準備書面(9)マインド・コントロール

平成16年(ワ)第1440号
損害賠償請求事件
原  告  ○○○○ 外51名
被  告  世界基督教統一神霊協会

準 備 書 面(9)

平成18年9月4日

札幌地方裁判所
     民事3部合議係 御中

原告ら訴訟代理人             
弁 護 士   郷   路   征   記
弁 護 士   内   田   信   也

目         次

1 はじめに
2 社会心理学的諸技術の力について
3 正体を隠した伝道
4 感情を揺さぶって決定させる
 (1) ライフトレーニングとフォーディズの受講決定
 (2) メシヤを受け入れる決定と献身の決定
5 宗教上の権威
6 事実関係に争いはない
7 5パーセントは低率か?
8 統一協会の犯罪性
9 ふたつのアイデンティテー
10 恐怖

1 はじめに
 この準備書面で原告らは、統一協会の布教課程がなぜ違法と評価されなければならないか、わかりやすく論述することに心がけた。
 統一協会の布教課程で統一協会が目標とする公式7年路程の受容という決定に至るために3段階の決定を配置していることの意味を、社会心理学でその意志決定への影響力が確認されているロー・ボール・テクニックと決定によって受講する布教課程における教育による認識の変化という点から解明した。
 正体を隠した伝道が、いかに、対象者の思想信条の自由に対して危険なものであるか、統一協会の布教課程では恐怖が意識に埋め込まれていくため、引き返すことができなくなってしまうという点から解明した。
 公式7年路程の受容は、すでに統一協会員となっている布教対象者にとって、宗教上の権威である文鮮明が解き明かした真理として提示されるからであるという面から解明した。宗教上の権威の影響力の巨大さについて触れた。
 公式7年路程の受容する人が100名のコース決定(ビデオセンターの受講決定)中5名になることの意味を解明した。他の手段では到底達成できない率であると考える。
 統一協会の行為の犯罪性を被害の特質から解明した。
 統一協会員における2つのアイデンティティについて論ずるとともに、意志決定の際に発生する2つのアイデンティティの葛藤を、自由な意思形成の阻害という側面から論じた。
 統一協会員のアイデンティティの重要な特徴である恐怖について論じた。

