れ替え等に言及していない点において相当でない(損害論に影響を与えたと考えられる。)が、控訴人主張のような認定判断の誤りはなく、本件控訴は理由がない。また、控訴人は、当審において、控訴人の非公然部分の布教過程や統一運動支援と称する物品販売活動について、その宗教活動性や宗教性を積極的に主張するが、それは上記活動の非宗教活動性及び経済活動性を強調した原審における主張を維持することができなかったからである。

(1)信教の自由及び違法性の判断等について
ア 憲法に保障された基本的人権には他者の基本的人権との関係で内在的制約があることは当然であり、信教の自由についても同様である。事実認定の問題として、協会員の活動の目的が被控訴人らの主張するように違法なものであるのか、あるいは信者らの神聖な救いを目的とするものであるのかを論ずることは、憲法20条の問題ではない。違法性の判断に関するその余の控訴人の主張も失当である。

イ 控訴人は、商品の販売活動が宗教的意義をもつ行為であって、単なる金銭獲得のためのものではないと主張するが、それは連絡協議会が純粋に経済団体であるとする小柳定夫の証言とは正反対の内容である。その販売活動が信者の内心でいかに宗教的な意味合いをもち、修行的な側面をもっていたとしても、そのことが相手方に明示されていたわけではないから、その行為は外形的客観的に従って単なる物売りと評価されるのは当然である(むしろ、控訴人においては宗教団体の活動であると表示してはならないとされ続けていたのであるから、売主を偽る詐欺的な手法として批判されるべきである。)。控訴人の教義体系の下では、自ら決めた目的を達成できなかった場合は、本人がその未達成を自己処罰する構造になっていたし、活動に参加しなければサタンを分立することができず、救われないことになるのである。被控訴人らと家族との関係がまずくなったのは、被控訴人らが信仰をもったからではなく、控訴人の詐欺的収奪的物売りをするようになり、親との連絡を絶ち、あるいは会社を辞め、その経済状態に比して不相当な多額の献金を親兄弟や夫などにも隠れて行うなど、家族の一員としての絆を切断するばかりか、社会的に悪の行為を行っていたからであり、それを宗教的・文化的相克などということもできない。

ウ 控訴人は、勧誘の当初に宗教団体であることを隠し、特定の宗教教義の布教活動であることを隠して伝道しており、そのような手段をとることが宗教的な教義を真理として確信する過程の特質に照らして問題視されるべきである。これらが隠されることにより、信者となった者は、統一原理あるいは宗教教義であることを知り、その評価や解釈などによって辞める機会を奪われていることが問題なのであり(実際に辞める理由の多くは、時間がないとか、話がおもしろくない、自分に合わない等である。)、また、控訴人の信仰から離れることは地獄に堕ちることとされているため、その信仰を捨て去るのは極めて困難である。
 控訴人の勧誘は、様々な手法で自分が罪人であることを覚醒して意識させ、それを増幅し、手相、姓名判断、家系図鑑定などで根拠のない因縁についての恐怖を呼び起こさせ(控訴人の因縁トークに関する主張は虚偽である。)、自己の両親や祖先に対する責任感を過度に強調して植え付け、宗教的救いを求める心情をかき立て、愛の体現者としての文鮮明を信じさせた上で、救済のために現世における自らの人生を事実上捨て去る道を選択させるものであって、その教義を受容することが自らにとって有益であると考えたからそれを選択したなどとはいえない。宗教上の教義であることを隠したままそれを普遍的真理として受け入れさせられていれば、それが宗教上の教義であることを前提とした意識的、目的的検証の機会を持ち得ない。対象者は献身という形で組織内に取り込まれ、社会から隔離され、劣悪な環境での労働を通じて神体験を起こさせられたりするなどして、学んだ統一原理を確信に変えさせられ、組織からの離脱を困難にさせられている。

