準備書面(17)

平成16年(ワ)第1440号
損害賠償請求事件
原  告  ○○○○ 外51名
被  告  世界基督教統一神霊協会

準 備 書 面(17)

平成20年9月24日

札幌地方裁判所
     民事3部合議係 御中

原告ら訴訟代理人                  
弁 護 士   郷   路   征   記
弁 護 士   内   田   信   也

目         次


1 はじめに
 (1)統一協会員にしてからの人格操作
 (2)この準備書面の目的
2 変性意識状態
 (1)斎藤稔正の定義
 (2)変性意識状態の主観的特徴
 (3)変性意識状態をもたらす契機
 (4)禅による悟りへ至る意識状態
 (5)その過程での病的意識状態・魔境=幻覚体験
3 清平の修練会
 (1)その内容
 (2)高橋教区長におきた変性意識状態
4 集団的な洗脳の場である清平
 (1)清平修練会についての手記
 (2)なぜ、私は霊的体験を一度もできないのかと題する手記
  ア 白い光が目の前でキラッと
  イ 悪霊が抜けていくのが見えたのだ
  ウ 霊的体験によって100パーセント信ずるように
 (3)地獄から救いを求めた先祖と題する手記
  ア 我が血管の中の悪霊
  イ 地獄が見えた
  ウ 先祖が私を囲んで
5 その後人生の起点・基盤となり、その方向を規定する体験
 (1)多額の献金の強制
 (2)人生を規定する体験
6 恐怖を呼び起こし脱会を阻止する
 (1)恐怖心・フラッシュバック
 (2)恐怖の威力
7 離婚されたある信者の証言・洗脳の効果
8 規模で公然たる詐欺の場である清平
 (1)役事は詐欺
 (2)役事は教義とも関係ない
9 教義とは関係ない先祖解怨・先祖祝福