2 社会心理学的諸技術の力について
 社会心理学的諸技術という点について、統一協会の布教過程におけるそれは、どこにでもここにでもあるという程度のものではない。日常生活や人生的な選択における意思決定の際には、バラバラに少しずつ偶然的にしか存在しない「社会心理学的諸技術」が、統一協会の布教過程には、その全体に意図的に配置され、大量に用いられており、それはその他の技術と相乗効果を発揮して、それらなしには普通の人が到底真理と信ずるはずもないこと、即ち、文鮮明のための物売りが救いの道であるなどということを真理と信じさせるほどの威力を発揮するのである。以下にその技術の一例を検討する。
 決定という一見何でもないことが人間の意識や行動に与える重要な影響力について次のような社会心理学上の知見がある(以下、R.チャルディーニ「影響力の武器」誠信書房刊より。甲B第63号証)。
 馬券を買った直後では、買う直前より、自分が賭けた馬の勝つ可能性を高く見積もるようになっていたというのである。もちろん、その馬が勝つ可能性は現実には全く変わっていない−同じ競馬場だし、同じコースだし、同じ馬である−。しかし、ひとたび馬券を買ってしまうと、馬券を買った人の心の中では勝つ見込みが明らかに高まっているのである。それは、自分が既にしたことと一貫していたい(そして、一貫していると見てもらいたい。)という、ほとんど強迫的ともいえる欲求によるものなのである。ひとたび決定を下したり、ある立場を取ると、そのコミットメントと一貫した行動を取るように、対内的にも対外的にも圧力がかかる。そのような圧力によって、私たちは前の決定を正当化するように行動するのである。それを商売の手法として利用している例のひとつがロー・ボール・テクニックと言われるものである。
 ロー・ボール・テクニックとは次の通りである。まず、車を喜んで買うという決定を誘い出すための有利な条件を提示する(例えば、市価より10万円安い価格を提示する。)。そして、買うという決定がされてから、試乗させるなどのコミットメントを積み重ねさせる。その上で、契約が完了するまでの間に、もともとあった有利な購買条件を巧みに取り除いてしまうのである(必要な部品の価格を計算していなかったとか言って価格を10万円アップする。)。そのような状況のもとでは、お客が車を買うことはまず考えられないように思える。しかし、これがうまく行くのである。もちろん誰にでもという訳ではないが、多くのショー・ルームで重要な承諾誘導の方法となるくらいには十分効果をあげるのである。このことから、最初に車を買うという決定をした動機を取り除いてしまっても、コミットメントを深めさせることによって新しい動機が発生し、その動機が最初の決定を支えるのだということがわかるのである。
 統一協会の布教過程においては、この技術がより複雑に用いられている。統一協会が、勧誘を受ける人達に最終的に求める決定は、公式7年路程を真理と信じ、それを実践するということである。公式7年路程とは、原罪を脱ぐための唯一の手段である文鮮明による祝福(合同結婚式)を受けるためには、3年半の万物復帰(経済的収奪活動)と3年半の伝道(新しい犠牲者の再生産)活動を行わなければならないとする教義である。
 この教義はビデオ・センター→ツーディズ→ライフトレーニング→フォーディズ→新生トレーニング→実践トレーニングという統一協会の布教過程の最終段階である実践トレーニングの冒頭に初めて教えられる。すでに文鮮明をメシヤだと受け入れさせられて統一協会に入り、献身の決意をさせられ、献金、献品で無一文とさせられた人達に初めて教えられるのである。この教義をビデオセンター参加決定の際に教えられたら、誰一人として、ビデオセンターの受講をしないであろう。そのため、統一協会は本当の目的である上記の決定を、最初の段階では求めないのである。その代わり公式7年路程の受入れ決定まで3段階に分割した決定を求めるのである。その3段階の決定とは@ビデオ・センターとツーディズの受講決定、Aライフトレーニングとフォーディズの受講決定、B文鮮明をメシヤと受け入れ(いつか)献身するという決定である。それぞれの決定をさせて放置するのではない。各決定によって受講することになった布教過程の中で、真理であるとして、周到に準備したテーマによる統一原理の教育を行い、勧誘を受ける者の認識を変化させ、それを土台にして初めて受け入れが可能となる次の段階の決定を求めるのである。
 それはまるで、船を低い水路から高い水路へと持ち上げるような操作である。関門が開けられて船が第1の水路にはいると後ろの関門が閉じられる(これが「決定」の意味することである。)。閉じられた第1の水路に水が注入され(これが「教育」の意味することである。)第2の水路と同じ高さにまでなる。次の関門が開けられ(新しい決定が行われ)船は第2の水路へと進む。その操作の繰り返しにより、船は他の方法では到底到達し得ない高さにまでのぼるのである。

