札幌弁護士会所属 弁護士 郷路征記
◇ 青春を返せ訴訟第2陣2次訴訟 ◇
札幌地方裁判所 民事3部 2012年3月29日判決
1 はじめに
本件は、統一協会の布教活動それ自体が被勧誘者に対する不法行為であることを請求の原因とする訴訟(いわゆる、「青春を返せ訴訟」)である。
統一協会の不法行為責任を追及する場合、以下の2つの立場がある。
@ いわゆる青春を返せ訴訟方式
A 原則として個別の意思表示のたびごとに、因縁話や地獄の恐怖などによって畏怖困惑させられたと主張する方式
Aで請求するのが実務の大勢といえよう。但し、この方式では、統一協会のように、その人の人格を変えてしまって、真理と信じさせて献金させる場合などには対応することができない。請求が棄却されてしまう。そのことは理論的には、金額の多寡にかかわらないのである。
@の方式によれば、それらの問題点は克服される。そのことを本件判決は具体的に示している。
2 内容
重要部分を要約すると次のとおりである。
(1) 宗教団体の布教・教化活動が民事上違法となる一般的基準
ある宗教活動が、社会一般の倫理観・価値観に照らして(すなわち宗教的観点からではなく客観的に見て)、社会として許容できる範囲を著しく逸脱すると評価される場合(社会的相当性の範囲を著しく逸脱する場合)、その宗教活動は民事上違法な行為として不法行為を構成するのである。宗教活動は、他人の生命・身体・財産と関わり合いを持つ部分では、何をしても構わないという特権的な地位が保証されているわけではないのである。
(2) 伝道・教化活動の違法性の基準
我が国の社会一般の倫理観・価値観においては、人は故なき隷属から解放されるべきであるから、信仰による隷属(私の注・判決によれば、一神教に対する信仰は、人を教義や宗教的権威に隷属させる力を持っているのである。現に生存し言葉を発する文鮮明を救世主とする統一協会の信仰にあっては、文鮮明の発する言葉に対する絶対的服従が習慣化することは必然であると認定している。)は、あくまで、自由な意思決定を経たものでなければならない。
宗教の伝道・教化活動は、自由な意思決定を歪めないで、信仰を受け入れるという選択、あるいは信仰を持ち続けるという選択をさせるものでなければならないのである。
(そのためには)
@神の教えであること(教えの宗教性あるいは神秘性)を明らかにした上で相手方に信仰を得させようとするものでなければならないとすべきである。神秘と事実を混同させた状態で信仰を得させることは(私の注・統一協会においては原罪や霊界や因縁などという神秘に属することを事実として教え込むという実体が、判決では認定されている。)、神秘に帰依するという認識なしに信仰を得させ、自由な意思決定なしに隷属を招く恐れがあるため、不正な伝道方法であるといわなければならない。
A入信後に特異な宗教的実践(私の注・統一協会については、心情解放展での「罪の精算」としての多額の献金、実践トレーニング直後の献身、公式7年路程と祝福、様々な経済活動等が、特異な宗教的実践として認定されている。)を求められる場合、その宗教の伝道活動においては、入信後の宗教的実践内容がどのようなものとなるのかを知らせるものでなければならないとすべきである。信仰を得させた後で始めて特異な宗教的実践を要求することは、結局、自由な意思決定に基づかない隷属を強いる恐れがあるため、不正な伝道活動であると言わなければならない。
B人は信者以外の家族や友人・知人とのつながりにより常に情緒面での変化を遂げるから、一旦得た信仰であっても、これをいつまでも持ち続けるとは限らない。これはしかたのないことである。信仰の維持を強制するため、人の情緒面での変化をもたらす家族や友人・知人との接触を断ち切り、ゆがんだ形で情緒を形成させ、信仰を維持させることは、不正な教化活動であると言わなければならない(私の注・判決では、一神教の信仰を得るという決定は、論理によるのではなく、情緒を大きく動かされたことによる決定であると判断されている。)。
C宗教教義の実践をさせるという教化活動においては、不安や恐怖を煽ってどのような宗教教義の実践をさせても良いと考えることはできない。・・・金銭拠出の不足を信仰の怠りとし、そのことが救済の否定に繋がるとの教化活動は、その程度が行き過ぎと見られる場合は、やはり不正なものと言わざるを得ない。
(2) 統一協会の責任
@ 統一協会の信者らが原告らに行った伝道・教化活動は社会的相当性の範囲を著しく逸脱する違法なものであり、民法709条の不法行為を構成する。
A 信者の不法行為は、統一協会の教義の実践として行われたことがあきらかであるから、統一協会は715条の不法行為責任を負う。
信徒会の行為であるとの統一協会の主張を否定。
以上の諸事情(私の注・被告の主張する信徒会の活動とは、統一協会の活動であることが証拠によって認定されている。)に鑑みれば、宗教団体である統一協会の組織とは別個独立に連絡協議会又は信徒会という信徒団体が組織されていたとは到底認めることができず、統一協会が連絡協議会又は信徒会として主張する組織は統一協会の一部を構成するものであって、第1章、第2章で認定した信者の行動は、すべて統一協会の宗教活動として行われていた事実を左右すべき事情は何ら見あたらない。