1 はじめに

(1)統一協会員にしてからの人格操作
 原告らはこれまで、統一協会の布教、入教過程が原告らの信教の自由を侵害した不法行為であることを立証せんとして多大な努力を重ねてきた。その反面、統一協会員となった後のことについては、入教過程において統一協会的な人格=統一協会的なアイデンティティを人為的につくられてしまった結果、統一協会の物品を買うことは善であり、義務であり、しなければならないことであり、統一協会に献金することも、無償の労働力を「提供」することも全く同じであるという強い信念が形成されていることから、そのような、形成された人格と相当因果関係のある結果であると主張してきた。
 勿論、上記の主張で不法行為の主張としては十分であると現在でも確信しているが、霊感商法への社会的批判によって、統一協会員になる前に多額な金員を収奪することは困難になった統一協会が、被害者を統一協会員にした後で、人為的に形成した統一協会的人格を「維持し、強化し、深め、それを利用して」献金させる、物品を購入させる、無償の労働力を搾取しているという事実を分析する点で不十分さがあったと思われる。原告らにそのような統一協会の実態を理解させてくれたのは、訴外Kの体験とその分析(甲54 以下、「K陳述書」という。)である。
 その分析によれば、以下の事実が明らかとなった。
@ 統一協会は、入教過程で信者に形成した統一協会的人格を維持し、強化し、それを深化させるために清平の修練会を重視している。清平の修練会は、人為的に、「霊体験」を参加者に引きおこすためのものであり、そのことによって、参加者の統一協会的人格をあと戻りが不可能なものに深化させるためのものである。修練会の内容が明らかになり、更に、清平の修練会が巨大な集金装置であることも明らかになった。日本国内で売られていた祈願書も清平の修練会で行われた先祖解怨の結果、先祖が脱ぎ捨てた汚い服と家を洗濯し掃除するためとして作りあげられた集金道具なのである。
A 信者は入教過程で罪の意識を持たせられる。罪の意識を持たされた結果、文鮮明をメシヤであると受け入れさせられてしまうという操作が行われている(この点が、信教の自由が侵害されたと原告らが主張する要点である。)のだが、その罪の意識が信者となって活動するにつれて、より一層強められていく。「信仰」が強くなるほど、極端な完璧主義的思考に支配されるなど様々な契機で、罪意識が増幅されていくことが明らかにされた。その中のひとつにアダム・エバ問題がある。統一協会においては、男女の、惹かれあう思いそのものが罪とされるばかりではなく、勝手に思いを寄せられても寄せられた統一協会員の信仰が原理的ではないことの証しとされ、罪とされる。統一協会員の女性が統一協会員でない男性と恋に落ちて組織を離れるとか、統一協会の内部で堕落した幹部が純真な統一協会員に邪心(統一協会のいう邪心・本心の邪心ではなく、本当の邪心。)を抱いてしまうとか、文鮮明が選んだ理想の相対者同士の家庭である祝福家庭でも夫が浮気をしてしまうということなどから、アダム・エバ問題についての警告が組織の中で厳しく伝達されることになり、その事によって罪意識が増幅されている。
B 統一協会員でいる限り、不安や恐怖から逃れることができないこともより明らかになった。
 献金目標が完遂されなければ、日本は沈没するなどという文鮮明の脅しに対して、まさかと思ったとしても、それを100%間違いとは言い切れないことから、恐怖を抱かされている。その前提として、万能の神ならば日本沈没でも何でもできる、それを文鮮明がとりなしてくれている、文鮮明の機嫌を損ねれば神が日本を滅ぼすのではないかと思う、そのような可能性を否定しきれないと考える思考回路にされているのである。
 統一協会内部では生まれてくる子供が健常であるかないかが重大な関心事である。本来なら無原罪の子供が生まれるはずなのに、不信していたから障害児が生まれたなどといわれるので、母となる統一協会員にとっては、そのことは、全存在を否定されるに等しいことから、強い恐怖に支配されているのである。
C 統一協会員を含め人間には、悪霊が体内に潜んでいることになっており、清平の役事(K陳述書 2頁参照)によっても、それが全部体内から追い出されているとは限らないし、解怨の済んでいない先祖(K陳述書 4頁、8〜9頁参照)や救いを求める子孫のいない悪霊が、自分の周りを浮遊している、或いはとり憑いていることを信じているから(そう信ずる根拠としては、清平における人為的な「霊体験」が大きな役割を果たしている。)、恐怖が常に信者を支配している。
D 信者の思考のパターンを固定するためや統一協会を不信させないため、思考停止させられたり、やらなければならない行動や様々な教えに、信者の日常は縛られている。思考停止のために重要なのは祈りである。蕩減条件の積み重ねが日常生活から自由な時間や必要な休息や睡眠の時間さえ奪ってしまい、信者の生活を極めて過酷なものにしている。それは、伝道対象者などに対して必死で迫る迫力を信者に作り出すという側面を持つと共に、信者の精神と生活の自由を奪い、それに失敗すると更に大きな蕩減条件を課されてしまうという教えや、蕩減条件の実行を常にサタンとの闘いと受け止めさせる教えによって信者に恐怖心をもらたし、それ以外の問題に目を向ける余裕を奪ってしまう。そのような過酷な生活の中で原理講論を、霊的な書物であるからと動機付けをして、読ませるので、より一層自由な時間が奪われるとともに、内容は理解できなくても原理講論の言葉が睡眠不足の頭の中に染みこんでいき、理解できたかのような心境にさせられてしまう。
E 統一協会の内部においても、統一協会への勧誘の当初に頻繁に用いられていた承諾誘導の技術が、極めて効果的に用いられていることが明らかになった。好意や希少性と共に競争意識を駆り立てることが、多額の献金をさせたり、献金を完遂させるための重要な武器にされている。確信者に、新規入会者を変えていくために伝道の実践をさせることの重要な意味や、同種の人達を集合させることの効果が解明されている。目標を掲げさせ、それを張り出し、表彰し、証し会で結果を報告させる等々のことがコミットメントを深める役割を果たしている。

 詳細は陳述書を読んで頂きたいと思うが、以上の解明によって、統一協会員は統一協会員になった後も、統一協会によって日常的に操作され続けていることが明らかになった。統一協会員は、統一協会への入教過程で人為的に形成された統一協会的人格を、入教後の操作によって維持され、強化され、深化されている。統一協会はそのようにして維持し、強化し、深化した統一協会的人格を利用して、信者に借金まみれになるまでの献金をさせ、物品を買わせ、労働力を極限まで搾り取っているのである。

(2)この準備書面の目的
 この準備書面では、清平の修練会を特に取りあげて、その内容を分析する。清平の修練会では、統一協会は統一協会員に「霊体験」をさせることを目的としていると考えられることから、「霊体験」を理解する前提として、変性意識状態(Altered States of Consciousness 略してASCという。)についての論文を紹介する。禅の体験を変性意識状態のひとつとして解説しているので判りやすい。さらに、禅の修行の過程で、即ち、変性意識状態において、禅者は魔境=一種の幻覚体験に遭遇するという。
 これは統一協会員が清平修練会で体験させられる「霊体験」そのものであると考えられる。