3 正体を隠した伝道
 そして、統一協会の布教方法においては、その水路がどこへ向かっているのかという1番最初に明らかにされなければならない最重要な点について虚偽がある。なぜ、その点が最重要なのであろうか?引き返すことが不可能になる水路だからなのである。なぜ引き返せないのか?布教課程の中で、表向きに語られる希望(救いとか地上天国)と一体のものとして、恐怖(地獄とか霊界とかサタンなど)が意識の下層に植え込まれていくからである。
 コース決定=ビデオ・センターとツーディズの受講の決定をさせることは大変な努力と運が必要なことである。統一協会はその決定をさせるために、精緻で慎重で継続的な勧誘をする。この段階で宗教団体であること、まして、統一協会であることを明らかにすることは、絶対にできない。宗教団体ではないかと問われたら、明確に否定する。嘘をつくのである。そして、ビデオセンターとツーディズの受講によって、すべてがわかるという。これも明確な嘘である。ライフトレーニング以降の布教過程の存在を隠すのである。
 真理がわかるのかもしれないし、自分の嫌な性格がなおるのかもしれない、職場の人間関係がうまくいく秘訣を知ることができるのかもしれない(これらが、この段階における受講の動機の例である。)、おかしいと思えばいつでも辞められるし、辞めるにしても自分の納得のいく理由で自分が決めれば良いと説得され、そう思う(やめることができなくなる道であるとは考えることもできないのである。)ので、ビデオ受講を開始する。しかし、これが統一協会の伝道であり、そのまま進めば物売りをすることになり、その道をやめることもできなくなることが判っていれば、誰も、絶対に受講することはない。
 コース決定から再来4回目までで約半数がやめる。その理由で1番多いのは、家族とか友達、職場の人とかに、こういうところに通うようになったんだけどと話をしたら、いや、それは怪しいからやめたほうがいいんじゃないかとか、宗教だと思うからそれはすぐ行かないようにしたほうがいいと言われたということである。再来5回目からビデオセンターの終わりまでで、対象者はさらに半分に減る。その理由の中で1番多いのは、宗教的な内容が多くて自分には合わないということである。従って、統一協会の伝道であることをこの段階でも明らかにすることはできないのである。
 ツーディズに参加した人たちは、その後のコースでやめる率が激減する。その後のコースには、いずれも80パーセントから90パーセントの人が参加する。これは、ビデオセンターの時とは質的な変化である。そのような変化は一体何によってもたらされたのであろうか?ツーディズを終了した人たちには、それまでの教育によって統一原理の内容がそれなりに頭に浸透しているのである。ツーディズからライフトレーニングへの参加は、ツーディズまでの教化によって、ここで教えられてる内容は自分にとって必要なのかもしれないとか、もっと学んでみたいとかいう気持ちが作りあげられてきているからである。そのような気持ちを作り出すために、人間は堕落しているとか、霊界とか、氏族のメシヤとか、因縁があるとか、罪人であるとか、人類を罪から救いだすことのできるメシヤが再臨しているとかという内容の講義が語られているのである。
 統一協会であることをライフトレーニングの最後のころに明らかにされても受講者がほとんど辞めないのは、教義がより一層浸透してきて、自分は罪人でありメシヤが必要という認識になってきていること、説かれている教義は、まだ物売りをしなければならないことは隠されていて、為に生きるということで悪いことでないこと、スタッフがとてもいい人達であり、こんな人達が嘘を言うわけがないという気持ちなどだと思われる。ビデオ・センター受講時の動機とは全く違った内容に変えられていることが判るであろう。この経過は、ロー・ボール・テクニックに教育による認識の変化を加えたことによるものと説明できるのである。
 統一協会が行う「正体を隠しての伝道活動」は、統一協会の存在の根幹をなすことである。「正体を隠した伝道」なしでは統一協会員になる人はいない。そうなっては統一協会は高額の信者献金をさせることはできず、国民の中に新しい犠牲者を見い出すこともできない。統一協会の活動そのものが成り立たなくなるのである。
 常識的には、些細なことに思える「正体を隠した伝道」は、重大かつ決定的な被害を勧誘を受ける側にもたらす。その理由を、札幌地裁判決は次のように述べている。
 「宗教教義の勧誘の場合には、・・・・宗教教義とは知らずに、したがって、意識的目的的な検証の機会を持つことができないままにこれを普遍的真理として受け容れてしまった者に対し、後になって、それが特定の宗教教義であることを明らかにしてみても、すでにその教義を真理として受け容れて信仰している以上は、外部の者がその誤謬を言い立ててみても、その客観的な検証の術がない以上は、科学的論理的説得をもってしても、その宗教教義からの離脱を図ることは通常極めて困難というべきであって、こうした事態に立ち至る可能性があることにかんがみると、それは(正体を隠した伝道のこと)、その者の信仰の自由に対する重大な脅威と評価すべきものということができるのである。
 ・・・・宗教上の信仰の選択は単なる一時的単発的な商品の購入、サービスの享受とは異なり、その者の人生そのものに決定的かつ不可逆的な影響力を及ぼす可能性を秘めた誠に重大なものであって、そのような内心の自由に関わる重大な意思決定に不当な影響力を行使しようとする行為は、自らの生き方を主体的に追求し決定する自由を妨げるものとして、許されないといわなければならない。」
 宗教上の信仰の選択は、その人の人生そのものに決定的な影響力を及ぼすまことに重大なものであるばかりではなく、統一協会の布教課程では、引き返すことが不可能になるように意図的に恐怖が意識の下層に植え込まれていく。従って、その勧誘の当初に、これは宗教の布教であること、この教義を信じてしまえば信仰をすてることが極めて困難になることを明らかにして、勧誘を受ける人に意識的かつ目的的な検討の機会を与えなければならないというべきなのである。

4 感情を揺さぶって決定させる
 以上のとおり、正体を隠した伝道という、極めて不当な方法によって、統一協会の布教過程に取り込んだとしても、それだけではすまない。その後A及びBの決定をさせなければならない。それらの決定をさせることも容易なことではない。そのために統一協会は次のような操作を行う。
 ライフトレーニングとフォーディズの受講決定がなければメシヤも統一協会も知らされないですむ。文鮮明をメシヤだと信じ、彼のために献身するという決定によってその人の生き方が根本的に変えられる。その人の人生を変えることになった重要なこの2つの決定はツーディズとフォーディズという、統一協会が全てをコントロールできる合宿セミナーという環境の中で社会心理学的技術を用い、催眠の技術を利用して感情を揺さぶって、その先どうなって行くのかということについての情報を何も知らせないまま、決定させるのである。感情が高揚させられると、理性的な判断力が低下させられることを利用しているのである。

