弁護士報酬敗訴者負担制度について
弁護士 郷 路 征 記
1.はじめに
札幌地方裁判所昭和62年泊謔U03号、昭和63年泊謔P929号、平成2年泊謔T20号、平成4年泊謔P775号事件、いわゆる「青春を返せ訴訟」を素材にしながら民事訴訟の迅速化と弁護士報酬の敗訴者負担問題について考えてみる。
この裁判が最初に提訴されたのは昭和62年3月19日である。第一審の判決は、69回の口頭弁論期日を重ねて平成13年6月29日であるから、一審で約14年3ヶ月かかったことになる。札幌地方裁判所民事5部の佐藤陽一裁判長は判決言い渡しの前に、一審で14年もかかったことについて「裁判所が職責を全うしていない」という批判を甘受すると述べた。そして佐藤裁判長らが事件を担当した最後の2年間について、訴訟関係人の訴訟進行についての協力に感謝すると述べた。
この訴訟は統一協会の布教方法が憲法の保障している思想信条の自由を侵害していることを請求原因としている憲法訴訟であって裁判上初めての論点を含んでいる。また、統一協会の布教方法はその各段階で対象者の同意と承諾を得た上で進められることを特徴としていて、暴力や薬物が使われることがなく、あからさまな脅迫などもほとんどの場合使われていないので、憲法違反の事実がわかりにくい。従ってその布教方法が、法的な評価としては、暴力を用いているのと同じ程度に対象者の自由意思を侵害しているのだということを主張立証するために、莫大なエネルギーを投下せざるを得なかった事件であった。
原告訴訟代理人としては、何のゆるみもなく、時間を浪費することなく14年間訴訟活動を展開してきたと信じている(妻の闘病と死に、仕事を休んで付き添ったため約1年間の空白があるが)し、佐藤裁判長らの以前にこの事件を担当した裁判官らもそうであったと信じているので、佐藤裁判長が一審で14年間かかったというだけで上記のような発言をしたことには、違和感を感ぜざるを得なかった。
2.事件の経過・前段
(1) 以下事件の経過に照らして原告訴訟代理人としての主張を展開してみることにする。訴訟の経過は別紙「札幌『青春を返せ!』訴訟経過一覧」(以下「一覧」という)記載のとおりである。
(2) 札幌地裁判決は統一協会の布教方法がその対象者の思想信条の自由を侵害する恐れのある行為であることを認めた。そして宗教団体の布教方法がその対象者に対して違法となる場合の基準として、その目的が不当な場合で、その手段方法が社会的相当性を欠いている場合で、結果が対象者に損害をもたらす恐れがあった場合であると定めた(別紙「判決文(一部)」参照)。
原告の請求原因も最終段階では基本的に判決と同じようなまとまり方となったが、原告の請求原因が最初からそのような形でまとまっていたわけではない。
(3) 昭和62年3月に提訴された段階では、原告の側の認識は統一協会の布教方法がいわゆる「洗脳」であり、人の自由意思に反して特定の信仰を注入するものであり、従って無効であるということであった。統一協会の布教方法について、隔離、反復、精神管理、食事管理、睡眠管理といういわゆる洗脳的と言われている基準に従って検討、指摘をしていたのである(一覧1頁)。
(4) 原告はその後昭和63年8月頃には、「人格の中核、人間の尊厳の中心をなす内心の自由、すなわち思想信条の自由、信教の自由は現憲法下において最も崇高な価値である。それはその人のパーソナリティの根幹をなす価値である故に、その取捨選択はあくまでその人の主体的な行為、選択によらねばならない。統一協会の行為は強制的に価値観の変換をもたらしたものなので、憲法に違反する」という主張を開始した。統一協会の布教方法が憲法違反であると明確に主張をしはじめたのである(一覧2頁)。
主体的選択の自由を奪っているという評価のメルクマールとして、昭和63年8月12日の準備書面で、統一協会が布教主体であることが秘密にされるとか、修練会での賛美のシャワーとか、温かい人間関係とか、他の価値観から遮断された状態でのくり返しの講義とか、大脳新皮質の活動の低下を意図的におこさせて自分の持つ価値基準を働かせないようにする技術が使われているとか、恐怖の観念が植え付けられるとか、感情の高揚が作り上げられる等の主張が行われている(一覧2頁)。洗脳的主張からかなり脱却してきている。それができたのは統一協会の布教課程についてその頃出版された、統一協会脱会者の体験記に基づいて、事実を分析しているからである。しかし、まだまだ全面的に分析できているというものではなかった。
(5) 原告代理人としては統一協会の布教課程の全面的、科学的分析を目指して「洗脳的」事柄に関連する様々な学問領域について調査を行っていた。