2 変性意識状態
(1)斎藤稔正の定義
 この問題の専門家といわれる立命館大学教授の斎藤稔正は次のようにいう。

 「変性意識状態とは、人為的、自発的とを問わず、心理的、生理的、薬物的あるいはその他の手段、方法によって生起した状態であって、通常の覚醒状態に比較して、心理的機能や主観的経験における著しい差異を特徴とし、それを体験者自身が主観的に認知可能な意識状態である。一見すると、異常性、病理性、現実逃避性、退行性の要素も見られるが、究極的には根源的意識の方向性をもった状態である。」
 この定義の最も枢要な特性は、現実志向性の低減である。これをさらに詳細な主観的な特徴からみると、次のように大きく二つの群に分けることができる。

(2)変性意識状態の主観的特徴
 第一は、現実諸感覚の低減もしくは喪失、第二はそこから派生した特徴で以下の通りである。
A.現実諸感覚の低減もしくは喪失
 1.空間感覚の喪失(空間的な位置・方向などの感覚が機能しなくなる)
 2.時間感覚の喪失(時間の持続、経過の観念がなくなる)
 3.主観と客観の差の感覚の喪失(主客一如の一体感の体験)
 4.言語感覚の喪失(筆舌に尽くしがたい、したくない感じ)
 5.自己感覚の喪失(分離感、自己の消失、深い熱中、没我感)
B.現実感覚の喪失から派生した特徴
 1.恍惚感(陶酔した悦遊の境地)
 2.注意集中(選択的ではあるが受動的な注意の状態)
 3.宇宙識(真理の深み、洞察、ひらめき、禅の見性、悟り、至高体験)
 4.受動性(何か偉大なる存在による被動感、心身の弛緩、おまかせの感じ)
 5.一時性(深遠な体験であるが、短時間しか持続しない)

(3)変性意識状態をもたらす契機
 現実吟味力の機能低下や先行条件を、各種の技法に共通する性質として集約すると次のようになる。
1)感覚刺激が閾値の上限、および下限を超過(感覚遮断、社会的拘束、集団における混乱状況、断食、断眠などの宗教的修行など)
2)脳の中枢部への物理的、化学的な刺激(幻覚剤、アルコールなど)
3)仮死状態、昏睡状態
4)軽睡眠、まどろみ、白昼夢
5)連続的な単調刺激の提示
6)状況に適切な気分(心身共にリラックスできる雰囲気たとえばムード音楽、美しい夜景)
7)非常に新規な状況に対処できないとき(ショック、パニック状況など)
8)心身機能の異常状態(ホルモンや神経機構の変化によって生じる。例えば、嗜眠症、甲状腺の異常など)
(以上は、論文・変性意識状態と禅的体験の心理過程46〜47頁 甲55)。

(4)禅による悟りへ至る意識状態
 覚醒状態から種々の人為的な技法や自発的な経路を経て変性意識状態へと進行し、それらがさらに深化し根源的な意識状態へと移行するとき、先行条件は異なるものの現実志向性の機能が低下する点では共通している。
 禅での修行段階で言うと、第一段階では、雑念、邪念を掃蕩し無我の境地になることへの修行により、現実からの乖離を目指してゆく。これは他のASCにも共通するが、現実から隔離して非現実的世界への導入を図ることである。
 つまり、現実的適応のために内外の環境に臨機応変に注意エネルギー量を適宜調節しつつ配分していたが、その注意をある選択された対象にのみ集中的に振り向けていくことである。ここでの注意集中は、最初は能動的であるが、徐々に受動的なものへと変性してゆく。
 第二段階は、導入されたあるいは自ら入定した非現実の世界で自我機能を一時的に低下、退行させて人間に生得的に内在している自然良能の生理心理的システム(ホメオスタシス)が十全に作動可能なように誘導、もしくは遷移してゆくことである。臨床場面ではある種の現実の葛藤が存在する場合、その「とらわれ」から自我を解放するために、自我の一時的弱体化を図り、ホメオスタシスにより、より望ましい形に「再体制化」することである。坐禅では、一層の瞑想の修行により、自己を一段と純化させ、無になりきることで境界との一体化を求めてゆく、いわゆる静慮の状態である。
 第三段階は、自己超越的な段階である。一般のASC体験では意識の深化が一層進行し、極端な場合、知覚、感覚の閾値の限界近くまで深化し、自律系の機能のみが作動しているような状況である。筆者はこのような意識を根源的意識状態とよび、その認知構造モデルを提起した(斎藤1981)。このような意識状態に到達するためには現実吟味力がほぼ完全に放棄され、宇宙の偉大なる存在に自らの命を「おまかせ」したような、自己超越的体験が生起するような段階である。坐禅の修行では、自己を含む全てが消滅し、宇宙の真実のみが存在し、そのとき真の自己が徹見できる状態である。これは生理心理学的に見れば一種の仮死状態ともいえる生命の極限に近い状態といえよう(甲55 48頁)。

