統一協会の伝道が憲法の保証した思想信条の自由を侵害した違法行為であること追求していた札幌の訴訟(いわゆる、青春を返せ訴訟)で札幌地方裁判所は、六月二九日、画期的な判決を言渡した。
判決の特徴は以下の点にある。
一 憲法の思想信条の自由について
宗教団体等の勧誘者側の権利について、被勧誘者である国民の思想信条の自由などによる内在的制約を認め、統一協会の勧誘行為が原告の思想信条の自由を侵害するおそれのある行為であったことを認めた。
宗教団体の布教活動などに、他者の人権を侵害してはならないという内在的な制約があることを、初めて認定した判決であると思う。
二 違法性判断の枠組みについて
札幌地裁は「それらの宗教活動が、社会通念に照らし、外形的客観的に見て不当な目的に基づくものと認められ、また、その方法や手段が相当と認められる範囲を逸脱し、その結果、相手方に損害を与えるおそれがあるような場合には、違法である。」と判断の枠組みを設定した。
この枠組みは、「当該行為が、目的、方法、結果から見て社会的に相当な範囲を逸脱しているような場合には、民法が規定する不法行為との関連において、違法の評価を受ける。」という名古屋地裁判決よりは狭いのであるが、
「宗教団体の行う行為が、専ら利益獲得等の不当な目的である場合、あるいは宗教団体であることをことさらに秘して勧誘し、徒らに害悪を告知して、相手方の不安を煽り、困惑させるなどして、相手方の自由意思を制約し、宗教選択の自由を奪い、相手方の財産に比較して不当に高額な財貨を献金させる等、その目的、方法、結果が、社会的に相当な範囲を逸脱している場合には、もはや、正当な行為とは言えず、民法が規定する不法行為との関連において違法であるとの評価を受けるものというべきである。」とする広島高裁岡山支部判決よりははるかに広いものである。
札幌地裁判決の枠組みの特徴は、「不当な目的」を要件として枠組みとしての範囲を狭めながら、目的が不当であるかどうかの判断は「社会通念に照らし、外形的客観的に見て」行うべきであるとして、判断の容易化をはかっていることと、結果について、「相手方に損害を与えるおそれ」を要件として、この点では範囲を大きく広げている点にある。
札幌地裁判決の定立した枠組みは、広島高裁岡山支部判決の枠組みでは救済することができない多くの元統一協会員の訴訟を勝利に導くものであることは間違いがない。実際に、この訴訟でも、なんの疑念も懐かないで、外見的には喜んで教育過程を進んでいった原告に対しても、統一協会の不法行為は認められたのである。
三 画期的な勧誘目的の判断
以上のような枠組みを定立した上、札幌地裁判決は勧誘目的について、「対象者の財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産という不当な目的である」と明快に断じたのである。この点は極めて画期的であると言わなければならない。宗教団体の活動の根幹である布教活動の目的が、右のようなものであると認定されるのはよくよくのことである。
このような明快な断定を可能としたのは、事実がそのとおりであり、かつ、認定可能な程度にその事実を示す証拠が積み上げられていたからではあるが、裁判所が、「外形的客観的」に評価判断するという態度を貫くことにより、「宗教団体の活動」であるという統一協会の隠れ蓑に惑わされなかったからなのだと言えると思う。
統一協会の活動や内容は、本件の原告らが勧誘された当時と何も変わっていないのであるが、そのことの立証に成功すれば、統一協会が現在においても、国民の財産権の侵害をひたすら目的としている違法集団であることを論証することができることになり、統一協会の商行為を防止する手だてを新しく講ずる可能性が開かれると思われる。
四 統一協会の勧誘行為の手段方法について
1 宗教団体であることの秘匿
手段方法の違法性の1つ、統一協会のように勧誘に際して、宗教団体であることを隠すことの重大性について、宗教的確信を懐くということの意味を深く分析して、素晴らしい判断をおこなった。
