判  決  文 (一部)

4 協会員の行為の違法性

(1) 特定の宗教の信者が,その属する宗教団体への加入を勧誘し,教義の学習を勧奨してその費用を収受し,献金を慫慂してこれを収受し,宗教団体の活動への参加を求めることは,信教の自由により保障された宗教活動ということができるが,他面,それらは,その相手方の信教の自由を始めとする基本的人権を侵害するおそれもあることにかんがみると,自ずから内在的な制約があることを免れない。そして,それらの宗教活動が,社会通念に照らし,外形的客観的にみて不当な目的に基づくものと認められ,また,その方法や手段が相当と認められる範囲を逸脱し,その結果,相手方に損害を与えるおそれがあるような場合には,たとえそれが宗教教義の履践の名の下に行われたものであっても,信教の自由としての保護の域外にあるものとして,違法性を有すると判断すべきものである。特に,その不当な目的が巧妙に秘匿されているため,善意の相手方が個々の行為について外形的に任意に承諾していると認められる場合であっても,その目的を知った場合にもなおこれに承諾を与えたであろうと認められる特段の事情がない限り,その承諾の存在は,何ら上記の違法性の判断を妨げるものではない。

(2) 本件の原告らは,いずれも時期を異にして被告協会への加入を勧誘されて加入した者であり,その加入に至る経緯はいずれも事情を異にしている。しかし,前記認定のとおり,被告協会の協会員による原告らに対する加入の勧誘等は,組織的体系的に整然と行われていることに注目すべきである。

 その勧誘等の手段方法について指摘すべき特徴的なことは,第1に,その勧誘等の方法が,長年の組織的勧誘等の経験に基づいた手法に基づき,組織的体系的目的的に行われているという点である。すなわち,毎月の動員,献金,販売等の目標を定め,その達成のため,宗教教義の勧誘であることを厳に秘匿して行う友人からの電話のほか,街頭アンケートや各戸訪問における手相,占い,姓名判断などでの反応を契機として,人生相談や各種占い,あるいは生涯学習,カルチャーセンターの名のもとに,被告協会の教義を伝道する目的で設置されたと認めるべきビデオセンターへと言葉巧みに導き,そこにおいても宗教教義の伝道活動であることを悟られないように各種教養・娯楽ビデオを混入させつつ,被告協会の教義に関心を持たせるように,また,その教義を正当として受け容れやすいような被告協会の教義に関するビデオを視聴させたうえで,さらなる学習意欲や好奇心をかきたてる。そして,いずれも周到な準備と計画の下に企画されたプログラムである,未婚者については,余人を排した合宿等の形式によるツーデイズ,ライフトレーニング,フォーデイズからさらに新生トレーニング,実践トレーニングを経て実践活動へと,既婚者については,同様に初級,中級,上級コースから実践活動へと,言葉巧みに導き,この間,善良にして親切で明朗な協会員による親身の指導と激励や賞賛の中で高揚感溢れる連帯意識を醸成して心情的帰属意識を植え付ける一方,過程ごとに受講者の感想を集約してその教義の浸透度を確認把握する中で,その悩みや弱点,本人や家族先祖の病歴や不幸な歴史,さらには心情解放展と称して本人が過去に抱いた罪障感を巧みに告白させ,探索したうえ,被告教会の教義とは直接の関連のない手相,姓名判断や家系図等を用いた根拠も疑わしい因縁話などにより,その心理的弱みを巧妙に突いてその不安を煽るなどして畏怖困惑させ,宗教的救いを希求する心情をかきたてて,被告協会の教義の学習の浸透を図ってきた。また,これらの過程で,相手方の信頼ないし無防備に乗じ,様々な機会を利用してその資産や収入を把握しつつ,財産などの経済的物質的利益に執着する卑しさを強調して,陰に陽に献金の慫慂をし,あるいは物品の販売をしてきた。このように,被告協会の協会員による被告協会への勧誘等の方法は,個々の勧誘等の行為それ自体を個別的外形的に観察する限りは,詐欺的強迫的手法を用いていることが明らかなものを除いては,本人も承諾納得の上での任意の選択を求めるものであって,それ自体の違法性を論ずることができないようにも見えるが,その勧誘方法が信者獲得という一定の目的のもとに,あらかじめ周到に準備された組織的体系的目的的なプログラムに基づいて行われているという前記のような事情に照らせば,その勧誘等の手段方法の違法性を判断するに当たっては,その個々の勧誘等の手段方法の違法性だけを論ずれば足りるものではなく,その勧誘方法全体を一体のものとして観察し,その一部分を構成する行為としての位置付けの中でその部分の違法性を判断することが必要であるというべきである。