(5)その過程での病的意識状態・魔境=幻覚体験
 だが、ASCには一過性に精神病理的な症状に類似した現象が顕在化する場合もあるが、そこを通過してさらに深層へと意識が深化したときには、人間的に価値の高い創造的内容をも体験することができる。精神病者との相違はそれらの体験をしたあと、再度通常の現実に可逆的に戻ることができるという点である。
 こうしたASCの特徴からも明らかなように、禅者は少なからず一過性に病理的、退行的、現実逃避的な体験をすることは確かである。ただこうした現象は全ての人に必ず生起するものではなく、先行条件によって個人差があるのは否めない事実である。また、このことは坐禅の修行過程で体験する魔境についても当てはまる。
 魔境は、心理学的にいうと坐禅の修行中に遭遇する一種の幻覚体験であるといえよう。幻覚は、精神病の典型的な徴候の一つであるために正に病理的な現象である。ただ健常者の幻覚と病理的なそれとの相違は、通常の現実に戻れる可逆性を有しているか否かという点である。つまり、坐禅での魔境は、それに関わり合うことなく瞑想を続けることで、その関門を通過することができる点である。だが人格発達の面で自我形成が未分化な場合、防衛機制によって処理できない内容に唐突に遭遇することで、不安や恐怖で一時的に錯乱したり、一種のノイローゼ症状を呈する場合もある。これは専門の禅の修行者にも見られることが知られている。また、坐禅の修行を初めて行い、適切な指導者である師家がいない場合、その魔境が強烈な幻覚を伴うようなものであるとき、見性体験と誤解してしまうこともあるであろう。真の悟りとは小さな見性体験を多数経た後、さらに大悟を何度も通過することで到達するものと言われている。従って、そうした誤解を回避するためにも参禅者にとって指導者としての師家の存在は重要である。
 魔境の問題だけでなく坐禅の不適切な修行法のために、古来禅病に罹患する禅僧が少なからずいたことはよく知られている(甲55 52頁)。

3 清平の修練会
 以上のことを前提に考えると、清平の修練会は変性意識状態を意図的に作り出し、禅に言う「魔境」=一種の幻覚体験を意図的に作り出すための装置なのである。以下、そのことを説明したい。
(1)その内容
 そのスケジュールは別紙の清平40日特別修練会時間表のとおりである。注目しなければならないのは、睡眠時間の短さである。40日間6時間の睡眠時間であり、それ以外は全日びっしりと完全にスケジュールが詰まっている。自由な時間は全くない。統一協会の修練会の全てにおいてそうだが、変性意識状態をもたらす契機となる「まどろみ」の状態を体験させることが意図されている(この準備書面の8頁の変性意識状態をもたらす契機の4)番目。)
 「私はなぜ霊体験を一度もできないのか」と題する以下に引用した手記によれば、ウトウトした瞬間に「霊体験」をしている。
 清平修練会については、他の統一協会の修練会においてもそうであるが、強い暗示が参加者に与えられている。
 清平は、霊界に最も近い場所であると同時に、「復帰されたエデンの園」と言われ、天国に最も近い場所であるとされている(K陳述書 12頁)。
 役事は原罪以外の罪と堕落性を整理し、恨霊を分立する効果があると教えられている。参加者によって毎日の証し会で「霊体験」が語られる。全員が「霊体験」を強く待ちのぞむ心境で参加している。大集団での統一的行動であるため、一人に発生した変化に影響されやすいなど変性意識状態が発生しやすい条件が整えられている。
 役事とは、「ボーカル3名、太鼓、キーボードによる「聖苑の恵み」という聖歌演奏に合わせて皆で歌いながら、全身を手で叩く行為(按手と呼んでいます)を、「拍手→肩(前の人を叩く)→頭→顔→首→拍手→胸→下部(生殖器)→腰(ペアになって相手を叩く)→足→腕→拍手」の順で2回繰り返し、計70分間行います。」(K陳述書 2頁)ということである。
 別紙では「聖歌」と記載されている部分が役事の時間である。毎日2回、1回70分が当てられている(別紙の聖歌の時間は85分であるが、15分は役事以外に使われる。)。
 全身を手で叩く行為を70分も続けさせるのは、上記論文の「つまり、現実的適応のために内外の環境に臨機応変に注意エネルギー量を適宜調節しつつ配分していたが、その注意をある選択された対象にのみ集中的に振り向けていくことである。」(この準備書面の8頁下から6行目以下)に該当する。その結果、参加者は「霊体験」とされる幻覚の発生とその知覚にのみ注意を集中する=現実吟味力を失っていく=変性意識状態に陥っていくのであろう。