(2)控訴人の使用者責任等について
ア 連絡協議会は、控訴人の非公然部分の宗教的団体性と非宗教的団体性を併せ持つ組織であり、控訴人が訴訟対策上、その非公然部分に連絡協議会との名称を付けたにすぎない。控訴人が連絡協議会の独立性及びその活動の帰属に関して主張する点は、不合理であり、それを認めるべき証拠もない。
 霊感商法は、控訴人がその主体であるとして社会問題になった。株式会社ハッピーワールドは従業員200人程度の小規模な会社であり、同社だけで月間売上100億円という全国各地で展開された大事業を行っていたとは考えられない。連絡協議会が真実存在しているのであれば、控訴人がその存在を認知するのは容易なはずであり、株式会社ハッピーワールドに調査依頼をしたのは控訴人の非公然部分の存在を世間の目から隠すためである。岡村信男の証言等からしても、調査の過程で連絡協議会の存在が判明したのではなく、控訴人が訴訟に対する対策を検討する中でその非公然組織に連絡協議会という名称を付けることが決められたと見るべきである。控訴人に献身しで活動していた信者らが、自己の所属していた組織の名称すら証言できないのもそのためである。また、平成4年に中央組織が解散されたのであれば、月間売上100億円という事業活動がその後も同様に展開されることはあり得ない(同事業は現在も表面化していない非公然部分の中央組織が一貫してこれをコントロールしている。)。

イ 連絡協議会の活動が控訴人に帰属することは明らかである。
 a.株式会社ハッピーワールドの副社長であり連絡協議会の副責任者であった小柳定夫は、連絡協議会が株式会社ハッピーワールドに属しないことを明言しており、従業員200人の会社に全国で数十万人という連絡協議会の組織が帰属することはない。b.連絡協議会は、多段階にわたる階層構造が構成され、そこに所属する献身者である協会員は合宿状態で寝泊まりをし24時間その業務に邁進しており、文鮮明に対する絶対的な帰依を精神的基礎として極めて強固な団体的統制を貫徹している組織であって、信者個人が自主的に伝道をしていたというようなものではない。連絡協議会の活動内容は、統一運動を支援し、控訴人の教義そのものである統一原理の実現を目指すものであって、連絡協議会は宗教団体そのものの側面を有している。連絡協議会は控訴人の非公然部分であり、この非公然部分で全ての宗教活動も行われていたから、協会員はほとんど公然部分の教会には行かない。控訴人の構成員のほとんど全てはその非公然組織に所属して非公然活動を行っており、公然部分には少数の人間しか配置されておらず、しかも公然部分は非公然部分の指揮統制下にあったから、公然部分の関係者が被控訴人らに指示をしたことが少ないのは不思議なことではない。c.副島嘉和の手記が信用できることは、小山田秀生の発言等に照らしても明らかである。これに関するその他の控訴人の主張も根拠がない。

ウ 万物復帰は、他者への働きかけを含むもので、控訴人の主張は原理的説明を述べているにすぎず、その実践的な展開、応用は物売りである。

エ 連絡協議会の布教課程において最終目的とされているのは、公式7年路程を真理と信じ、自己の救済と理想社会の実現のために、3年半の経済活動と3年半の伝道活動を自己犠牲の精神で推進する人間を作り出すことである。そして、公式7年路程の実践(経済活動と伝道活動を都合7年間行うこと)は、どのような経路から入信しようが(ただし、連絡協議会以外からの入信は皆無か、それに近いと推測される。)、統一協会員全員の神聖な義務である。したがって、控訴人の教義を主観的に信仰し、控訴人が信者であると認める者を「信者」とし、客観的・外形的に経済活動や伝道活動を行うものを「協会員」とした上で、岡村信男証言に従って協会員数を52万人とするのは相当である。

第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、被控訴人らの請求は、原判決が認容した限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付け加え改めるほかは原判決「事実及び理由」中の「第3章判断」の控訴人と被控訴人らに関する部分に記載のとおりであるから、これを引用する。

1 原判決書284頁6行目末尾の次に次のとおり加える。
 「なお、岡村信男は信者数を52万人と証言しており、これは控訴人の規則32条による控訴人備付けの信者名簿に登録された者の数をいうものであると理解できる。そして、前記(原判決書13頁エ)のとおり、名簿への登録は信者たる地位の取得の要件とはならないと解されるが、前同箇所で定義した「信者」の数も登録された信者の数とほぼ等しいと推認される(控訴人が、控訴人の教義を主観的に信仰し、信者となることを申し込んだ者に対して承諾を与えながら、名簿に登録しなかったことを認めるべき証拠はない。)。また、信者は、控訴人の教義に基づき、3年半ずつの経済活動と伝道活動とを行うといういわゆる公式7年路程を実践することが義務とされており(甲297、弁論の全趣旨)、これを実践しようとしなかった多数の信者が存在したことを認めるべき証拠はないから、少なくとも上記52万人の信者の大部分の者は、前同箇所で定義した「協会員」(客観的・外形的に経済活動や伝道活動を行う信者)に該当すると考えられる。以上に反する控訴人の主張は理由がない。」