(1) ライフトレーニングとフォーディズの受講決定
 ライフトレーニングの受講決定まで対象者はビデオセンターでのビデオ受講とツーディズの講義で、概ね2回統一原理の講義を受ける。大体次のとおりである。
 理想社会としての地上天国と人間のためにそのような天国を作ろうとした親としての神の限りない愛が存在し、にもかかわらず子供である人間は自己中心的行いから堕落してしまい、私もその結果として罪人であり、神はそれにもかかわらず、人間を救うために、各時代に1人の中心人物を準備して摂理をされたが、いずれの機会も人間がその責任分担を果たさなかったために失敗しており、特に2000年前、神はひとり子であるイエスを地上に遣わし人間を救おうとしたのに、人間はイエスを不信することによって、それも失敗しているのだという。
 人は肉身と霊人体とでできている。肉身生活の意義は為に生きることによって霊人体を成長させ、光り輝く霊人体が天国で永生することである。自己中心的に生きた人の霊人体は黒く傷ついており、そのような霊人体は地獄へ行く。
 そして、今は終末である。終末とはメシヤが地上に現れるときである。肉身を持ったメシヤが地上に現れるこの時でなければ、個人として努力してどんなに霊人体を成長させたとしても天国へはいけない。地上天国は建設できないのである。
 したがって、先祖の霊はみんな天国にはいけないでいる。その霊達が私の成長と一緒になって成長し、よりよい霊界に行こうとしているのである。真理を知った私は氏族のメシヤであり、この道を行く責任がある。
 そして、今回のメシヤが最後の機会なのである。
 そのような教育を前提として、ツーディズの2日目はライフトレーニングの受講決定をさせるための講義となっていく。それは暗い重い話の連続である。神がせっかく準備した摂理を人間が責任分担を果たさないで失敗させていくという歴史なのである。特にメシヤ論では強い絶望感が与えられる。
 メシヤ論の講義の際に催眠の技術が使われる。イエスの処刑の場面がリアリスティックに講義される。5寸釘が打ちこまれたイエスの手のひらがイエスの重さによって裂けていく様子を語りながら、イエスの苦痛と、それを見ている親たる神の苦悩について語るのである。その悲惨さや悲しみの激しさが衝撃となって、感覚的な受容の限界を超えてしまうと、頭の働きが止まったような状態になる。現実感が失われ、まるで自分がその場にいるかのような感覚になり、物事の是非を判断する能力が著しく落ちてしまうのである。
 その直後に歴史の同時性という講義で、メシヤがいま正にこの世に存在するという希望に満ちた話をするのである。その落差が対象者の心をつかむ。そしてメシヤが今地上にいることは、2000年ぶりでこれが最後であるという信じられないような幸運なのである。ここでは、希少性のルールが用いられている。商売でもちいられる手法としては、閉店セールとか現品限りというものである。希少性のルールは思考を困難にしてしまうような情動を引き起こす性質を持っている。その上で、メシアが誰であるかはライフトレーニングで・・・というのである。そのような心理操作が行われているため、ライフトレーニングへの参加を決断する人が多いのである。