 第2の特徴は,被告協会の協会員は,上記のように組織的体系的目的的に宗教団体である被告協会への加入を勧誘等するに当たり,当初はこの点を厳に秘しているという点である。前記のとおり,被告協会への勧誘の初期段階においては,宗教団体の活動であることはもとより,宗教に関する勧誘であることさえ秘匿するばかりか,特定の宗教教義に関する伝道ではないか,あるいはまた,宗教そのものの宣伝ではないかと尋ねられた際に,その者の宗教的寛容性の程度に関わりなく,これを完全に否定する態度を堅持し,あるいは巧妙にはぐらかす一方で,プログラム内容について外部の親子や夫婦に話をしないように言葉巧みに指導していたのであるが,これは,勧誘に当たっての欺罔的手段を弄したものといわざるを得ない。この点について,被告協会は,我が国における宗教的なものに対する根強い拒絶反応があることや被告協会に対する偏見が流布されていることから,当初の勧誘に当たっては,宗教であることを敢えて告知することなく勧誘していたというのである。なるほど,上記のような理由は,宗教教義の伝道活動に当たって,宗教性をことさらには告知したり明示したりせずにこれを行う必要性があることを示すものであると認められるから,伝道活動の方法が相当である限りは,そのことのゆえに上記のような方法が伝道活動としての相当性を欠くとまで断ずるのは適当ではなかろう。しかしながら,たとえば,非宗教的な思想のように,一般には,歴史的,経験的,科学的な合理性,論理性に基づく論証が可能であると考えられるものについては,その学習のいかなる段階においても,自らのあるいは第三者からの批判的な検討の結果に基づき,その科学的論理的な誤謬を見いだすことによって,その正当性を否定してその思想への傾倒を断ち切ることは可能であると考えられるのに対し,宗教上の教義の場合には,一般的には,超自然的事象に対する非科学的,非合理的な確信に由来する信仰に基づくものであると考えられるため,その学習段階によっては,自らはもとより第三者からの批判的検討によっても,その科学的論理的な誤謬を指摘することが極めて困難であるばかりか,被告協会のそれのように,宗教教義からの離脱を図ること自体が罪悪であるとの教義を内包している場合には,その教義そのものがそれからの離脱を阻止する心理的に強度なくびきとなって,より一層,その教義への傾倒を断ち切り難い場合が生じるものと考えられる。これを要するに,宗教教義の勧誘の場合には,個人差が大きいものと推測されるとはいえ,宗教教義とは知らずに,したがって,意識的目的的な検証の機会を持つことができないままにこれを普遍的真理として受け容れてしまった者に対し,後になって,それが特定の宗教教義であることを明らかにしてみても,すでにその教義を真理として受け容れて信仰している以上は,外部の者がその誤謬を言い立ててみても,その客観的な検証の術がない以上は,科学的論理的説得をもってしても,その宗教教義からの離脱を図ることは通常極めて困難というべきであって,こうした事態に立ち至る可能性があることにかんがみると,それは,その者の信仰の自由に対する重大な脅威と評価すべきものということができる。宗教上の信仰の選択は,単なる一時的単発的な商品の購入,サービスの享受とは異なり,その者の人生そのものに決定的かつ不可逆的な影響力を及ぼす可能性を秘めた誠に重大なものであって,そのような内心の自由に関わる重大な意思決定に不当な影響力を行使しようとする行為は,自らの生き方を主体的に追求し決定する自由を妨げるものとして,許されないといわなければならない。したがって,宗教教義の伝道に当たって,宗教教義であるかどうかを尋ねられてもこれを意図的に否定するというような積極的な欺岡行為を施した上,あたかも特定の宗教上の教義を超えた普遍的真実を流布しているという外形をまとって伝道するような行為については,被告協会の主張する上記のような事情を考慮しても,伝道の方法としては許容し難い不公正な方法であるとの批判を免れない。

 第3の特徴的な点は,被告協会の協会員がその勧誘に当たって,被告協会の宗教教義とは本来関連がないような手法を駆使し,その教義上からも根拠があるとは考えられないような害悪を告知するなどして,欺罔威迫するという勧誘等の方法を用いていることである。すなわち,被告協会の協会員は,原告らに対する伝道活動に当たって,被告協会の教義とは本来関連がないというべき手相,姓名判断や家系図鑑定をほとんど例外なく行っているが,その判断や鑑定を行う者は,単に市販されている本や内部のマニュアル本を学習し,先輩の講義を受けただけであるにもかかわらず,もっともらしい鑑定等を行うばかりか,時には,あたかも,斯界の権威であるかのように霊能力を偽装し,虚偽の事実を告知して鑑定等を行い,その伝道活動への関心を煽ったり,教義上の根拠のない害悪を告知して献金や物品の購入を迫ったりしている。こうした行為は,その教義の伝道方法としての相当性を欠いているというべきである。とりわけ,こうした行為が,いわゆる霊感商法といわれる詐欺ないし恐喝行為というべき勧誘方法と類似した手法を,被告協会の協会員の勧誘のマニュアルとして踏襲した結果とうかがわれる点は,その違法性を判断する上で見逃すことはできない。