(3) 損害について原告らの請求は、献金、セミナー代、着物代など一つ一つの出費を請求しているのでその総数は約1000になる。極めて細かく、すべての損害を請求している。月例献金などは当然の請求対象である。その論拠は、統一協会の違法な布教活動によって統一協会的人格を植え付けられ、その結果上記の支出をしたものだから・・というものである。
裁判所は違法な伝道・教化活動と上記各支出との相当因果関係を認め、統一原理を信じているが故の支出を損害と認めた。
入教関係費・認容率95%認容されなかった1例は、1人の原告が、勧誘された当時統一協会であることを知っていたからである。そのため、入教関係費、献金の一部は損害としては認められなかった。但し、この原告についてもその他の損害は認められている。
献金等・認容率96%
書証がなくても、ほとんどの献金が認められている。認められていないのは、月例献金と10分の1献金の双方を請求した場合には一方のみ、統一協会的な一般性のない名称の特別献金については認めず、天地正教関係の献金が認められなかった(これは、原告側の立証不足であったと認められる。)。
物品購入・認容率81%
定着経済のゲスト原告(統一協会員の近親者や友人等)が自分のために買った物については、認めなかった。ゲスト原告が統一原理を信じていないことが理由である。ゲスト原告が統一協会員のために買ってあげてお金を出したものについては、損害として認めた。
あと、物品によっては書証のないものについて、認めなかったものがある。
献身損害・認容率0%
原告は賃金センサスを用いて損害額を計算して請求したのだが、人が死傷した場合に賃金センサスを用いて損害額を推計することは裁判実務で定着しているが、本件のように、意思の自由が阻害されてその結果仕事をできなかったという場合にまで、その計算方法を及ぼすことについては無理があるのではないか?と判断した。
そうすると、個別原告について退職時の収入などを用いて個別に積算せざるを得ないが、それは事実上不可能で、一定額を損害額として認定することは無理である。従って、慰藉料の要素として斟酌するというものであった。
慰藉料・認容率36%
原告らは、違法な伝道・教化活動に囚われ、財産的損害の填補だけでは償えない深刻な精神的・肉体的苦痛を受けたことが明らかであり、その苦痛は慰藉料をもって償われるべきであるとし、1人について最高額771万円を認めた。
慰藉料の算定のために、具体的な基準を定めている。
3 評価
橋詰判決の一番画期的な点は、その射程範囲が統一協会に限定されていないことである。今までの裁判実務では、正体を隠した勧誘が布教活動を違法とする最大の理由であり、その結果、そのことが言えるのは事実上統一協会に限定されていた。その他の問題のある宗教団体の布教活動には、司法は関与できなかったのである。その点が大きく変わった。
橋詰判決では「特異な宗教的実践」を求める場合には、その情報を示した上で信仰を得させるのでなければ、不法行為となると判断しているので、オウムもエホバも、特異な宗教的実践を求めていると判断されれば(当然、そう判断されると思うが)、その布教行為が不法行為となりうるのである。
また、同様に、家族・親族・友人・知己との断絶を作り出せば、そのことによってその教化行為は不正となると判断しているので、多くの問題のある宗教団体の教化活動が民事上違法行為とされる可能性がある。
2番目は、信徒会が行っているという統一協会の弁明を明確に否定したことである。統一協会が「信徒会」であると主張する組織について、統一協会の組織の一部にすぎないと認定した。原告らに対して行った統一協会員の伝道活動は、統一協会の宗教活動として行われたものであると明確に認めている。従って、統一協会は「信者団体のやったことです。」と弁明することはできないのである。社会的な存在である宗教法人として、この問題にどう対応するかが問われている。お金を支払えば終わりというわけにはいかないのである。人を不当に隷従させて、財産的収奪、労働力の収奪を反復しているものであるから、宗教法人としての存続が許されるかどうかという問題なのである。
3番目は、違法な布教・教化活動と入教関係費その後の献金、物品購入との間に「相当因果関係」を認めたことである。統一協会員となるまでの出費、なってからの出費の全てが、それらは統一原理を信じたが故の出費と言えるものである以上、例え、その出費の際に因縁話などで畏怖困惑させられるなど、意思形成の自由を阻害されたという事情が全くなくても、損害賠償の対象となることが明確となったことである。
このことは、全面的な被害回復のために、決定的に重要な立脚点を与えるものである。立証の負担も劇的に軽くなると思われる。2次訴訟原告の中には証拠なし、陳述書のみ(尋問なし・尋問は63名中10名のみ)という方が沢山いる。その方々も、損害を認められている。
4番目は慰藉料が劇的にアップされたことである。最高額が1人で771万円である。この原告の請求は慰藉料1000万円である。信者の肉体的・精神的苦痛に裁判所が始めて正面から向き合ったものと言っていいであろう。
但し、裁判所の基準によれば、献身期間の短い人などの慰藉料は意外と低いことになる。
献身損害が認められなかったのは残念であるが、法的に請求できないとされたわけではないので、これからの課題として追求されていくべきである。
以上