(2)高橋教区長におきた変性意識状態
 統一協会中央神奈川教区長高橋康二(以下「高橋教区長」という。)は神奈川統一運動史(甲40 22頁)に以下のようなことを書いている。
 清平の40日修練会には、高橋教区長の弟も参加していた。数日遅れで参加していたので、高橋教区長にとって40日目の朝、弟に啓示がおりたという。朝の役事をしていた時、ある女性の霊が入ったというのである。その人は立正佼成会の女教祖である長沼妙高先生だという。10分くらい涙が止まらなかったそうであるが、その霊は弟に「今お前の立てている条件では足らない。これからすぐに、頭から40杯の水をかぶり、2時間の祈祷を午前、午後、夜と3回にわたってやるのです。さすれば、数ヶ月後にお前に、5万人を指導できる人をつかわすであろう。」と言ったという。
 高橋教区長はこの時、ある決意をしていたので、即実行したという。風呂場に行って、氷のように冷たい水を頭からかぶり、愛の木40分、心情の木21分、万物の木21分、忠誠の木21分、祝福の木40分(合計140分)「生かされている生命を感謝申し上げます。不足なる我をお許し下さい。」と、ただ、ただ、涙と嗚咽と悔い改めの祈りをしたのだという。これを午前、午後、夜と3回繰り返したそうだが、今まで味わった事のない、祈りが聞かれているという劇的な体験を持つ事ができたという。
 この体験は、高橋教区長にとっては、リアルな実感であったのであろう。しかし、「真冬で、時にはマイナス20度にもなり、狭い講堂は600名の食口で、ギッシり埋まり、夜はジャンバーを着たまま寝袋に入り、魚市場に並ぶマグロのように少しの隙間もなく列をなし・・・。」という環境で、その過程で1週間断食をして、40日を過ごしたうえでの上記の「荒行」である。変性意識状態が発生するきっかけとしての「感覚刺激の上限および下限を超過(感覚遮断、社会的拘束、集団における混乱状態、断食・断眠などの宗教的修行など)」(この準備書面の8頁 変性意識状態をもたらす契機の1)。)そのものである。意識が変性状態に陥ちいり、幻覚が発生し、それをリアリティある体験として、受け止めてしまったのであろう。

4 集団的な洗脳の場である清平
(1)清平修練会についての手記
 天宙清平修練苑のホームページがあり、膨大な量の手記が掲載されている。読むのも大変なので、その中の2つのみを紹介する(手記中の表題は原告代理人が付した。)。清平修練会が変性意識状態を集団的に作り出して幻覚を見させ、それを「霊体験」と誤解させ、統一協会に対する「信仰」を強化し、統一協会が形成してきた統一協会的人格を強化する場であることが明らかである。

(2)なぜ、私は霊的体験を一度もできないのかと題する手記
ア 白い光が目の前でキラッと
 一泊二日(二泊三日)修練会の講義時間にとても疲れていて少しの間ウトウトしました。するとその瞬間前に座っていた日本の男性食口たちの頭の上から白い煙や緑色の煙がスーッと抜けていくのが見え、また星のような白い光が目の前できらっと輝くのでした。その瞬間目を疑わざるを得ませんでした。
イ 悪霊が抜けていくのが見えたのだ
 「ついに私も天使の光が見えるようになったんだ!」と思いながらも「あの人々の体から抜けていった白い煙や青い煙は何だったんだろう」ということが気がかりでしたが、「まさに悪霊が抜けていくのがそんな形に見えたのではなかったか!」とあとでわかりました。
ウ 霊的体験によって100パーセント信ずるように
 私は今回の第66回40日修練会に参加して本当に多くの霊的体験をしました。今はそのような体験を通して興進様と大母様の霊的役事を100パーセント信じるようになりました。(天宙清平修練苑HP 恵の証し 「なぜ、私は霊的体験を一度もできないのか 1」 甲第56号証)