そして平成3年初め頃、スティーブン・ハッサンの『コンバッティング・カルト・マインド・コントロール』(邦題名『マインドコントロールの恐怖』)が英語のわかる友人から原告代理人にもたらされたのである。それを訳出して検討を開始したところ、それはアメリカにおけるカルトの布教課程について著者の体験をベースとした記述であって、日本の統一協会の布教課程を分析するために極めて有用であると思われた。
その本の中でカルトの布教課程には催眠の技術と社会心理学の技術が多用されているという指摘があった。それで催眠と社会心理学に関する勉強を開始したのである。買って読んだ本は沢山あるけれども、裁判で利用させて頂いたのは、催眠に関しては立命館大学斉藤稔正教授の『催眠法の実際』や、池見酉次郎氏の『催眠、心の平安への科学』である。社会心理学に関してはフェスティンガーの『認知的不協和の理論』、スタンレー・ミルグラムの『服従の心理』、チャルディーニの『影響力の武器』等である(一覧4頁〜5頁)。
特にチャルディーニの『影響力の武器』との出会いはこの問題の研究にとってエポックメイキングな出来事であった。『影響力の武器』を一読してこれは極めて有用だという判断から(一覧5頁)、その訳者である安藤清志教授を霊感商法被害対策弁連の全国集会にお招きしてその講演を聞き(一覧6頁)、その縁から共訳者の1人であり、ビリーフの変化を研究テーマとしている西田公昭静岡県立大学助手(当時)と連絡がつき、同氏が統一協会の布教課程について科学的に分析を開始してくれたからである(一覧6頁)。
(6) そのような中で、平成3年11月から原告代理人は統一協会を脱会をした人達に週1回集まってもらって、統一協会の布教課程をビデオセンターの勧誘のところから実践トレーニングまで詳細に聞き取るという作業を開始した(一覧7頁)。マインド・コントロール研究会と名付けられたこの会合には毎回10名くらいの元信者達が参加して、チャルディーニやスティーブン・ハッサンの本で指摘されている諸技術が、自分たちの受けた布教課程にどのように利用されていたのかということを克明に話しあった。
統一協会の布教課程は極めて複雑狡知であるため、布教対象者1人1人に個別に事情を聞いてもその全体像は明らかになりにくいと思われる。統一協会の布教課程は多様なタイプの人達をからめとるために様々な手段が用意されているので、多様な人達の意見を集めることによって全体像が判明するのである。以上のような方法で3年くらいマインド・コントロール研究会は行われた(この研究会は元信者の人達の「リハビリ」にも、極めて有効であった・別紙「一審判決勝訴を振り返って」参照)。その努力によって統一協会の布教課程の全体像を事実に則して、尚かつその事実を社会心理学などの科学に照らして分析する作業が初めて可能になったのである。
原告代理人がその結果を準備書面として提出するようになったのが第26回期日、平成4年9月4日からである(一覧6頁)。その主張が全部完結したのが第34回期日、平成5年12月10日であった(一覧8頁。その主張の概略は別紙「マインド・コントロール一覧表」参照)。なお、現在まで統一協会からこれらの準備書面について一言の反論も批判もない。従って準備書面に記載された統一協会の布教課程は事実そのものなのだと考えることが許されよう。この成果は『統一協会 マインド・コントロールのすべて』(1993年教育史料出版会)として出版されている。
最終準備書面を除いた訴状、準備書面の総字数は約66万字になった(別紙「統一協会訴状・準備書面総字数」参照)。
(7) その主張を展開した後、立証段階になった。原告側の総論立証は西田公昭氏を3回、原告のAを4回、青年の教育を担当していた証人aを3回、壮婦の教育を担当していた証人bを2回、壮婦の実践を行っていた証人cを1回行った。被告側は統一協会の総務局長岡村信男、ハッピーワールドの副社長で全国しあわせサークル連絡協議会の副責任者と称する小柳定夫、統一協会札幌地区の教育面で指導的立場であった証人E、証人F等が総論担当の証人であった(一覧8頁〜9頁)。
3.事件の経過・後段
(1) 平成11年4月、総論立証が終わり個別立証も2人終わった段階で裁判所の構成が全く変わって、佐藤陽一裁判長、本田晃裁判官(主任)、中里敦裁判官となった(一覧9頁)。
佐藤裁判長は訴訟を迅速に進行させることを考えていた方のようで、平成11年4月21日の第1回進行協議で「今は裁判の長期化に対する国民の各方面の批判が強くて年数だけで弁明できないことがある。」、「先生、平成に産まれた子供がもう10歳ですよ。昭和と言うだけで卒倒する人がいる。前任の裁判官のお気持ちがわかるわけではないが、今年いっぱい5回の期日が入れられているのはそろそろ終結をと考えられていたのではなかったか。裁判所としては、そろそろ終結を見越した審理計画を立てて行きたい。」と言明した。