2 同286頁22行目の「(ブランド名・クリスチーナバン)」を削り、同293頁3行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、前述のうちいくつかの点を取り上げて反論するところ、控訴人の主張並びに証人岡村信男及び同小柳定夫の証言によれば、いわゆる霊感商法問題は、昭和62年ころ、壷や多宝塔を控訴人の信者が販売しているということで問題とされたもので、これらの商品は、控訴人の信者である古田元男及び小柳定夫が中心となって運営していた株式会社ハッピーワールドが取り扱っており、同社の昭和61年における売上は700億円ないし800億円程度であったとされ、他方、昭和54年以降、同社の特約店によって作られた「しあわせ会」が集って昭和57年4月に発足した「全国しあわせ会」が同年7月に連絡協議会へと拡大発展したとされ、また、連絡協議会でも古田元男が最高責任者で小柳定夫が副責任者であり、連絡協議会に所属する信者などが商品の販売も行っていたとされている。
 ところで、控訴人の不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟である本件訴訟は、被控訴人らによって昭和62年から平成4年までの間に提起され(原審乙、丙及び丁事件。なお、最初に提起された昭和62年(ワ)第603号事件(原審甲事件)は、株式会社アークカンパニー(昭和56年11月に、高麗大理石壺の販売等を目的とする幸世商事株式会社(商号を昭和53年3月に「世界のしあわせ株式会社」、同年11月に「株式会社ハッピーワールド」と変更)の商品の販売会社(販社)として、最初の商号を「株式会社世界のしあわせ北海道」として設立された会社)を被告とするもので、これらの事件は併合して審理され、控訴人と株式会社アークカンパニーの訴訟代理人弁護士も同一である。)、控訴人は当初からこれを不当な訴えであるとして争っていた。
 被控訴人らが問題とする行為の主体が、控訴人とは別個独立の団体である連絡協議会あるいはその構成員によるものであることが、本件訴訟の不当性の重要な根拠となるとし、連絡協議会が実在するとするのであれば、訴訟の当初の段階において、連絡協議会に関する主張がされ、かつ、その実在を客観的に示すに足りる資料が提出されるのが通常の訴訟対応であるというべきである。しかるに、上記主張が最初の提訴から7年を経て初めて行われ、その後も上記資料を何ら提出しようとしないのは、訴訟対応としても不可解である。
 控訴人は、連絡協議会の正式名称や活動の具体的内容を知らなかったため、連絡協議会に関する主張が後れた旨主張する。しかし、控訴人の幹部は昭和62年当時において連絡協議会の中央本部(全国事務局)の存在そのものを知っており、しかも当時の小山田秀生副会長が、販売組織の中で伝道活動が行われているということで連絡協議会に対して何度か注意をしていた(証人岡村信男及び同小柳定夫)というのであり、連絡協議会の正式名称や活動の具体的内容を知らなかったなどとは考えられない。仮に、本件訴訟の当初の段階では、控訴人においてこれらの点を明確に認識していなかったとしても、控訴人は、控訴人の信者であり、控訴人がいわゆる霊感商法問題に関して調査依頼をしたという株式会社ハッピーワールドを運営し、連絡協議会の責任者でもあった古田元男や小柳定夫に対し、連絡協議会の正式名称や具体的活動内容等を照会し、それに基づいて早期に具体的な主張立証を行うことは容易であったというべきであり(株式会社ハッピーワールドは控訴人の照会に回答しており、控訴人が連絡協議会やその責任者に対し上記の点を直接照会するのに支障があったと認めるべき証拠はない。)、上記主張のような事情が主張立証の遅れや資料不存在の理由であるとは考えられない(なお、証人小柳定夫は、いわゆる霊感商法問題に関する控訴人からの調査依頼の際に連絡協議会の傘下の委託販売員がかかわっている問題であることを明瞭に認識できたとしながらも、それに対する回答において連絡協議会の存在を示す記載さえ存在しないこと(乙ハ204の1)について、その記載の必要性を感じなかった、うかつだったなどと証言するが、同人の当時の立場からして、上記証言が真実にそうものであったとは到底考えられない。)。
 控訴人は連絡協議会の中央本部が平成4年に解散した等と主張するが、必要があって設立されたはずの中央本部がなぜ解散されたのかは不明である(証人小柳定夫の証言は、組織の運営と権限を全国に委譲するという形で解散したとするが、漠然としたものである上、全国事務局が従来どのような権限を有していたか、これをどのように委譲したのかを示す具体的な証拠もない。)ばかりか、それが解散したとされる後もブロック以下の部署や活動内容に変化がないことの合理的な説明もない。また、上記解散がされたという時点では既に本件訴訟が係属中であり、連絡協議会は控訴人の信者である古田元男及び小柳定夫が責任者として運営していたというのに、上記資料となるべき事務書類が残っていないなどということも、容易に考えられない。
 したがって、控訴人の上記反論は、前述した認定判断を覆すに足りるものではない。」