(3)地獄から救いを求めた先祖と題する手記
ア 我が血管の中の悪霊
 数日して愛の樹で祈っている時、血管の中を我が物のように動く悪霊のその姿に血統転換と精誠と悔い改めなさいと申される大母様のみ言を思い出しました。血統、この罪を思うとき女性、エバとして身の置き所のない私でした。
イ 地獄が見えた
 興進様、大母様、訓母様が地獄の先祖を探しに行かれる様子、泥沼、沼の中で苦しみ、待ち望む先祖の姿、穴の中に潜む人、一人では二度と出られない谷底の暗黒の中で押しのけ押しのけもがき、膿漏(ママ)と繰り返している人、そのような様子が見えて、大母様が必死で語ってくださる様子、そのままでした。み言のままでした。身のすくむ思いです。
ウ 先祖が私を囲んで・・・
 6月2日は第459回の先祖解怨が行なわれました。丹心歌も涙がこぼれて切実な祈りになりました。右手を左手でしっかりと握り、祈っていくとき、姿はわかりませんが私を右側で囲んでとって下さるような感じがしました。私によく似たおばあちゃん、いらっしゃいますか?ご苦労してこられたんですね。長い間、お待たせして、お許しください。会えてとっても嬉しいです。本当につらかったですね。と、言ったとたん、私のようで私でない、私がワッと激しく泣いて、ワッと言ったまま息を吸おうとしても吸うこともできない激しさに、このまま息が止まってしまうのではないかと思ったくらいです。もっともっと手を取って泣いていたかった。息も止まるほど苦しいその中におられたのだと実感、み言を学んでくださるようお願いを伝えました。ご先祖たちが私たちが解怨してくれるのを本当にその日をどんなに切実な思いで待ち焦がれておられるのだと言うことを思いました(天宙清平修練苑HP 恵の証し 「地獄から救いを求めた先祖」 甲第57号証)。

5 その後人生の起点・基盤となり、その方向を規定する体験
(1)多額の献金の強制
 以上の体験は、体験者にとって、リアルなものであり、否定し得ないものであるために、「霊界」の存在を強固に信ずることになる体験である。体感した霊は、日常的に、体験者の周囲に「浮遊」して存在している状態で、金を払って先祖解怨と先祖祝福を受けさせなければ、様々な「悪事」をすることになると教えられ、霊の存在を信ずる以上、そのことも信ずる以外ないので、要求されている全てを行うためには合計2434万円もかかる先祖解怨献金と先祖祝福献金を強制されることになる。日々の摂理献金による窮乏で、2つの献金が行えない信者達は、恐怖に曝されながら生きることになる。

(2)人生を規定する体験
 清平で体験する「霊体験」は、その人の、その後の人生の起点や基盤となり、その方向を規定する体験となる。そのリアルで衝撃的な体験は、統一協会への信仰を強固にさせ、統一原理に対する不信を許さないものとなり、統一協会の指示どおりの人生を歩む強固な基盤となる。人生の基盤や起点となる様な体験を持つことは人にとってよくあることだと思うが、統一協会員が人為的に体験させられた「霊体験」ほど強固なものは、少ないであろう。
 統一協会員が清平で人為的に体験させられる「霊体験」は、科学の力や常識の力で否定することのできない超自然的な存在についての実感と確信を伴うものであるから、強烈で、影響力があるのである。その体験は、それが文鮮明がメシヤであること等と結びつけられることによって、統一協会への信仰を、後戻りすることのできない、不信することを許さない強さで支えるものになる。それを起点とした人生を歩むことは、経済的にも身体的にも統一協会に収奪されることであり、多額の借金に苦しむばかりではなく、夫との離婚や子供達との断絶など天涯孤独の身になってしまうリスクさえ含むものであり、他者を被害者に誘い込む加害者となる道なのであるから、客観的には極めて困難な、非人間的な道なのだけれども、その道を歩ませるだけの強さを持つ体験なのである。