そして判決によらない解決方法についても検討して頂きたいと和解を進める姿勢を明らかにしたのである(一覧9頁)。原告はこの訴訟について、金の問題ではない、心の問題だと主張していたので、裁判長のこの発言は原告にとって判決内容が不利であることを極めて強くにおわせることになるものであった。
(2) その当時訴訟は、各論立証をどうするかということが問題になっていた。原告代理人としては前の裁判所の態度等から、各原告について原告本人尋問をすることなく陳述書を提出することで個別立証は十分ではないかと考えて、その旨を表明していた。それに対して、統一協会はすべての原告に対し陳述書だけの立証で反対尋問をしないことはできないとし、原告全員の尋問を申請するとともに(一覧9頁)、各原告に対応した統一協会側の証人を申請するという姿勢を示してた。いずれにせよ原告が陳述書を作成することが課題になっていて、陳述書の作成を急ぐように言われていた段階であった。
佐藤裁判長の上記の態度や、後日原告の提出した陳述書の証拠価値を低く見る態度に接して(一覧10頁)、原告代理人は尋問未了原告全員の尋問を申請した(一覧10頁)。ところが統一協会側は訴訟を一刻も早く進める姿勢に転換した。そして、上記の尋問未了の原告本人尋問の申請を、従前の約束の撤回ととらえ、そのことが審理促進にマイナスの影響を与えるために原告代理人に反発を覚えたと思われる裁判所と一体となって、集中的な審理を厳しく要求するようになった。
原告代理人が反対をし続け、そんなに期日をつめて入れられても対応できないとどんなに抗議をしても、両者一体となった強圧ははね返すことができず、抗議を無視して期日は入れられてしまった。
平成11年7月2日に平成12年1月25日から12月5日まで全日の期日が7期日指定された(一覧12頁)。後に1期日が追加されて平成12年の開廷は全日が8期日となった(一覧13頁)。そして1人の尋問については主尋問50分、反対尋問50分で行うという決定が行われた。その結果、その後結審までの1年6ヶ月に調べた原告本人、証人は29名となった(うち、私が担当したのが22名である)。
(3) 原告の陳述書は、原告本人尋問の50日前までに各原告のものを裁判所に提出することと約束され、それが実行された。その作業そのものが極めて大変な事だった。提出された陳述書はB5縦書きで約835頁、字数にして約38万字になった。この作業は原告代理人事務所の事務員が担当し、原告等に対して陳述書に記載すべき事項の概要を示して、原告等が詳細な内容を書き、それをコンピュータに入力して、入力したものを弁護士がチェックした。弁護士のチェックは基本的に「てにをは」と指示代名詞、要するに読みやすい文章にするということを目的として行われた。それでも膨大な文章なので、その作業を行うためにかなりの時間を必要とした。
(4) 本件の原告本人尋問についての最大の困難は、原告らが統一協会に入教する際に個人史の極めて深い部分、心の奥底にしまっている事についてまで統一協会に話しをさせられてしまっていて、それがニードとして統一協会に把握され、そのニードを基礎に罪の意識を与えられたりして、統一協会に引きずり込まれていっており、その、自分の心の奥底にあった悩みなどをもう一度、事件を依頼したとはいえ赤の他人の弁護士に話さなければならないということなのであった。しかも公開の法廷でその事を言わなければならないのである。
そして、青年の場合には必ずしもそうではないのだが、心の奥底にしまわれている事が、性的な問題と関わっていることが多いのである。統一協会が性的な問題と罪の意識を意図的に結びつけようとしているからである。だからそのことは人には言いたくない事なのである。しかし、その点を伝えられないと原告代理人としては何故その人が統一協会に引きずり込まれていったのかという、その道筋が見えてこないことになるし、裁判所にもその事がわからないことになる。それで繰り返し「どうしてなの?」という質問をするのだが、なかなか話してはくれない場合がある。
原告代理人は原告らとの打ち合わせに際して、原告らがそういった問題をも認識し直して、そのような自分の問題をどうやって乗り越え克服すべきなのか考えて欲しいと思っていた。それがその人にとって統一協会問題の総括になり、その土台の上に新しい人生を歩んでいけると考えたからである。又、その事を明確にすることが裁判所に対しても訴える力になると思ったのである。100時間ぐらいも打ち合わせの時間が必要だった人もいる。従って、尋問のための打ち合わせに要した時間は極めて多大なものにのぼったのであった。そのような問題のあまりない人の場合が別紙「第57回、原告本人尋問のための準備作業」のとおりである。
