青春を返せ・札幌訴訟・控訴審
弁護士 郷路征記
控訴審判決の分析
1 連絡協議会について
(1) 「協会員」についての控訴審判決の認定
岡村が証言した信者52万人は名簿に登録された信者数と等しいと推認される。信者は公式7路程の実践が義務とされている。
したがって、52万人の信者の大多数は、原判決が定義した協会員、即ち「客観的・外形的に経済活動や伝道活動を行う者」に該当する。
(2) 考察
地裁判決は287頁以下において、「協会員等の組織・活動とその帰属」という項を設けて、札幌地区の各組織、北海道ブロック、中央本部など、いわゆる連絡協議会の組織について分析をしている。控訴審判決は地裁判決の上記部分を前提として、(1)の通り論じているので、52万人の信者の大部分がいわゆる連絡協議会に所属していることを認めていることになる。
(3) 連絡協議会の存在について
「被告協会と区別された独立の団体としての連絡協議会の存在自体、極めて疑わしいといわざるを得ない」という地裁判決の認定に対する統一協会の批判を一つ一つ否定して(15頁〜17頁)、地裁判決の認定を確認している。
(4) 統一協会への帰属の有無
連絡協議会の存在を事実上否定した上で地裁判決は、「協会員」の組織の統一協会への帰属の有無を問題とし、結論として連絡協議会が「被告協会の非公式的な一部門に属していた」か、すくなくとも「その活動が、被告協会のものとして明示的または黙示的に許容され、その実質的指揮監督下におかれていた」と認定している。
それに対して控訴審判決は、地裁判決の上記認定が証拠から容易に認定或いは推認することができることであると言ってその認定を確認した上で、統一協会の証人の証言によって「協会と連絡協議会とが別個の組織であったなどと認定することはできない。」(18頁)と判断している。
(5) 結論
控訴審判決の認定によれば信者52万人のほとんどが経済活動を行っているはずなのであり、経済活動を行っている組織は「連絡協議会」であり、「連絡協議会」と協会が別個の組織であることを認めることはできないというのであるから、連絡協議会が統一協会そのものであるという我々の主張が認められたものと考えられる。
2 勧誘方法について
(1) 地裁の認定
地裁判決の認容した統一協会の「組織的体系的目的的」勧誘方法は次のとおりである。
統一協会の勧誘方法は、
@ 各組織で目標を定め、
A 宗教であることを秘匿しつつ友人からの電話、街頭での勧誘、手相などの訪問からビデオセンターに導き、
B ビデオセンターは伝道活動であることを悟られないように一般ビデオを混入したりして
学習意欲や好奇心をかき立てる。そして、
@ 余人を排した教育過程であるツーディズその他のコースに誘い込み、
A 善良にして親切で明朗な協会員による親身の指導などで心情的帰属意識を植え付け、
B 過程ごとに教義の浸透度を確認把握し、
C 悩みや弱点を把握して、手相因縁話などで不安を煽り、畏怖困惑させ、宗教的救いを希求する心情を掻き立て、
被告協会の教義の学習の浸透を図ってきた。また、それらの過程で
@ 相手方らの信頼に乗じて、
A その資産や収入を把握し、
B 物質的利益に執着する卑しさを強調し、
陰に陽に献金を勧め、物品の販売をしてきた
というのである。
(2) 高裁の認定
上記地裁の認定を前提にして控訴審判決は次のように勧誘方法を特徴づける。
ア 組織性体系性目的性
勧誘方法が組織的体系的であるからといって違法にはならないという統一協会の主張に対して
「宗教教義の勧誘であることの秘匿を徹底し、きっかけを設けて教義の伝道目的で設置された施設に言葉巧に導き、更に教義に関心を持たせ、学習意欲や好奇心をかきたてる一方、いわゆる因縁トーク等を用いるなどして不安をあおり、宗教的救いを希求するように仕向け、その間に資産や収入を把握した上で、それを取り込むための献金や物品の販売をしようとするものである場合を」、一般的に行われ、かつ、許容される伝道活動等と同列に扱い得ないことはいうまでもないとした(同判決19頁)。
この認定は地裁の上記認定とほぼ同じである。
イ 統一協会であることを隠すことは許されない。
伝道とは善なる目的の下に行われる(統一協会の主張)ものであれば勧誘の際に統一協会であることを隠す必要性及び合理性はないとした上で
「(勧誘は上記の方法によって行われ)、単に宗教的な伝道であることを消極的に秘匿するだけではなく、宗教教義に関する伝道ではないか等と尋ねられてもこれを否定したり巧妙に答えをはぐらかしたりし、その一方で親族等に話しをしないように言葉巧に指導するなどして被勧誘者と外部との接触を困難にさせ、正常な判断ができない状況を作出して、教義に傾倒させ、これを断ち切りがたい状態にまで強めさせようとするものであって、このような方法による勧誘を受けたものが外形的には個々の行為に承諾を与えたようなことがあっても、それは自由な意志決定を妨げられた結果に過ぎず・・」(同判決20頁)、そのような勧誘方法であるから、統一協会であることを隠すことが許されないのは当然とした。
ウ 普遍的真理として勧誘することも許されない。
