『統一協会 マインド・コントロールのすべて』 郷路 征記

◆ 推薦の言葉 ◆

東北学院大学教授 浅 見 定 雄

 もう六年前になるだろうか。一人の若い弁護士さんが札幌から仙台までたずねて来られた。初対面なのに、私たちは間もなく夢中で語り合い、うなずき合っていた。その夜家に帰って、私は妻にこう言ったのを今でも覚えている。「不思議な弁護士さんと知り合いになった。人の心のことが深くわかる人だ」。
 その弁護士さんの本が今ここにある。「弁護士」郷路さんの最初の本は、やはり人の心についての本になってしまった。「はじめに」と「[章」と「終章」の数行を除けば、この本には法律の話はぜんぜん出てこない。ただひたすら、統一協会のマインド・コントロールの過程が、平明に、しかも正確に、克明に、心理学的説明も加えながら追跡されていく。信者でなかった私たちも今はじめて、統一協会信者になるとはどういうことか、その過程を一歩一歩追体験することができる。(この体験には専門の心理学者なら別の理論を当てはめるかもしれない、と思われるような箇所がわずかにあるが、体験そのものはすべて、郷路弁護士がおおぜいの元信者にひたすら耳を傾け聞き取られた事実である)。
 この本は、統一協会の教理のすぐれた解説書にもなっている。マインド・コントロールの過程とは、まさに統一協会の教理を教え込む過程そのものだからである。
 もうひとつ、郷路さんもW章などで触れておられるとおり、ここに解明されているマインド・コントロールの手法は、統一協会以外の詐欺商法や「自己開発セミナー」などにもそのまま当てはまるものである。この春スティーブン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)を訳出してから、私のところには統一協会以外のさまざまな被害者からもたくさんの情報と相談が寄せられている。この本はそういう被害の予防と解決にもおおいに役立つはずである。被害者を身近に持つ人々は、全体をひととおり読んだあと、〈  〉でくくられた太字(ゴチック体)の小見出しを手がかりに、気になるところは何度も読みなおされるといい。この本の小見出しはとても大切である。
 それにしても郷路さんは、どうしてここまでマインド・コントロールにのめりこんでしまわれたのだろうか。その原点は、郷路さんの人権感覚だと思う。それが郷路さんを弁護士へとかりたてたのであろうし、同じ感覚が郷路さんをこの問題へのめりこませたのだと思う。この本でも何度か断言されているように、統一協会問題の本質はけっして宗教問題ではない。勧誘とビデオ・センター(T章)→二日修練合(U章)→ライフ・トレーニング(V章)→四日修練合(W章)→新生トレーニング(X章)→実践トレーニング(Y章)と、これほど用意周到に人の心を操作して、統一協会は結局なにをするのか。つづくZ章の「伝道機動隊およびマイクロ活動」という題が端的に示しているように、要するにマインド・コントロール被害者の再生産(伝道)と詐欺商法(マイクロ活動とはマイクロバスで珍味を売りあるくこと)に明け暮れる「文鮮明の奴隷」([章)を作り上げること−ただそれだけである。
 だから郷路さんは、「統一協会は宗教とはいえない」と何度も言う。私もそう思う。もっと正確に言えば、私たちにとっては統一協会が宗教であろうとなかろうと、それはどうでもよい。信教は自由である。問題はそんなことではない。そうではなく、統一協会が@犯罪的経済行為とA反人道的マインド・コントロールを行なっている団体であるという一点、いや二点にある。そしてこの二つは切り離すことができない。というのは、まじめな人間がふつうの精神状態で犯罪的経済活動に命をかけるはずはないからである。このためにはどうしても、人の心を奴隷化するマインド・コントロールが必要となる。「宗教は多かれ少なかれ社会常識を超えるものである」などと物知り顔に言う宗教学者もいるが、問題は常識をどの方向へ超えるかである。「宗教」なら、犯罪の方向へでも常識を超えることが許されるのか。人間性と社会への破壊行為は、宗教であろうとなかろうと許されてはならない。
 郷路さんは、霊感商法の被害相談からスタートしてすぐ、この問題に気づかれた。そして裁判の準備書面に「約一七万字の」マインド・コントロール論を展開された。それが、今このような形で私たちの手にとどけられたのである。

【統一協会 マインド・コントロールのすべて(教育史料出版会)より】




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