(2) メシヤを受け入れる決定と献身の決定
 メシアが誰であるかはライフトレーニングで・・・と言いながら、ライフトレーニングではすぐにメシアを明らかにはしない。もう一度、統一原理の講義を聞かせるのである。その目的は、「メシアは誰か?」から、「私にとってメシアが必要」へ、対象者の認識を変えるためなのである。
 ライフトレーニングでは、愛の神や人生の目的である3大祝福、すなわち理想社会についての講義が行われた後、罪の確認がさせられる。過去を振り返らせることによって自犯罪を自覚させられるのである。理想社会を構成する理想的人間についての講義が直前にあるので、どんな小さな事でも罪に思える。連帯罪を自覚させるため、日本の朝鮮侵略に関する強烈な映像を見せる。
 その罪人が神のところに帰っていくのが、復帰の過程である。その過程は善なる条件を積み(過酷な日常をも受け入れさせるための考え方である。)、自分の中に巣くっているサタンを分立して(心の中からも追い出して。)アダムとエバが堕落した地点まで成長し、その段階でメシヤを迎えて新生(祝福=合同結婚式を受けることだが、この段階では隠されている。)し、その位置からさらにメシヤと共に成長して、3大祝福を完成するということである。
 日本は韓国にひどい仕打ちをしたのに韓国人である文鮮明は、日本人である我々を恩讐を越えて許してくれている愛の人であると、主の路程と題された、メシヤが文鮮明であると説明する講義で、語られる。
 以上のとおりの講義を前提として、新生の手順の講義が行われる。この講義の特徴は対象者に生き方の転換を突きつけることである。メシヤが現存する今という時代に、罪人であり、真理を聞いてしまったあなたはいかに生きるのか?と問うのである。文鮮明は無原罪なのにもかかわらず、たった1人で私達人類の救いのために闘い続けてきてくれたのである。罪人であるあなたはどうするのか、今まで通り自己中心的に生きるのか(そうすると地獄行きという。恐怖を呼びおこすのである。)という問いかけなのである。そうでない道は、24時間神のために生きること、すなわち統一協会に献身することであると講義される。
 フォーデイズでもメシヤ論が語られる。人類の不信の故にひとり子をサタンに奪われた神の悲しみ、人間の罪が強調され、神のためにたった1人で闘い抜いてきた文鮮明の超人的、奇跡的人生が語られる。メシヤ論の後だけは、講師が「聖歌を歌いましょう。」と呼びかける。その後、黙とうしてくださいと言って講師が祈る。この祈りは極めて熱烈なものである。その後、オーディションによって選抜された朗読の上手なスタッフが「お父様の詩」を読み上げる。「お父様の詩」は罪人である受講生に文鮮明が愛を伝えるメッセージである。原理の神は愛の神である。「お父さまの詩」によって、文鮮明は愛の体現者となり、神と同格のメシヤとして受け入れられていく。照明が落とされた会場は号泣につつまれる。文鮮明がメシヤであることについて、理論的、合理的な説明は全くない。感情をゆさぶって、受け入れさせてしまうのである。
 その夜、献身の決意をさせる班長面接が行われる。フォーデイズの開始からこの班長面接までの間、班長は担当する班員の状況を克明に観察する。統一原理の教えはどのぐらい浸透しているのか、性格はどうか、献身をするために家庭生活や職業生活などに問題はないのか、借金は無いのか、恋人はいるのか等々すべての状況にその観察は及ぶ。うわべの優しさとは裏腹に、獲物をねらう猟師のように対象者の心を読み、工作の方向を検討し、変化をとらえて、献身の決意へ向けて働きかけを継続しているのである。班長は観察した結果をノートに記載する。その記載をもとに、責任者も各班員の状況を報告し、面接の順番、面接の際の攻め所などについて指示を受けるのである。
 以上のような操作の結果、対象者は神とメシアのために献身を決意する。そして、この段階でも、献身した後、いったい何をすることになるのかは、明らかにされていないのである。統一協会の真の目的は、この段階でも隠されたままなのである。その目的は、献身の決意の結果参加することになる新生トレーニングによる教育によって、統一協会に加入させ、それまでの罪を告白させ、贖罪のためという名目で全財産を収奪した後、実践トレーニングの冒頭に初めて明かされるのである。

5 宗教上の権威
 文鮮明をメシヤとして受け入れるということは、文鮮明を信仰の対象とするということである。文鮮明は人間なのに無原罪なのだということも信じてしまうのである。無力な神に代わって、全人類を罪人たる地位から救って、地上天国、天上天国を実現することのできる唯一の人なのだということを信じてしまうのである。文鮮明は統一協会員にとって、宗教上の権威となる。人は権威には従うものなのである。特に、宗教上の権威は、現世と来世を通じて至高の存在なのであるから、その信者への支配力は、信じていないものには窺い知れないものであると考えるべきである。宗教上の権威は、それを強固に信じた信者に、人を殺すことさえ正しいこととして実行させることができる。それはオウム真理教の諸事件から我々が学ぶべき教訓である。
 文鮮明の言うことに逆らうすべは統一協会員には、全くない。その指示に反することは地獄に堕ちることである。文鮮明は恐怖の源泉でもある。そのような地位にある文鮮明が解き明かした真理として公式7年路程が講義される。経済的収奪行為は万物復帰と定義が変えられる。万物とは人間以外のすべてのものを指す。それは本来創造主である神の物である。しかし、人間の堕落によって万物はサタンが支配している。それを、神の許に取り戻さなければならないのである。だから統一協会員は経済的収奪行為を正しいことと信じて行うのである(以上のような方法によって、このようなことを信じて実行するようにさせることを、統一協会が信者をマインドコントロールしていると表現することは、正当なことだと考えている。)。グル=麻原の指示を受けたオウム信者が、ポアと定義を代えられた殺人を正しいことと信じて実行したように。