(3) 次に,被告協会の信者による一連の勧誘行為の目的について検討する。
 その勧誘の目的は,被告協会の信者となる協会員の獲得であることは明らかである。問題は,その獲得した協会員の行う活動にある。協会員は,上記のような不公正な手段を駆使してでも,さらに新たな協会員の獲得のために活動することが求められる一方,万物復帰を始めとした宗教教義の名の下では抗い難い献金や出捐が間断なく,また時には,自らの資産や収入から考えると不相当というべき献金が求められるだけでなく,その修行過程のプログラムとして,それ自体が被告協会の教義とは直接の関連性があるとは認められない各種商品(印鑑宝石,毛皮,絵画,茶,化粧品,サウナ設備,浄水器,珍味)の販売活動や目的を偽った募金活動などに従事することが組み入れられ,その積極的な活動が執拗に求められることである。そして,その販売活動に当たっては,常に客観的にみても達成が困難と考えられるような販売目標を,それも動員人数と売上金額を各人ごとに定めることになっており,その目標の到達のために,極端な例としてはキャラバン隊にみられるような肉体的精神的限界を極め,あらゆる手段を尽くすことが求められる一方,そのような労役の提供に見合うような対価の支払は一切ないに等しいばかりか,原告らの多くは,自ら購買者となって,その売上げに協力することが求められ,また,一連の活動の過程においては法規に触れることも厭わないものとされ,その目標の成就すなわち集金活動の成功こそが信仰のあかしとさえ受けとられるような体系に組み入れられている。このような経済活動が一時的偶然的なものではなく,また,特定の宗教上の必要に迫られたものあるいは宗教教義そのものの現実化とみるべき事情もなく,むしろ,これを外形的客観的に見る限り,経済的利得のために,宗教教義の名を冠して,労働法規を始めとする強行法規を潜脱しようとしていたものといわざるを得ない。とりわけ被告協会の教義その他公式に関係者が表明している言説を見る限り,伝道の対象を特定の者に限っていたものではないと思われるのに,実際には,身体の不自由な者,病者など精神的救いの伝道の契機があると考えやすい人達を逆に類型的に伝道対象者から除外する指導がされていたことは,その伝道が純粋に宗教的目的に出たものではなかったことを如実に物語っている。
 こうした経済活動について,被告協会は,被告協会の教義にいう万物復帰が意味するところとは異なるものであり,被告協会が信者に経済活動を行うことを求めることはないと主張している。この点は,前提事実に記載した被告協会の機関誌に掲載の被告協会関係者の言説と整合するのかどうか明らかではないが,被告協会が主張するとおりであるとすれば,むしろ,被告協会の協会員らは,原告らに対し,被告協会の教義であるとか,教義に沿うなどと偽りを言って,原告らに対し,上記のような献金を奨励し,経済活動等を行わせたものであって,それ自体が欺罔行為というべきである。
 いずれにせよ,被告協会の協会員が,協会員となった原告らに求め,あるいは求めようとしていたものは,上記のような勧誘,献金及び経済活動なのであって,これを外形的客観的に観察して直截に表現すれば,原告らの財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産という不当な目的にあったということになる。

(4) 以上の認定判断に基づいて本件の原告らに対する一連の勧誘活動等を見ると,結局,それらは,原告らの財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産という不当な目的に基づきながら,これを秘匿した上,人の弱みに巧みにつけ込み,宗教教義とは直接の関連のない不安を煽り立て畏怖困惑させながら,信仰に到達し得る段階までは被告協会という宗教団体の教義であることを否定するな’どしてこれを明かすことなく,その救いを被告協会の教義に求めるように誘導すべく組織的体系的目的的に教育を施し,その各過程において,入教関係費,各種物品購入費用を出捐させ,また,被告協会の教義であることを明らかにした後には,上記のような目的を知らない原告らをして,宗教教義の名の下に,さらに同様の費用を出捐させたほか,無償の労役の提供をさせたり,新たな協会員獲得のための伝道活動に従事させたものであって,それらは,社会的にみて相当性があると認められる範囲を逸脱した方法及び手段を駆使した,原告らの信仰の自由や財産権等を侵害するおそれのある行為というべきであって,いずれの原告に対する関係においても,違法性があると判断すべきものである。
 なお,原告らの中には,アンケートや友人の誘いに応じて,何の畏怖困惑を覚えることなく入教関係費や献金の出捐に応じた者がいるけれども,前記のとおり,入教関係費は,協会員の上記のような組織的体系的目的的な違法行為に基づく結果の実現のために不可欠というべき被告協会への入会の端緒となる費用なのであり,献金は,その金額の多寡に関わりなく,もともと被告教会の教義の名の下での当初から予定された経済的な収奪目的に従って徴したもので,原告らの出捐の時期態様からみて,協会員からの陰に陽にの慫慂に基づくものと推認されるから,それらを出捐させてこれを収受する行為も,違法性を帯びるものと言わなければならない。いずれの原告においても,協会員の不当な目的を知っていてもなおその出捐等に応じ,被告教会に入会したと認められるような事情はない。