(5) この事件への上記のような取り組みが一因で(平成10年11月24日に独立したばかりという要因が別にあったが)、原告代理人事務所の平成11年の収入は約450万円にすぎなかった。平成12年の収入は約900万円である(この中から税金や国民健康保険料が支払われる)。統一協会の作業にほぼ専従している事務員も1人雇用している(上記の陳述書の外に大半の書証のPDFファイル化や全証言調書のテキストファイル化、莫大な量のテープの反訳作業があり、このサポートがなければ到底裁判は遂行できなかった)。裁判が同じようなペースであと数年続いた場合、事務所の経営が危機に瀕するのではないかという恐怖にとらわれた。
弁護士の実状について裁判官には色々と判らないことがあると思われるけど、収入を自分で稼がなければならないということの厳しさ、これが裁判官には絶対に判らないことだと思われる。
このような作業をしつつ、収入を得るために一般の仕事をし、平成11年3月までは弁護士会の責任ある忙しい会務などもあったために、平日はだいたい午前10時から午後の10時〜11時くらいまで、土日、国民の祝日なし(大体、午後1時から午後7時まで働いた)の生活が強いられた。
これ以上、同様の作業を続けていれば身体を壊すことになったであろう。平成12年には左肩、左腰、左腕に恒常的な痛みがあって、疲労が蓄積した時には仕事に向かうこと自体が困難になった。頻繁に居眠りするか休みをとらない限り仕事をする事が出来ないという状態にまでなっていた。
(6) 平成12年12月5日に証拠調べが全て終了した段階から、最終準備書面の作成作業にかかることになった。最終弁論期日は平成13年3月29日に指定された。甲号証が473号証まで、乙号証が222号証まで、証人、本人あわせて45名の証拠調べの結果を整理する作業は極めて厳しく、3月はそれにほぼ専従することになった。その結果、最終準備書面として約50万字、B5縦書きで999頁のものを作成したが、もう2度とあのような作業はできないだろうと思われる。
4.画期的な判決
(1) 6月29日言い渡された判決は、原告勝訴の極めて画期的な内容のものであった。宗教団体の勧誘活動が国民の基本的人権を侵害した場合には違法とされる事があることを詳細な事実の認定に基づいて解明した素晴らしいものだった(判決の内容については別紙「判決文一部」、判決の意義については別紙「統一協会の伝道は思想信条の自由を侵害する」を参照)。
上記のとおり、訴訟進行についての厳しいやりとりで、原告代理人は裁判所に対して強い警戒感を感じていたし、裁判所も冷たく官僚的に対応してきていた。しかし、決定された訴訟進行のルールを、他の仕事を切り捨てて(特に弁護士会の会務が犠牲になった。何もできなくなった。家庭裁判所の調停委員も辞めさせてもらった。25年間継続してきた刑務所の篤志面接委員も辞めざるを得なかった。)何とかやり遂げたことや、原告らの供述の説得力によって、裁判所の対応にもやわらかさを感ずるようになっていったし、判決を聞いたときにはその内容の素晴らしさによって、そんな思いは一挙に吹き飛んでしまった。
(2) 佐藤裁判長ら3名の裁判官はとても有能な裁判官であると思う。判決文はA4横書き521頁、総字数は約50万字である。裁判官はこの判決を自分でコンピューターのキーをたたいて作成したと思うのである。それだけでも敬服に値する。原告代理人の最終準備書面は口述したものを事務員に入力させて作成している。
判決の事実認定は、証拠をよく読み、よく分析して書かれている。決して無理な認定をしていない。認定を要する各論点について、厖大な証拠の中から必要な部分を探し出して摘示している。大変な作業ではなかったかと推測する。相手方の証言などで、認定事実に反するものについては、それを信用することのできない理由が詳しく説示されている。相手方の主張や証言の内容を深くとらえて、それを巧みに判決の認定の根拠に変えている。
これらの点には、裁判官としての仕事のなかで鍛えられてきた才能を感ずることができる。弁護士の私が裁判官になったとして、その能力を身につけるにはどれだけの時間がかかるかと思わされる。
宗教団体であることを秘して勧誘することの問題を指摘した部分の深い考察も賞賛に値する。
(3) しかし、そのように有能な裁判官であるからこそ、訴訟を迅速に進めることを第一義的使命と自覚した時には、それに抵抗する弁護士に我慢しがたいとの思いを抱くのではないだろうか?