3 同295頁7行目の「もともと」から同8行目の「また、」までを削り、同297頁17行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、上記(イ)aないしhの点について、前記第2の1(2)イのとおり反論する(ただし、その主張中には反論とはいえない部分も存在する。)が、これらの事実及び判断は、前提事実及び各項掲記の証拠によって認定あるいは容易に推認できることである。
 これに反する証人岡村信男の証言(例えば、控訴人は、昭和39年に設立され、多数の信者を有する宗教法人であり、多数の職員を擁し、組織としても相当整備されていたはずであるのに、証人岡村信男は、「ファミリー」及び「成約の鐘」等の控訴人の機関誌において、古田元男の肩書を「局長」としたり、控訴人の活動方針として人参茶の販売を挙げたりしたのは、当時の出版関係者や広報委員長の意識の混乱によるものであると証言するが、このような説明は到底納得できるものではない。)及び証人小柳定夫の証言並びに証人落栄子ほか(原判決書293頁25行目ないし294頁2行目の( )内に示した者)の証言(例えば、証人落栄子は、ビデオセンターを運営しているのは連絡協議会であると述べたり、控訴人であると述べたりして一貫せず、自らがその青年部に所属していたという連絡協議会の正式名称とされるもの(全国しあわせサークル連絡協議会)さえ知らないと述べており(連絡協議会という名前は聞いたことがないとか、「連絡協議会」の上(前)に付くものはないとも述べる。)、また、証人伊佐三由美も、自らがその学生部に属していたというのに、証言の直前に控訴人の法務関係担当者に教えられて初めて連絡協議会という組織を知ったというのであって、このような証言によって控訴人と連絡協議会とが別個の組織であったなどと認定することはできない。)は、いずれも信用することができず、上記反論に理由がないことは明らかである。」

4 同338頁18行目の「月5万円」を「金銭」に改め、同344頁19行目の「ない」の次に「(この認定を覆すに足りる事実はなく、これに反する控訴人の主張は上記のような信仰を保持する協会員が供述するような控訴人の公式見解をいうにすぎず、この認定を左右するものではない。)」を加え、同347頁8行目の「アドバイス役」を「責任者」に改め、同10行目の「昌宏」の次に「、証人小柳定夫」を加え、同356頁25行目の「伝道活動への従事がされ、」を削り、同368頁7行目の「られる」の次に「(これに反する控訴人の主張は上記のような信仰を保持する協会員が供述するような控訴人の公式見解をいうにすぎず、この認定を左右するものではない。)」を加える。

5 同498頁21行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「この点に関する控訴人の主張のうち、信教の自由は、精神的自由権として尊重されるべき重要な人権であり、それを不当に制約してはならず、それに含まれる自由が衝突した場合、裁判所は両者を公平に扱わなければならないとする点は正当である。しかし、上記のとおり信教の自由といえども内在的な制約があり、特にそれが伝道活動等の行動として表現され、他者の信教の自由を含む基本的人権と衝突するような場合においては、伝道活動等の信教の自由が優先ないし尊重され、それが明らかに違法でなければ制約してはならないなどとする根拠はない。これに反する控訴人の主張は、伝道活動等が不当な目的に基づき、不当な方法や手段を用い、その結果相手方に損害を与えるようなものであっても、宗教活動であれば違法性を帯びないとすることに帰着するものであって、採用することはできない。」

6 同500頁9行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、勧誘方法が組織的体系的であることによって、個々の勧誘行為の違法性を肯定することはできないと主張する。
 宗教の伝道活動においても、それを効率的に進めるために書籍、パンフレット、ビデオ等のソフトを開発したり、教育のための施設や制度を構築し、マニュアル等を作成して人材を育成・訓練すること自体は、違法なことではない。しかし、本件のように、その組織的体系的な勧誘及びその方法等が、宗教教義の勧誘であることの秘匿を徹底し、きっかけを設けて教義の伝道目的で設置された施設に言葉巧みに導き、更に教義に関心を持たせ、学習意欲や好奇心をかき立てる一方、いわゆる因縁トーク等を用いるなどして不安を煽り、宗教的救いを希求するように仕向け、その間に資産や収入を把握した上、それを取り込むための献金や物品の販売をしようとするものである(これらの事実は前記のとおり証拠によって認定できるものであり、その行為が言葉巧みに、あるいは相手方の信頼や無防備に乗じて行われたと評価するに妨げはない。)場合を、上記のような一般的に行われ、かつ、許容されるべき伝道活動等と同列に扱い得ないことはいうまでもなく、上記主張は理由がない。」