普遍的真理を流布しているという外形をまとって伝道することは許されないという地裁判決に対して統一協会が宗教上の教義をその様に言うことは憲法違反だと批判したのに対して
「(科学的論理的に検証することはできない)教義について、社会的相当性を逸脱する上記のような方法を用いて被勧誘者に正常な判断ができない状態を作出し、時にはそれが宗教の教義ではなく、宗教や科学を超えた普遍的真理である等と述べて、勧誘などをすることが許されないことは当然である。」と判断した(同判決21頁)。
(3) 注目すべき点
注目すべきなのは、2回にわたり勧誘方法について「正常な判断ができない状況を作出し」という評価がされていることである。
ア 正常な判断のできない状況の作出
(ア) 原告主張との関係
統一協会の布教過程で被勧誘者に求められる重要な意志決定(同意)は、ビデオセンター・2ディズの受講決定、ライフトレ・4ディズの受講決定、4ディズにおける献身の内面的決定、新生トレ・実践トレの受講決定、献身の実行であり、公式7年路程に従い経済活動に身を投ずるという決定である。
原告らは、その意志決定のそれぞれにおいて「宗教性の秘匿」、「教育過程の次の段階を明らかにしないこと」、「勧誘の真の目的を隠すこと」、「情緒高揚による操作」、「恐怖」のいずれかあるいはその複数の事由の影響下での意志決定(同意)を余儀なくされるようになっており、被勧誘者の各意志決定(同意)は「歪められている」と主張してきた。
そのことを控訴審判決は、被勧誘者は統一協会により「作出された」「正常な判断ができない状態」によって「同意」したのであり、その同意は統一協会の行為の違法性を阻却しないと判断したのだと思われる。
また、控訴審判決は「正常な判断ができない状況を作出して、教義に傾倒させ、これを断ち切りがたい状態にまで強めさせようとするもの」と判断している。その記述から考えれば、真理と信じさせる技術として原告らが主張した、例えば、「社会的証明のルールの利用」、「一貫性のルールの利用」、「権威のルールの利用」、「集団への順応のルールの利用」、「判断基準の働きを弱める」、「判断基準の入れ替え」等についても、控訴審判決は否定的ではないのだと思われる。
(イ) 判例上初めてではないか
「正常な判断ができない状況を作出し」という認定は、伝道の違法を問う訴訟における判例は勿論、献金に関する判例にも今まで表れていない認定であり、初めての認定であると思われる。今までの判例の認定の主流は、因縁話などによる勧誘の手法が被勧誘者を畏怖困惑させ、そのことが社会的相当性を欠いているというものであった。「畏怖困惑させた」というのは「正常な判断ができない状況を作出した」ことの一つであり、「正常な判断ができない状況を作出させた」ことよりも下位の概念である。我々が統一協会の「マインド・コントロール」として主張・立証してきた具体的事実をすべて包摂した概念である。
したがって、この認定が被害者救済のために持つ意味は、大きいのだと思われる
イ 統一協会であることの秘匿への評価
地裁判決より格段に厳しくその違法性を指摘している。そもそも「伝道とは、自ら価値があると信ずる宗教的教義を他者が信ずることがその人の幸福や救いにつながると考え、善なる目的の下におこなわれるものである(控訴人の主張)のであれば、本来的には、その教義を秘匿すべき十分な必要性及び合理性はないはずである。」と断定している。この認定は、ごく普通の人々の感覚に合致する内容である。このような判断こそが、統一協会の違法行為を抑止する力を持つのだと考えられる。
ウ 手相、姓名判断、家系図鑑定について
その評価は地裁判決と変わらない。
3 結果について
(1) 自由な意志決定が妨げられたと認定
高裁判決の地裁判決との大きな相違は、統一協会の勧誘行為の結果、被勧誘者は「同意」を与えたり、「献金」をしたりしているが、それは被勧誘者が自由な意志決定を妨げられた結果に過ぎず、「同意」があったとしても「(勧誘行為の)違法性が阻却されることにはなら」ず、「献金等の出捐」があったとしても「(統一協会が)財産を収受することが正当化される根拠はない。」という評価である。
統一協会が本件訴訟において自己の勧誘行為などの正当性を被勧誘者の「自由な意志」による同意があるからだと主張していたことに鑑みれば、控訴審判決が本件において被勧誘者の「自由な意志決定が妨げられた」と認定したことの意味は大きい。統一協会のよってたつ論拠が真正面から否定されているからである。
(2) 意思表示の瑕疵と自由な意志決定の妨害
民法上、意思表示の瑕疵が問題となるのは、錯誤、詐欺、強迫である。そのような瑕疵ある意思表示は、無効或いは取り消しうるものとなる。被勧誘者が統一協会に対して与えた「同意」や「献金等の出捐」が上記の、意思表示の瑕疵の直接的対象ではないことは明らかである。統一協会の勧誘行為は「錯誤、詐欺、強迫」という概念で把握しきれるものではないし、そこで、被勧誘者が迫られているのは「錯誤、詐欺、強迫」が対象としている1回的な意思表示ではない。