「即ち、宗教的確信は、非合理的、超自然的事柄への信仰を中核とした確信であるから、後日、事実の相違等を指摘されても、自然科学的な事柄と違って、一旦真理として受け入れてしまった以上、その思想からの離脱が困難であるばかりか、被告協会のそれのように,宗教教義からの離脱を図ること自体が罪悪であるとの教義を内包している場合には,その教義そのものがそれからの離脱を阻止する心理的に強度なくびきとなって,より一層,その教義への傾倒を断ち切り難い場合が生じるものと考えられる。」 したがって、統一協会が宗教団体であることを秘匿して勧誘することは、「その者の信仰の自由に対する重大な脅威と評価すべきものということができる。」
また、宗教上の信仰の選択など内心の自由に対して不当な影響力を与えようとすることが、強度の違法性を持つことについて、次のように判断した。
「宗教上の信仰の選択は,単なる一時的単発的な商品の購入,サービスの享受とは異なり,その者の人生そのものに決定的かつ不可逆的な影響力を及ぼす可能性を秘めた誠に重大なものであって,そのような内心の自由に関わる重大な意思決定に不当な影響力を行使しようとする行為は,自らの生き方を主体的に追求し決定する自由を妨げるものとして,許されないといわなけれならない。」
私はこの部分を読んで、オウム事件の「加害者」達のことを思い起こさざるを得なかった。まさしく、オウムへの信仰の選択は、その人の人生に「決定的かつ不可逆的な影響力を」及ぼしたのである。
2 欺罔威迫するという勧誘等の方法
判決は、被告協会が「被告協会の教義とは本来関係のない手法を駆使し、その教義上からも根拠があると考えられない害悪を告知する等して、欺罔威迫するという勧誘の手段をとっている」と指摘した。
そして、鑑定を行う者は、「単に市販されている本や内部のマニュアル本を学習し、先輩の講義を受けただけであるにもかかわらず、もっともらしい鑑定等を行うばかりか、時には、あたかも、斯界の権威であるかのように霊能力を偽装し、虚偽の事実を告知して鑑定等を行い、その伝道活動への関心を煽ったり、教義上の根拠のない害悪を告知して献金や物品の購入を迫ったりしている」と認定している。
こういった手法が、いわゆる霊感商法と言われる詐欺ないし恐喝行為というべき勧誘方法と類似した手法を、被告協会の協会員の勧誘のマニュアルとして踏襲した結果とうかがわれる点は、その違法性の判断をする上で見逃すことはできないと指摘している。
3 組織的・体系的・目的的な勧誘
判決は、統一協会の勧誘方法は長年の組織的勧誘等の経験に基づいた手法に基づき、組織的・体系的・目的的におこなわれていることであることを特徴として指摘し、その具体的内容について
統一協会の勧誘方法は、
@ 各組織で目標を定め、
A 宗教であることを秘匿しつつの友人からの電話、街頭での勧誘、手相などの訪問からビデオセンターに導き、
B ビデオセンターは伝道活動であることを悟られないように一般ビデオを混入したりして
学習意欲や好奇心をかき立てる。そして、
@ 余人を排した教育過程であるツーディズその他のコースに誘い込み、
A 善良にして親切で明朗な協会員による親身の指導などで心情的帰属意識を植え付け、
B 過程ごとに教義の浸透度を確認把握し、
C 悩みや弱点を把握して、手相因縁話などで不安を煽り、畏怖困惑させ、宗教的救いを希求する心情を掻き立て、
被告協会の教義の学習の浸透を図ってきた。また、それらの過程で
@ 相手方らの信頼に乗じて、
A その資産や収入を把握し、
B 物質的利益に執着する卑しさを強調し、
陰に陽に献金を勧め、物品の販売をしてきた。
と認定し、前記二つの点を含めて到底社会的に相当なものとは言えないと判断した。
五 連絡協議会について
統一協会が訴訟対策上、原告らへの勧誘行為の行為主体として主張した全国しあわせサークル連絡協議会についても、判決は明快な認定をしている。
すなわち、
独立の団体たる連絡協議会は
@ 定款や収支をしめす資料が提出されていない。
A 看板も出されていない。
B 存在を対外的に示す資料も出されていない。
C 霊感商法問題について、統一協会が調査依頼をしたのはハッピーに対してであり、ハッピーからの回答にも連絡協議会の存在は触れられていない。
D 訴訟提起後七年を経て主張され始めた。
E 協会員も連絡協議会を知らなかった。
F 統一協会の行う二一修についても連絡協議会が主催すると答弁する協会員がいる。協会員にとって統一協会と連絡協議会の区別は付いていない。
G 協会と連絡協議会との間に軋轢があったという証拠はない。
H 連絡協議会消滅後、その部署の活動に変化があったとは見えない。