7 同501頁6行目の「られる」の次に「(信者らがそれを科学的・合理的なものであると信じていたとしても、そのことによって宗教上の教義の全てが非宗教的な思想と同様に科学的・合理的なものとなるわけではない。)」を加え、同502頁3行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、伝道活動に対して、いわゆるインフォームド・コンセントの法理を適用する法的根拠はないばかりか、伝道の目的を不当と決めつけた上、相手方が個々の行為について、外形的に任意に承諾していると認められる場合には、秘匿されている不当な目的を知ったときにもなおこれに承諾を与えたであろうと認められる特段の事情がない限り、伝道活動は違法であるなどとするのは、信教の自由を極度に制限するものである旨主張する。
 しかし、伝道とは、自ら価値があると信ずる宗教的教義を他者が信ずることがその人の幸福や救いにつながると考え、善なる目的の下に行われるものである(控訴人の主張)のであれば、本来的には、その教義を秘匿すべき十分な必要性及び合理性はないはずである。しかも、本件における被控訴人らに対する勧誘は、先に見たとおり、上記組織的体系的目的的な勧誘の方法に基づいて行われ、単に宗教的な伝道であることを消極的に秘匿するだけではなく、宗教教義に関する伝道ではないかと等と尋ねられてもこれを否定したり巧妙に答えをはぐらかしたりし、その一方で親族らに話をしないよう言葉巧みに指導するなどして被勧誘者と外部との接触を困難にさせ、正常な判断ができない状況を作出して、教義に傾倒させ、これを断ち切り難い状態にまで強めさせようとするものであって、このような方法による勧誘を受けた者が外形的には個々の行為に承諾を与えたようなことがあったとしても、それは自由な意思決定を妨げられた結果にすぎず、そのような承諾があることによって違法性が阻却されることにはならないというべきである。また、控訴人に対する偏見が流布されていた等の事情が存在するとしても、そのことによって上記のような勧誘の仕方が正当化される余地はなく、上記主張は失当である。
 控訴人は、裁判所が宗教上の教義の概念を上記のように規定することは憲法に違反するなどと主張する。しかし、控訴人の教義とされるものは、控訴人自身の主張するところによっても、その全てを科学的論理的に検証することができないものであることは明らかである。そして、そのような教義について、社会的相当性を逸脱する上記のような方法を用いて被勧誘者に正常な判断ができない状態を作出し、時にはそれが宗教の教義ではなく、宗教や科学を超えた普遍的真理であるなどと述べて、勧誘等をすることが許されないことは当然であり、これによる被害を訴え、司法的救済を求める者がいる揚合に、その勧誘等の手段や方法(あるいは目的)の違法について裁判所が判断を加えることは何ら憲法に違反するものではない。また、上記のような認定判断は、宗教上の教義であることを理由に他の非宗教的思想よりも厳しい基準で情報開示を求めたりするものではないから、これが法の下の平等に反するなどともいえない。控訴人の上記主張はいずれも独自の見解というべきであり、採用することができない。」

8 同502頁18行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、いわゆる因縁トークの点を含め、連絡協議会所属の信者らに欺罔行為は存在せず、また、当該宗教において正当と認められている以外のことを説くこと(教義とは直接関係がないことや、教義上根拠がないこと述べること)を虚偽であり違法であるとするのは、裁判による異端審問であって憲法の政教分離原則等に違反する旨主張する。
 しかし、宗教への勧誘に当たって、前述したように宗教の教義とは本来関係がない手法を駆使して、その教義上からも根拠があるとは考えられないような害悪を告知することが、信教の自由によって保護されるとすべき根拠はなく、そのことを裁判所が違法であると判断することが、異端審問であるとか、政教分離の原則に反するとはいえない(政教分離の原則は信教の自由に仕えるものであって、その逆ではない。)ことは明らかである。加えて、控訴人の協会員がその勧誘に当たって用いた姓名判断や家系図鑑定等及びいわゆる因縁トークは、先に見たとおり、組織的体系的目的的な勧誘の方法の一環として、被勧誘者の心理的弱みを突き不安を煽るなどして畏怖困惑させ、宗教的救いを希求させるための手段として用いられているものであって、その真実性の裏付けはないし、それが行われる目的が正当なものであるとは言い難いのであって、上記主張は採用できない。」