それは、「錯誤、詐欺、強迫」行為よりも違法性の低い、それだけを取り出せば違法とは評価できないような行為を何回も何回も多様に繰り返して意志決定への影響力を強め、宗教的要素を利用した害悪の告知を行い、最終目的である公式7年路程を信じて経済活動を行うことへの同意を直ちには求めず、そこに至るまで何段階にもわたって分解した段階的な意志決定をさせ、その決定によって各段階の教化を継続して価値観の変換を進めるなど、「錯誤、詐欺、強迫」よりはるかに複雑で、狡知で、その手段を総合すれば、意志決定への不当な影響力が詐欺、強迫よりもはるかにはるかに強い行為なのである。
控訴審判決は、以上のような統一協会の布教過程の特質を考慮して、それによる結果を「自由な意志決定を妨げられた」と評価したのだと考えられる。そのように考えれば、「自由な意志決定を妨げられた」という概念は、伝統的な「錯誤、詐欺、恐喝」という概念では捉えきれなくなってきている複雑な現代の取引社会等への法的対応として、加害行為の違法性判断や契約の有効性判断の基準として大きな意味を持つものとして成長する可能性があるのではないかと考えられる。
(3) 東京地裁判決との対比
統一協会の勧誘行為によって被勧誘者の自由な意志決定が妨げられたと評価したのは札幌高裁判決がはじめてではない。次のとおり東京地裁判決が初めてなのである。
「原告らに対する勧誘・教化行為は、不当な目的に基づく社会的相当性を逸脱した方法で、結果として原告らの自由意志を阻害しているものといわざるを得ず、原告らの信教の自由を侵害する違法な行為と云うべきである。」(同判決171頁)
東京地裁判決は自由意志を阻害しているという統一協会の勧誘方法について次のとおり認定している。
@不当な目的を秘匿しながら
A因縁、霊界の働きかけ、罪深さで不安を煽り
Bある程度教義を教え込んだ時点で
C知ったものが離れると罪が重くなる、先祖にざん訴されるといって
D教義からの離脱を困難な精神状態にした
Eその過程では、堕落人間であることを意識させ
F救いのためには自己の判断で行動することは許されず、アベルの指示に従い
G自己の考えは、サタンの働き、堕落エバの考えと批判した。
札幌高裁判決の方が、よりソフトな手段方法によっても自由意志が阻害されることを認めていると言うことができるであろう。
4 救出と家族が受けた被害について
統一協会への入会によって被勧誘者と家族との関係が悪化したことについて、判決は「被控訴人らの財産の違法な収奪と無償の労役の享受及び被控訴人らと同様の被害者となるべき者の再生産という不当な目的を達成するための手段として、あるいはその結果として、被控訴人らの家族関係をはじめとする人間関係の悪化を将来したことは、被控訴人らが不法行為によって被害を受けたことにほかならない」(23頁)と判断している。
そして、拘束によるものであれ、家族が被控訴人らを統一協会からやめさせたことは、統一協会の被控訴人らに対する責任の「終期」をもたらしたものと評価しているのである(24頁)。
また、拘束が正当化されない場合の存在は認めつつ、その問題は、拘束したものと拘束されたものとの間で解決されるべき問題であり、統一協会には何の関係もないと判断している。
そうすると、判決は、統一協会にいる限り統一協会員は自由な意志決定が妨げられている状態にあることを認めているのだと考えられる。そう認めているからこそ、脱会が統一協会の責任の「終期」であるという評価をするのだと考えられる。
したがって、家族の行う救出活動は、本人に自由な意志決定をさせることを目的にしていることことを裁判所も認めることになるはずである。これは社会的に正当な目的である。そして救出活動の結果、本人は自由な意志決定ができるようになるのである。結果も社会的に素晴らしいことである。そうすると救出については手段だけが問題となる。手段についても「自由な意志決定が妨げられいてる」統一協会員なのであるから、通常では認められない手段についても本人のために認められる場合があると考えられる(このように言うことは、我々の側の態度として、極力本人の意志を尊重した救出活動を行うべきであるという考え方と全く矛盾しない。本人の心に寄り添った本人のための救出活動こそ我々が求めるものである。)。
そして、また、以上のような判決の考え方からすれば、統一協会に子供が加入して反社会的活動を行ったことや救出に要した親の労苦に対して、統一協会に損害賠償請求訴訟を提起することが考えられても良いのだと思われる。
5 総括
以上札幌高裁判決は、画期的と評価された札幌地裁判決を基礎に、より実態に即した認定判断を行い、連絡協議会が統一協会そのものであることを事実上認めていること、統一協会の主体を隠した勧誘を普通人の感覚によって厳しく批判し、統一協会の「マインド・コントロール」についても「正常な判断ができない状況を作出して」とその存在を肯定したものと思われ、その結果被勧誘者の自由意志が妨げられたから統一協会の行為は被勧誘者の信仰の自由を侵害した不法行為であると認定したのだと考えられる。
そして、救出活動の正当性や親などの統一協会に対する新しい訴訟について、その可能性を切り開いたのではないかと考えられる。