から、その存在を認められないと明確に判断した。
そうすると統一協会が連絡協議会の活動と主張した活動はどこに帰属するかと言うと
@ ハッピーなどの企業群に属さない。
A 協会員はすべて被告協会の活動と認識していた。
B 副島の手記によると文鮮明の命令によって、経済局が設置された。
C 小山田が経済を通じて宗教をと説いている。
D 徳野が、協会の経済部門とか協会の事業部とか言っている。
E 協会の内部文書は全く提出されていない。その閉鎖性から判断して、連絡協議会との関係を示す内部文書が秘匿されている可能性を払拭できない。
F 幸せグループと協会とを同一視する時代があったことは自認している。ビデオセンターや人参茶の販売は行政が認めたら、被告協会の公式的活動となっていたはず。
G 統一運動を支える活動の中には宗教活動もあり、統一運動の中心である被告協会が関わりを持っていなかったなどとは到底考えられない。
H 古田も小柳も被告協会のなかで重要な影響力を有していた古参の幹部。
I 被告協会の組織の末端では、岩見沢の帳簿が示すように商品の販売もその他も協会が統一的に把握していた。人事も統括していた。被告協会はブロック以下の部署における各協会員の活動内容を不断に把握し続けていた。
以上により
「原告らが所属し活動していた部署について、それが、その存在自体が極めて疑わしい全国しあわせサークル連絡協議会なる任意団体であったと解することはできず、それは、副島嘉和のいう「経済局」であるか否かはさておき、統一協会の非公式な一部門に属していたか、或いは少なくともその活動が統一協会のものとして明示或いは黙示的に許容され、その実質的指揮監督の下におかれていた」と認定した。
このことによって、統一協会は今後その商行為や正体を隠した伝道について、信者団体がおこなっているのだと言い抜けることができなくなった。
六 判決の問題点
問題点としては、教育過程にいる間に救出されて実践活動をおこなっていなかった人について、慰謝料請求を否定したことがある。
それと同じ問題だと思うが、慰謝料の認容金額は決して高くはないと思う。この訴訟は、金銭の獲得を目的としたものではない。統一協会の伝道が違法であることの確認を求め、そのことによってこのような被害の発生を防止することが目的である。これは我々の共通の確認である。したがって、慰謝料額の増額を求めて控訴はしない。
しかし、被害の実態については正確な認識を求めたいと考えている。我々は、統一協会の「教育」によって、その人がそれまでの人生をかけて形成してきたアイデンティティーとは別に、人工的なアイデンティティーが形成されたのだ、別な人格が植え付けられたのだと主張してきた。その後に起こる経済活動や伝道、祝福という合同結婚はすべて、その結果なのである。自己の人格が、操作されて変容させられたことの精神的苦痛は大きいものである。また、そのようなことを企てたものの責任が慰謝料の額に反映されるべきであるとも思う。そのことの実現は、また別な機会に追求したいと考えている。
また、私たちが、この訴訟で最も力を入れて解明してきたことは、統一協会の教育過程の具体的内容であったのだが、その目的は統一協会の教育過程が「内心の自由に関わる重大な意思決定に不当な影響力を行使しよう」(判決)として、組織的・体系的・目的的に作り上げられていることを証明することにあった。私たちがマインド・コントロールという言葉で説明しようとしたことは、この「不当な影響力」の体系のことだったのである。
判決はしかし、その外形的客観的認定の手法を貫いたのか、統一協会の教育過程についても、その外形的な事実の認定に止まり(その点では行き届いた認定をしている)、その事実が社会心理学的技術の応用であることや催眠の技術の応用であることについては、一切触れていない。
そして、統一協会がその欺瞞に満ちた教義体系を真理と信じさせる技術についても、一切触れるところがない。判決を詳細に読んでみるとそれらの部分には入り込まないと言う明確な意図が感じられる。
この事件の場合には、そこまで判断しなくても良かったからであろうか?
それとも裁判所として、認定や解釈に不確定さが必然的にともなう内心の問題や、そもそも、対象者全員に対して確実に同じ効果を発揮するものではない社会心理学的技術に触れること避けようとしたからであろうか?