6 恐怖を呼び起こし脱会を阻止する
(1)恐怖心・フラッシュバック
 清平の先祖解怨式で興進等が地獄の先祖を探しに行く様子、泥沼の泥の中で苦しむ先祖の姿、谷底の暗黒の中で押しのけ押しのけもがいている先祖、そのようなものを見てしまった人(上記甲57号証参照)にとって、即ち、地獄を現実のものとして見てしまった体験をした人にとって、地獄の存在は、強烈でリアルな体験として記憶に残ってしまう。地獄という言葉を聞けばその状況が頭に甦ることになる。
 そうすると、「統一協会を辞めれば地獄に堕ちる。」という教えを繰り返し教えられ信じさせられるので、統一協会を辞めるということを考えた場合には、すぐ清平で見た地獄が思い浮かんでしまうことになる。即ち、統一協会を辞める、或いは辞めさせられると思うことをきっかけに、信者の頭の中では、清平で体験した地獄の状況がフラッシュバックすることになる。それは強烈な恐怖を、その瞬間に信者にもたらす。
 このように考えると、清平で地獄を見せられた人達が、自らの力で統一協会を辞めるのは不可能であることがよく判ると思う。
 第3者、例えば夫などが辞めさせようとした場合には、夫がサタンに見えるし(そう、教えられている。)、辞めた場合に行くことになる地獄が頭の中に浮かび上がってくるので、恐怖にとらわれたその信者は、夫等の説得を全く受けつけないのである。

(2)恐怖の威力
 恐怖に曝されたとき、人間の脳にどのような変化が生まれるのか、直接画像として検出することができる装置が生まれている。近赤外光による脳機能可視化装置NIRSというシステムである。NIRSは通常の生活をしながら、その時々の脳の働きを、血液中のヘモグロビンの流量で測ることが出来るのである。

 普通、何も考えていない状態でも、脳細胞は生きるために呼吸をしているから、血液は常に脳の中をめぐっている。それが、NIRSの画像では緑色で表示される。通常時より酸化ヘモグロビンの流量が多くなっている部分は、赤や白で表示される。その部分の脳は活動している、考えている状態にあると判断される。
 インターネットで全世界に公開された、2004年の秋にイラクで誘拐された日本人が殺害された時の状況を収録した映像を使用して、人が恐怖にさらされた時、脳血流はどのようになっているかをNIRSで検証した実験で、被験者となったすべての人の脳で、その残虐画像を視聴中、「意識の座」とされる前頭前野で酸化ヘモグロビンが著しく減少していることが検出された。
 前頭前野の大半の部分は青や黒になっている、ここでは酸素が不足している。つまり前頭前野の大半で、脳は活動したくても活動できない、虚血状態みたいになっているのである(『さよなら サイレント・ネイビー』 甲58 255頁)。

 その結果、人は理性的に物事を考えることができなくなり、その恐怖から逃れるようにのみ、行動するようになるのである。

7 離婚されたある信者の証言・洗脳の効果
 以下に記載するのは、認知症で寝たきりの夫の母の最後の預金800万円を無断で解約して統一協会に献金し、夫から離婚を請求された妻の裁判における供述である。先祖がいい霊界に行くために献金を要求するから献金したのだという。解怨献金なのである。同人も何度か韓国に、夫に無断で、行っている。清平の修練会で「霊体験」をさせられたのだろうと推測される。

先祖を納得させるにはお金を先祖に積まなきゃいけないんですね。
  そうですね。
それが徳積みなんですね。
  そうです。
先祖にそのお金を積むと、先祖が今度悪いことをするんじゃなくて、よくしてくれる。
  そうですね。

・・・・・
それはあなたの信念ですね。
  ええ、自分の中での。そうです。
あなたの先祖は、そういった意味では徳積みを要求するわけですね。
  夢に現れますね、うちの父とか。
自分が苦しいと、いい霊界に行きたいと、そのためには献金してくれと。こういうふうになるわけですね。
  はい。
だから、あなたにとってみれば正しいことなんですね、この800万の献金というのは。
  そうですね。
(平成18年(家ホ)第166号 被告□□□□尋問調書 27〜28頁 甲第59号証)

8 大規模で公然たる詐欺の場である清平
(1)役事は詐欺
 「役事は原罪以外の罪と堕落性をすべて整理し、恨霊(はんれい)を分立するためのもので、毎日行われています。」(K陳述書 3頁)という。

 「私たちが病気になる理由は、霊たちが私たちの体の中にいて、その霊が血管を詰まらせたり、皮膚を腐らせたりもし、それにより癌も引きおこす為だと説明されています。役事をすることが、『医学的に科学的に見て』非常に良いことであり、白血病も治ったとされています。そして、体の各部位を霊分立する方法が述べられているのですが、例えば、精神異常者にする霊たちは頭と胸に最もたくさんいる、ヘルニアも霊が居座って血管が詰まってしまうことが原因であり、これらは全て役事で治ると断言しています。」(真なる私を探して 81頁〜93頁 甲60号証)(K陳述書 5頁)という。