9 同503頁15行目の「とりわけ」から同19行目末尾までを削り、同504頁6行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「以上に関し、控訴人は、協会員がその活動の中で法規違反をも厭わないとしていたことはなく、単なる集金活動の成功が信仰の証しとなるものでもないなどと主張するが、これらの点は前記のとおり証拠によって認定できる事実及びその事実から合理的に推認できる事実であって、これに反する控訴人の主張は理由がない。また、被控訴人らが献金等の出捐をしたのは、先に見たとおり、自由な意思決定を妨げられた結果であり(内心の状態自体を直接証明することは不可能であり、これは外形的に認められる当該行為に至るまでの関係者の言動を中心とした間接事実等に基づいて判断するほかはないから、このことをもって恣意的な認定判断であるとか、信者の信仰の自由を無視するものであって憲法に違反するとする控訴人の主張は失当である。)、これによって財産を収受することが正当化される根拠はない。
 なお、控訴人は、協会員が万物復帰の教義を誤解した結果として経済活動を行ったとしても、それは故意に基づくものではなく、欺罔とはいえないと主張する。確かに、協会員の中には控訴人が主張するようには万物復帰の教義を理解せず、これと異なった理解の下に被控訴人らの勧誘等を行った者がいることが認められ、そのような協会員の行為を故意によって欺罔したということはできない。しかし、そのような協会員は、前述した組織的体系的目的的に財産の収奪と無償の労役提供の対象者とされた被控訴人ら以前の被害者であって、その言動が欺罔行為に該当しないからといって、後記のとおり控訴人が民法715条1項に基づく責任を負うべき協会員の行為が違法ではなかったとすることはできず、控訴人の主張はこの判断を左右するものではない。」

10 同506頁8行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、以上の判示は、被控訴人ら各人に係る個別的・各論的な違法性判断を一切行なっていないものであって、不当であるなどと主張する。
 しかし、被控訴人ら各人についての勧誘や入信等の具体的事実関係は、前記のとおり証拠に基づいて詳細に認定したところであり、そのような勧誘等が違法であることもこれまで詳述したとおりであり、このような判断の仕方を採用することが本件訴訟において不相当であるとすべき事情はなく、上記主張は失当である。」

11 同508頁9行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「控訴人は、何らかの宗教的信条を新たに受け入れた者が、価値観の変化によってそれまでの人間関係に支障を来すようになる現象は広く宗教一般に見られ、周囲との価値観あるいは文化的な相克が生ずるのはある程度避けられないとし、それが信者を一般社会から遊離させたり、その家族関係に影響を及ぼしたとしても、そのことをもって不法行為による被害であるということはできない旨主張する。しかし、上記主張が前提とする一般論は相当なものであっても、前記のとおり被控訴人らの財産の違法な収奪と無償の労役の享受及び被控訴人らと同様の被害者となるべき者の再生産という不当な目的を達成するための手段として、あるいはその結果として、被控訴人らの家族関係をはじめとする人間関係の悪化等を招来したことは、被控訴人らが不法行為によって被害を受けたことにほかならない。信仰等に対して寛容な対応がされるべきであるとしても、そのことによって被控訴人らの被った上記被害が減殺されるものではなく、上記主張は控訴人の損害賠償責任を左右するものではない。
 控訴人は、多くの被控訴人らが、身体の自由を拘束されるなどの手段によって棄教に至っていることが重大な問題であり、これを無視した判断は司法の公平・公正に反すると主張する。上記認定のとおり、被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある。しかし、それは上記のような行為をした者と当該被控訴人らとの関係であって、必要に応じて別途処理されるべきことがらにすぎず、このような事情が存在することは控訴人の被控訴人らに対する責任に何ら消長を来すものではない(むしろ、その終期をもたらしたものといえる。)。したがって、控訴人の責任を判断するに当たって控訴人の主張するような脱会までの経緯等を斟酌しなかったからといって、その判断が司法の公平・公正に反することになるものではなく、上記主張は失当である。」

第4 結論
 よって、本件控訴は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

札幌高等裁判所第2民事部
裁判長裁判官  山崎健二
     裁判官  笠井勝彦
     裁判官  森  邦明


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