6 事実関係に争いはない
 統一協会の布教過程で行われている事実については、「統一協会マインド・コントロールのすべて」(教育資料出版会・1993年)ですでに詳細に解明されている。発刊されて13年以上経つが、統一協会は、この本の内容について沈黙を守ったままである。平成12年12月5日青春を返せ札幌訴訟の証人として出廷した統一協会の幹部魚谷俊輔は、この本の批判を「これからやらして頂きたいと思います。」と述べている(甲D第21号証67頁)が、それから5年以上も経っているのに、現在まで何の社会的批判も行われていない。
 実は、青春を返せ札幌訴訟の過程で、布教過程で行われている重要な事実については、原告らと統一協会との間に実質的な争いはなくなってしまったのである。原告である元信者達の証言と統一協会が申請した現役信者達の証言が内容的に一致してしまったからである。もちろん、統一協会の現役信者たちは原告らに有利な証言をしようとして法廷に臨んだのではない。反対尋問によって、ほとんどの現役信者たちが原告の主張する事実の存在を認めざるを得なかったである。現役信者達自身もマインドコントロールされている人たちであって、正しいことと信じて組織への勧誘や物品の販売をしているのであるから、具体的な事実を指摘されると、嘘をつき通すことができないからなのであろう。そして、また、そもそも性格が悪い人たちではないのである。
 統一協会の布教過程では、勧誘を受ける者は自発的に意思表示をし、自己の責任で入信を選択をしているかのように見えるが、その布教過程の具体的な事実を明らかにし、その中に勧誘を受けた人の同意や選択を位置づけてみれば、それらは統一協会のマインドコントロールによって自由な意思形成が妨げられた結果なのであり、したがって、自発的な意思表示とも、自己の責任による選択とも言えないのである。
 青春を返せ訴訟の札幌地裁判決に対して統一協会は控訴した。その控訴審で札幌高等裁判所は、統一協会の勧誘行為の結果、被勧誘者は「同意」を与えたり、「献金」をしたりしているが、それは勧誘された者が自由な意志決定を妨げられた結果に過ぎず、「同意」があったとしても「(勧誘行為の)違法性が阻却されることにはなら」ず、「献金等の出捐」があったとしても「(統一協会が)財産を収受することが正当化される根拠はない」と判決しているのである。

7 5パーセントは低率か?
 青春を返せ札幌訴訟で明らかになったデータでは、100名にビデオセンターの受講を決定をさせることができれば、そのうち5名は献身者となったという。仕事を捨て、親を捨て、文鮮明の指示があれば道徳的、倫理的に間違ったことでさえ正しいことと信じて実践する人間になったのである。これが信じられないような高率でなくてなんであろうか?これをわずか5パーセントの低率にすぎないと考える人は、人を統一協会員にするということが、いかに困難なことなのか何もわかっていないのである。統一協会のマインドコントロールなしには、そして「被害者」が新たに被害者を勧誘し教育しているという仕組みなしには、誰一人、統一協会には入らないことは明らかである。