 「修練会参加による感謝献金だけで(今までに)最低100億円ものお金が清平に入っていることになります。」(K陳述書 3頁)

 以上によれば、清平修練会は公然たる大規模な詐欺の場である。病気にはまだ、その原因が究明されていないものがあるとしても、それぞれの自然科学的な原因があるのであり、その原因に対する適切な対処をしなければならないものである。それを、体内に入り込んだ霊が原因であると虚偽の事実を信じさせ、その治療のためには霊を体内から追い出すことであるとして、体を叩くという行為をさせる。そのために金を取るというのは詐欺という以外ないことである。

(2)役事は教義とも関係ない
 統一原理はメシアである文鮮明が億万のサタンとの闘いに勝利し、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって(原理講論3色刷 38頁)解き明かした「真理」であるから、その内容は絶対不変なものである。その統一原理では、人は死亡によって「霊人体」となり、それは直ちに無形世界(霊界)に行って永住するようになると記載している(原理講論3色刷 83頁)。地上人に再臨することはあっても、人間の体の中に入り込むものではないのである。
 したがって、上記の役事が統一協会の教義である統一原理とは何の関係もないことは明らかである。

9 教義とは関係ない先祖解怨・先祖祝福
 先祖解怨とは地獄にいる先祖を、信者が7世代ごとに区分された先祖解怨献金を支払うと、興進等が地獄に探しに行って連れてきて、霊界にある興進の修練所で、100日の修練会を受けさせることをいう。そうすることで、初めて先祖は地獄から完全に解放されると言われている。その費用は、アダム・エバまでの210代の解怨のために、夫婦で合計1256万円とされている。
 霊界での100日修練会を終えた先祖は文鮮明夫妻によって祝福を受けなければ、天国には行けないのだという。祝福を受けるためには、さらに祝福献金を支払わなければならない。その金額は210代全てをするためには夫婦で合計1178万円になる。先祖解怨と先祖祝福を受けさせることによって、先祖は絶対善霊となって、地上人を協助するようになるのだという。
 しかし、原理講論によれば、地獄にいる悪霊人が救われるのは、次のような経緯によってである。すなわち、復帰のためのひとつの段階からその上位の段階に移行する際、天は悪霊人をして、その罪に対する罰として、地上人に苦痛を与える業をなさしめる。このようなとき、地上人がその悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として、地上人は恵みを受けることができ、このとき、彼に苦痛を与えた悪霊人も甘受した地上人と同じ恵みを受けることができるのである(原理講論3色刷 230頁)。その反復によって地上人も悪霊人も救われることになるのである。
 要するに、悪霊人が救われるのは、地上人が救われるからである。地上人が救われるのは、悪霊人のもたらす苦痛を甘受するからである。統一協会に合計約2400万円もの金を支払うからではない。
 また、キリスト教以外の宗教を信じた先祖は、原理講論によれば、地獄にはいない。統一協会のいう中間霊界(天国、楽園の下で地獄の上)と言われるところにいる。そのような人たちは、自分たちが地上で生存したときに信じていたのと同じ宗教を信じている地上人の中で、その対象となれる信徒を選んで再臨し、復帰摂理の目的が成就されるように彼らに協助して、彼らと同様の恵沢を受けるのである(原理講論3色刷 228〜229頁)。日本人の先祖の多くは、仏教の真摯な信者であった。仏教が伝来する以前は神道の信者であった。日本人の圧倒的多数の先祖は真摯な信仰を持っていたのである。そのような先祖は原理講論によれば、そもそも、地獄にいないので、先祖解怨の対象にならないはずなのに、それらもすべて地獄にいるとされて、お金を支払って解怨する対象とされている。
 先祖解怨と先祖祝福を終えた先祖は絶対善霊となり、天国に行くのだそうだが、そもそも、原理講論によれば、地上天国ができなければ誰も天上天国に行くことはできない(その意味で、天上天国もできない)はずである。だから、イエスも天上天国の前の「楽園」に止まっているのである。地上天国はできていないのに、金を払えば先祖が天上天国に行けるというのも、原理講論と矛盾している。

 以上、要するに、先祖解怨・先祖祝福は、統一協会が金儲けのために考え出した方法の一つに過ぎないもので、教義と何の関係もないものなのである。

以上


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