(5) 被告協会は,信教の自由には,それをいついかなる形で告白するか否かの自由も含まれているから,相手方の理解度に応じ段階的に開示したとしても社会通念上何ら問題はないし,また,宗教における勧誘・教化行為は教育であるから理解度に応じ学ぶ内容が段階的に示されることは当然であると主張するが,宗教上の信仰の選択の前記のような重大性に照らすと,宗教教義であることをことさらに否定したうえ,その点について疑問を抱く者に対してさえ教義の全体を鳥観する機会を奪ったまま伝道行為を行うことは,不公正とのそしりを免れず,被告教会の上記の主張は採用できない。
 被告協会は,原告らは各種活動をやめようと思えばいっでもやめることができたのであり,現に献身に至るまで多くの人がやめていったのであって,そこには何の肉体的拘束や強制,脅迫もなかったことを挙げて,その入会,伝道活動等が原告らの任意の判断に基づくもので違法性がないと主張するけれども,その勧誘等の行為がその目的手段方法等に照らし,違法性があると判断すべきであることは,上記説示のとおりであり,原告らが,外形的には任意にこれを選択したものであり,その選択に当たり物理的強制力や脅迫も働いていなかったことは,その違法性の強弱及び損害の程度を検討するに当たっては考慮すべきことではあるが,原告らに対する違法性の存否を判断する上では,そのことのゆえに違法性がないと判断すべき事情には当たらない。他の多くの人が途中でやめていったことは,強制や脅迫がなかったことをうかがわせるとはいえ,そのことのゆえに現に被告協会に入会し,各種活動に従事した原告らに対する上記の違法性が当然に否定されるものではない。原告らが主張するいわゆるマインドコントロールを前提とするのであればともかく,当裁判所の前記のような認定に立つ限りは,被告協会の主張は,上記違法性の判断を左右しない。したがって,被告協会の上記主張は理由がない。
 被告協会は,上記のような被告協会員の入教勧誘等の行為が違法であるのであれば,原告らも協会員となって同様に違法な行為を行った者であって,これによる損害賠償の責任を果たしていない以上,被告協会に求償することはできないと主張するけれども,原告らは,被告協会の協会員に欺罔等された結果,情を知らないまま上記のような行為に及んだのであるから,原告らがその違法行為に加担することになったからといって,協会員らの違法行為によって被った損害の賠償を被告協会に対して請求をすることができないとすべき理由はない。

第2 争点2(被告らの責任原因)について

1 被告協会の責任原因
 前記のとおり,原告らに対する違法行為に携わった協会員が所属する部署(被告協会が連絡協議会と呼ぶ組織)は,被告協会の非公式的な一部門に属していたか,あるいは,少なくとも,その活動が,被告協会のものとして明示的又は黙示的に許容され,その指揮監督下に置かれていたと推認され,かつ,協会員の上記違法行為は,いずれも被告協会の教義の伝道ないしそれに基づく宗教的体験の場としてなされたものであるから,上記違法行為は,外形的に被告協会の事業の執行につきなされたものといえる。そして,上記認定の事実に照らせば,原告らに対して直接勧誘した者はともかく,被告協会が連絡協議会と呼ぶ組織の責任者においては,少なくとも,それらの行為の違法性を当然認識していたと推認するのが相当である。
 そうすると,被告協会は,少なくとも,協会員の行った上記違法行為について民法715条1項に定める使用者責任を免れない。そして,被告協会において,民法715条1項に基づく責任があると判断される以上,原告らの主張する民法709条に基づく請求や宗教法人法違反の主張については判断する要をみない。

平成13年6月29日
札幌地方裁判所民事第5部

裁  判  長  裁  判  官     佐  藤  陽  一

         裁   判   官     本   田    晃

         裁   判   官     中   里    敦

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