北海道大学助教授 櫻井 義秀
“青春を返せ訴訟”札幌地裁判決の意味
元信者の勝訴は二例目
宗教トラブルで画期的判決
六月二十九日、札幌地裁は、統一教会を相手取り元信者二十人が提訴した十四年に及ぶ「青春を返せ訴訟」に、原告勝訴の判決を言い渡した。
当日、筆者は裁判を傍聴する機会を得た。もとより、本判決への正当な評価は法の専門家に委ねられるべきものである。しかし、宗教団体や宗教研究者が現代の宗教問題を考察するにあたって、今回の判決は大きなインパクトを持つ。しかも、一般市民が宗教トラブルにどのように対処すべきか、示唆する論点も多い。裁判の中身を簡単に紹介したい。
統一教会に関わる訴訟として、統一教会信徒の私企業が、一般市民に先祖の解怨や開運を理由に、数百万円の単位で壼・多宝塔等を販売した「霊感商法」に対する損害賠償請求が全国でなされてきた。これは、教団外部の第三者が詐欺・脅迫的環境で受けた「宗教被害」であるから、訴えはしごく当然に思われるし、事実、被害者の請求は認められてきた。
しかし、かつて霊感商法などに携わっていた側の者が、脱会後に教団に対して「青春を返せ」と言えるのだろうか、脇に落ちない、筆者はそう理解していた時があった。しかしこの二年、裁判の原告、弁護士、関係者に会い、裁判の傍聴を続ける中で誤解に気づいた。
元信者たちは脱会後、家族・友人をはじめ、他人を巻き込んで違法な経済活動、信者勧誘をしてきたことに深い罪責感を持っている。教団による強制ゆえに自分を免責しようなどとは思っていない。過ちを犯した自分に落ち込み、立ち直るために煩悶し、ここまで自分を追い込み、なお、新たな人々を勧誘・教化し続ける教団を放置できないと告訴に踏み切ったのである。民事訴訟上、個人の損害賠償という形でしか社会的告発はできない。
「青春を返せ訴訟」は全国八カ所で行なわれてきたが、原告の訴えが認められたのは岡山の男性元信者に続き二例目である。今回は岡山の判決よりさらに踏み込んだ内容だ。信教の自由への深い洞察と、統一教会による信者の財産収奪と無償の労力の享受、被害者の再生産を目的とした組織的・計画的勧誘行為を違法とした二点が判決理由として説明された。
第一は、憲法二〇条一項の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」という条文の意味を、布教・伝道される側における内心の自由の不可侵から明確にとらえた点である。
「正体隠した」伝道は違法
原告の元信者たちは一九八五年から九一年にかけて、学生や青年の場合、自己啓発のビデオセンターに誘われ、主婦の場合は、姓名判断・家系図判断等から婦人講座、カルチャー・センターに誘われた。彼女たちに、ここで教えていることが宗教であること、統一教会であることが告げられるのは、各種セミナーの中盤以降、継続の意志がかなり固まった頃である。統一教会を名乗って勧誘していれば、彼女たちは行かなかったと語る。統一教会側は世間の風評に良心的な参加者が惑わされることを懸念して、しかるべき時に告知したというのであるが、「正体を隠した」伝道であった。それが違法な伝道とされた。
しかも判決では、宗教団体を秘匿して勧誘することは単なる欺岡にとどまらないという。物事を良く知っているかどうかで判断力に差はあるとしても、事実に関わる事柄には、合理的・論理的に考えて誤りを指摘することができる。しかし、宗教的教義には自然科学的知識や社会科学的論理で答えることができない内容が含まれている。神の存在、善悪の価値判断、歴史の目的、罪の起源と蹟罪等。これらを宗教として教えられれば、信じるか信じないかの判断をすればよい。
しかし、教団がこれらをあたかも自然科学的法則や歴史的事実のように語り、信者が普遍的真理として受け入れてしまうと、その後目らの力で教え込まれた知識体系に客観的に反駁することが容易にできなくなる。個人の人生を大きく左右する宗教的知識・論理をカムフラージュして教えることは、内心の自由に不当な影響力を行使する許されない行為であるとされた。これは学校教育を考えれば自明であろう。
マインド・コントロール論は違法性の判断理由とせず
第二に、統一教会の勧誘は元信者の弱み(個人的悩み、家族の病気、将来への不安等)につけ込み、宗教教義とは直接関連のない不安を煽り立て(絶家の恐れ、霊界話、崇り等)、宗教的救いを願う心情をかきたてる過程で行なわれたという判断である。これは社会的相当性を逸脱しており、違法であるとされた。
統一教会の聖典は、聖書と聖書の新解釈である原理講論であるが、再臨主である教祖、文鮮明が人類の完全な贖罪を合同結婚式による聖なる祝福によって、また、世界の救済を統一運動で完成させるというのが教義の柱である。そこには、霊界だの、崇りだの、姓名判断・家系図など何の関係もない。信者にならなければ救われない心境に追い込むための手段であり、原告が証言しているようにマニュアルに沿ったにわか霊能者の芝居なのである。
学生・青年信者向けセミナーにおいても、2DAYSセミナー→ライフトレーニング→4DAYSセミナー→新生トレーニング→実践トレーニングと周到にプログラム化され、統一教会員として献身を決意させることが意図された。
「財産収奪と労力享受が目的」
献身後は伝道して同種の被害者を再生産し、教団財政を支える経済活動に従事することになる。それが主婦の場合、統一教会系列の健康食品販売であったり、宝飾・呉服展示会への動員であったり、青年の場合、先に述べた占いの鑑定師、霊能者役であったりする。
判決では、元信者が自発的にやったのか、強要されたかという個別の事実判定よりも、これらの組織的勧誘・教化の目的・手段・結果の違法性を認めた。統一教会によるマインド・コントロール論の否定、つまり、信者は騙されたのではなく自主的に選択したという主張は違法性のあるなしを判断する理由にならないと却下した。原告訴訟代理の郷路征記弁護士と二十人の原告が十四年の歳月をかけて告発した裁判がようやく最初の実を結んだ。
宗教団体に保障された信教の自由は、市民生活の自由、個人の内心の自由と共存されなければならない。既成教団、新宗教を問わず、この基本的な信教の自由の理念が確認されるべきである。また、ふだん「自由な心」もちでいられる私たちもまた、「心の自由」を守ることに周到に心がけなければいけない時代になっていることをも自覚しておきたい。
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さくらい・よしひで氏=一九六一年、山形県生まれ。八七年、北海道大学文学研究科博士課程中退(社会学)。同大学講師などを経て、現在、助教授。主な論文に「オウム真理教現象の記述をめぐる一考察−マインドコントロール言説の批判的検討」「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤」などがある。
[中外日報 2001年7月3日(火)]