8 統一協会の犯罪性
 札幌地裁判決まで、統一協会が伝道する目的は宗教団体の教化活動ととらえられていて社会的には相当なものであると判断されていた。しかし、統一協会の伝道目的は本当に「人の教化」なのであろうか?
 青春を返せ訴訟札幌において原告申請の元信者23名、統一協会申請の現役信者20名の尋問をしてみて強く実感したことは、一人一人布教過程に取り込まれていく動機は違うけれども、結局全員が物売りをするように「教育」されていくということだった。統一協会が目指している結果はすべて全く同じなのである。複雑怪奇に見える統一協会の布教過程は、集団的に観察してみると、統一協会の目的=布教過程の目指す結果は極めて明瞭で、明瞭となってしまえば弁解不能に不当なものなのである。すなわち、統一協会の伝道の目的は札幌地裁判決が認定したとおり「対象者の財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産」ということなのである。そして、札幌地裁判決は、統一協会の行っている経済活動はそれが購入者の救いのためであると信じさせられている信者たちにとっては、統一協会の経済的利得のために、宗教教義の名を冠して、労働法規を始めとする強行法規を潜脱しようとしていたものであると述べている。すなわち、それは労働力の無償による全面的な搾取=信者の人生そのものの収奪なのである。
 統一協会のもっとも批判されるべき問題点は信者の心を奪っていること、マインドコントロールしていることである。マインドコントロールされているからこそ、「24時間、命がけで『聖本』(文鮮明の成約時代と理想天国という名称の書籍・なんと3千万円)を訓読する心情が必要である。『聖本』は3千万で買うものではない。日本列島全体を売ってでも勝利しなければならないのが今回の『40特赦路程』であり、『聖本』摂理である」(甲B第468号証)と檄をとばされれば、例えば、夫名義の預金を無断で解約して聖本を買う壮婦(既婚婦人)信者がいるのである。そのような場合、深刻な夫婦間の問題が発生する。離婚さえあり得ることを覚悟して、壮婦信者は夫の資産に手をつけるのでああろう。ほとんど収入がないのに、1000万円或いはそれ以上の借金をサラ金やクレジット会社に負っている壮婦信者は相当数にのぼるであろう。そのような無茶苦茶なことをするのも、統一協会員は、統一協会にマインドコントロールされているからなのである。統一協会が意図しているのは、信者本人の資産からの献金だけではない。夫や親族の資産ばかりでもなく、返済不能な借金までさせる、根こそぎの経済的収奪なのである。それは、その信者にとって最も身近で、最も大切にしなければならない人間関係をすべて破壊することになるのである。そして、その信者本人の心身をボロボロにするに足るものであり、その信者の将来を破壊するものなのである。

 では、それは統一協会の商品の購入者にとってはいかなる意味を持つのであろうか?それは、詐欺という以外あり得ない行為である。霊感商法が詐欺或いは恐喝という犯罪行為であることは争いがないであろう。着物や宝石など宗教団体が取り扱うことは到底考えられない商品を中心に展示会方式でそれを売買する定着経済や、全国を、マイクロに乗って珍味などを売り歩く行為も、霊感商法とその本質は何も変わりがない。直接の行為者自身がマインドコントロールの被害者であり、正しいことと信じさせられていることが問題をわかりにくくしているのであるが、統一協会の組織を統轄している人間の立場に立てば、その目的は広範な国民の財産の収奪である。それ以外、全く考えられない。そのために、長期にわたり人に「教育」を加えて判断基準を変えていって信者とし、「自発的な行為」と本人をも誤信させつつ経済的収奪行為をさせているのである。そのような人の真面目さ、懸命さ、トークの巧みさ(社会心理学的技術を多用した売り方が完成しており、その教育を受ける)、親密な関係の利用などが相乗効果を発揮しているうえに、統一協会が売主であることを知らされないから、高価な物を買わされるのである。それが詐欺でなくていったい何であろうか?
 統一協会は宗教の要素で強化された経済的収奪組織であり、その行為は組織的、継続的かつ大規模な詐欺という以外なく、かつ、その従事者はマインドコントロールによってその行為を正しいと信じさせられていて、その人生そのものを統一協会に奪われているのである。以上のことは統一協会の本質的な要素となっているため、是正不能なのだと考えられる。であるから、裁判でその行為の違法性をいくら指摘されても、自己の非を認めようとしないのである。この組織の犯罪性は他に類例をみないほど悪質極まるものである。

9 ふたつのアイデンティテー
 前述のとおりの経過によって、人は統一原理を真理と信じさせられ、文鮮明を再臨のメシヤであると信じさせられる。その状態は統一原理という判断基準を人為的に違法に植え付けられた結果、その人本来の人格の行う自由な意思形成が阻害された状態なのである(同旨、青春を返せ札幌高裁判決)。人為的に植え付けられた統一原理という判断の枠組みがその人の人格本来の声を抑圧してしまうのである。例えば、老後の蓄えをすべて奪うような献金をさせるとき、統一協会員も煩悶を感ずる(その人の本来の人格が問題を感じている。)のであるが、その人の救いのためだという教義=統一原理がその煩悶を抑圧してしまうのである。殺人を正当とする教義であるときには、内心の煩悶を押し殺して、殺人が正しいこととして実行されるのである(本来の自己との葛藤は、サリン散布時の林郁夫の場合に顕著である。)。
 統一協会のマインドコントロールの結果、人は今まで自然に形成してきた彼本来のアイデンティティーとは別に、統一協会員としてのアイデンティティーを持つことになる。その事実は統一協会の幹部、魚谷俊輔も証言の中で、「生まれた時から統一協会の信者のアイデンティティーを持っているというわけではございませんで、大体10代の後半とか20の前半とか、そのくらいの時期にそれまでは、いわゆる世間一般の考え方をしていたかもしれません。それが統一協会のアイデンティティーを形成するようになって、例えば2年であるとか3年であるとかそれくらいの期間が構築されたアイデンティティーです」(甲D第21号証88、89頁)と認めているのである。