別紙「裁判所に顕れた活動と顕れない活動の対比表」は、原告代理人の本件訴訟に関連する取り組みの、ある時期の時間を表示したものである。原告代理人が裁判官の前で活動しているのは、わずかに4回、13時間30分にすぎない。表には記載されていないが12月14日にあった期日を入れても5回、17時間30分なのである。それに対して裁判官の見えないところでの活動は171時間17分に及ぶ。この事件についてだけではなく、目に見えない部分の方が多いということは、すべての事件について同じような状況なのである。
このような弁護士の活動については体験がなければ理解できないと思われる。その無理解が、有能な裁判官が善意でありながら、弁護士にとっては無理な訴訟進行を図ろうとする原因のひとつなのではないかと思われる。
5.弁護士報酬敗訴者負担制度の問題点
(1) この分野では歴史的なものと思われる判決も、以上のような取り組みの中から初めて生み出されたものであって、これが例えば弁護士報酬の敗訴者負担制度が導入されていたら、そもそも訴訟そのものが起きなかっであろうと思われる。
原告達は訴訟提起の際はほとんどが統一協会から脱会した後の心理的な回復期にあって就職も出来ていない場合が多く、就職していたとしても不定期就労などで、とても弁護士費用を負担して裁判をおこすことなどできない状況にあった。家族もまた、統一協会に経済的に収奪されて疲弊している例が多かった。以上のことと、この事件が人の心の問題を扱う訴訟だということから、この訴訟は着手金はなし、勝った場合に成功報酬が1割と、かかった費用を支払うという約束で始められたのである。負けた場合には、一切の負担を原告代理人が負って、原告達に経済的負担がかからない約束なのである。
(2) ところが弁護士報酬の敗訴者負担制度が導入されたなら、敗訴になった場合の相手方の弁護士報酬を考えなければならないことになる。この事件で想定される弁護士報酬の額を考えたなら、訴訟提起をしないと判断する原告が全てであったと思われる。その金額を負担するリスクを犯してまで原告代理人も訴訟ををおこす事は出来ない。
また佐藤裁判長は何度か和解による解決を勧めてきた。この訴訟は金のためにおこしているのではないと原告達は考えていたから、一切の和解の勧めを断った。しかし弁護士報酬の敗訴者負担制度が存在していた場合には、原告側に不利であるという心証を開示しながら行われる裁判官の和解の勧めに抵抗することは不可能だったと思われる。
そうするとこの様な社会的に意味のある判決は勝ちとられることはなかったわけで、統一協会の行っている不当な行為が裁判所によって指摘されることなく継続されることになり、結局弱者がより一層の負担を負わされることになる。従って弁護士報酬の敗訴者負担制度は民事訴訟の持つ、社会的正義の実現という機能を衰退させるという極めて重大な問題を持っているのであり、決して導入されるべきではないのである。
6.迅速な訴訟と正しい判断
司法制度改革審議会の意見書は、民事裁判の迅速化のために計画審理を推進せよという。全事件について審理計画を定めるための協議をすることを義務づけ、手続の早い段階で、裁判所と両当事者との協議に基づき、審理の終期を見通した審理計画を定め、それに従って審理を実施すべきであるというのである。
しかしながらこの訴訟が示すとおり、裁判の請求要因が明確に固まっていなくても、結論として悪を放置できないというやむにやまれぬ思いで、裁判をおこさざるを得ないことがある。行政は、そのような場合、何もしてくれないのが通例である。
そして、裁判の過程を通じて社会的批判の結集による悪の抑止がはかられたり、弁護士や原告本人や学者などの共同研究が広がって、そのテーマについての研究が深まり、事実が学問に従って解明されていく事があるのである。この訴訟はまさしくその様なケースであった。
最初から計画審理、計画審理と、司法制度改革審議会の意見書のようなことが行われていたら、この訴訟はとっくの間に原告敗訴で決着をつけさせられてしまっているか、和解を押しつけられているだろう。敗訴してしまえば統一協会の悪が許されたことになるばかりでなく、統一協会の布教過程を社会心理学によって分析することもなかったはずで、結局、社会が統一協会の不法を知ることが遅れたことになったのである。
従って事件によってであることはもちろんであり、又、訴訟代理人の訴訟活動のゆるみを許すわけではないが、十分な時間をかけての準備を許容するような裁判制度ではないと、この種の事件で社会的弱者である原告等が勝訴して、その問題について正しい解決がつけられるということは望めない。したがって、裁判の迅速化だけを目標にして、裁判の正しさの追求を不問にしかねない最近の風潮は極めて問題があると考えている。以上