10 恐怖
 統一協会員のアイデンティティーにおいては、恐怖が重要な要素である。恐怖は最も原始的な感情で、人に対する支配力の極めて強いものである。高度な文明社会を形成している現在では人間は日常的に恐怖に対面することが多くなく、理性で物事を処理することになれているので、その威力を自覚することが少ないのであろう。しかし、それは食うか食われるかの生存競争に曝されていた時代から人間に刷り込まれてきたものなのであり、恐怖にさらされると人間は恐怖を回避することだけにとらわれて行動するようになるのである。
 統一協会がその構成員に恐怖心を与える手段は、霊や霊界やサタンである。いずれも通常の知覚で認知することができないもので、その存在や機能について科学的に検証の手段がないものである。その存在を信ずるか、信じないかなのである。信ずる程度によってではあるが、人はそのようなものについて、現実よりもリアルにその存在を認識するようになるのである。夢が現実よりリアルであることがあるように。霊があり、霊界があるということになればこの世における自分の在り方について、霊界を認識する前とは違った評価をするようになる。肉身生活はたかだか百年、霊界は永久である。霊界における人生こそ本当の自分の人生だということになれば、霊界での人生のために、現世の利益を捨て去ることは何でもないことになってしまう。現世的な欲望を全て捨てても、霊界の利益のために生きようとする。お金が全くなくなってしまっても、そうすることが霊界に徳を積むことだと説明されればその事のほうに価値があると感じてしまう。どんなに夫や親や周りの人たちから、おまえのやっていることは間違っていると批判を受けても、霊界に行ったらみんなわかってくれる、霊界に行ったら感謝される、と思うので、その批判が響かないのである。
 リアルに感ずるその霊界には天法がある。統一協会のためのことは善、統一協会の利益に反することは悪である。善悪の判断のためにこの世の法や道徳は関係ない。善悪の判断基準が変えられているのでこの世の法規範に反することは平気なのである。しかし、天法はそうはいかない。肉身を脱いだ後、霊界で永生するため、その世界で幸せに生きるために、今は自己犠牲の道を歩んでいるのである。その世界の法に反することは、肉身生活の時でも絶対にできないのである。そして、天法による最大の罪は、統一協会と文鮮明を不信することであると教えられる。
 み言を聞く前と聞いた後では違うと言われる。統一原理を知った後で、それに反する行動をとったり、組織から離れたりすることは、絶対に許されないということであるし、それに反した場合、自身が地獄に堕ちるばかりでなく、氏族にも災難が及ぶとされている。
 人間は堕落してサタン世界に存在していると教える。そのサタン世界から抜け出て神の世界に戻ることが課題とされる。そのためには、サタンすら屈伏するような超人的で完壁な活動=物売りと伝道活動をしてサタンを「分立」していかねばならない。そうでなければ、サタンの「ザン訴権」は消えず、「ザン訴」されば地獄に落ちることになるのである。そうすると自分の日常の活動が恐怖に支配されるようになる。例えば、伝道で一瞬人に声をかけることを躊躇したとする。躊躇すればその人は歩いて行ってしまうので、その人への伝道は出来ないことになる。その人と霊界で一緒になったとき「あの時、なぜ声をかけてくれなかったの」と言われたらどうしょうと恐怖に捕われるのである。自分の躊躇でその人の永遠の生命を救う機会を失わせた事になるのである。そのようなことがあればサタンの「ザン訴」によって天国に行けないことになる。このようにして日々の活動自体が恐怖の源泉に転化するのである。
 このような恐怖を植え込まれていることや、アベル・カインの教えなどによって、統一協会員は統一協会=文鮮明によって、その精神と行動をコントロールされてしまうのである。

以上


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