郷路弁護士通信
2014年2月26日  魚谷次長、統一協会の伝道活動は個人の自由意思を歪めています。

1 魚谷次長はそのブログ(札幌地裁判決の批判 第4回目)で、「地裁判決は、『個人の自由な意思決定を歪めるかたちで行われる伝道活動』が何を意味するのか明確に示していない。」と述べている。しかし、これは明確な間違いである。
 札幌地裁判決は「宗教の伝道・教化活動は、自由な意思決定を歪めないで、信仰を受け入れるという選択、あるいは、信仰を持ち続けるという選択をさせるものでなければならない」としたうえで、信仰を受け入れさせるという宗教の伝道活動は、@まず第一に、神の教えであること(教えの宗教性あるいは神秘性)を明らかにした上で相手方に信仰を得させようとするものでなければならないとすべきであること、A次に、入信後に特異な宗教的実践が求められる場合、その宗教の伝道活動においては、入信後の宗教的実践内容がどのようなものとなるのかを知らせるものでなければならないとすべきであると明確に述べているからである(判決 257頁・PDF)。即ち、これらの基準に反する伝道活動が、「個人の自由な意思決定を歪めるかたちで行われる伝道活動」なのである。
 魚谷次長が地裁判決のこの部分を読み落としているとは考えにくい。魚谷次長はブログの上記文章に続けて「個人の自由な意思決定が歪められているかどうかは、二つの要素によって分析される。一つは、個人の判断能力の問題である。・・・もう一つの要素は、個人が判断を下した時点で、判断に必要な情報が開示されていなかったか、脅しや強要があったかどうかということである」と述べている。このように、「自由な意思決定が歪められている場合」の要件を限定することが、札幌地裁判決の明確な記載を、ないものとした魚谷次長の目的だったのだと推認される。魚谷次長の主張する2つの要件でのみ検討された場合、伝道活動の過程で4つの判断が求められ、それぞれの判断の前にはそれに先立つ「教育」によって認識が変えられてしまう、統一協会の伝道活動を違法とすることは難しいからである。

2 統一協会の伝道活動の特徴は、魚谷次長が法廷での約束にまで反して、長年にわたって無視し続けている私の分析によると、以下のとおりである。
@ 自己啓発の場であるとか真理が判る場であるとかの嘘をついて、統一協会の布教活動であることを隠して、ビデオセンターの受講決定させること。
A ビデオセンターやセミナーで教えられているのが、統一原理という宗教教義であることを隠して、事実である、真理であると言って、原罪や霊界、因縁という超自然的なものの存在を教え込む。それらの存在を事実と信ずることは、宗教を信ずるに等しいことなのに、受講生は事実であるとして信じさせられる。
B ビデオセンターやセミナーでの教えを通じて、事実を教えているという装いをとりながら、恐怖心、罪の意識、責任感や使命感という感情を植え込む。その結果、受講生はこの「学びの場」から離れられなくなる。これらの感情は統一協会員になった後も、人を組織に縛り付けるために極めて重要な役割を果たす。
C 集団へ順応するという人間の強い特性を利用して、神の実在を信じさせる。神の実在を信じさせる理由のひとつは、人類歴史が6000年であること、2000年ごとに神の摂理によってメシアがこの世に派遣されていること、現在、そのメシアが地上に再臨しているという、真理でも事実でもないことを、真理であると信じさせるためである。
D 原罪や霊界、因縁の実在、神の存在を信じさせられ(即ち、宗教を信じるのと等しい状態に変えられ)、恐怖心、罪意識、使命感や責任感も植え付けられ、メシアが再臨しているという事実を信じさせられ、統一協会の「教育」によって引き返すことができなくなってしまった受講生に対して、この段階で初めてメシアが文鮮明であること、この組織がメシアの作った統一協会であることを明かし、その直後に罪意識を強く刺激して宗教的救いの渇望を高め、文鮮明が罪人である受講生たちに愛を与える者であるという演出をおこない(お父様の詩が朗読されること・PDF)、受講生を感動させてメシアとして受け入れさせてしまうという方法をとっている。即ち、統一協会への信仰は以上のとおりの方法で人為的に受け入れさせられるのである。
E 統一協会を信仰する結果、人は文鮮明と統一協会に隷従することになり、救いの道として示される「人生と財産を(統一協会に)差し出し、経済活動に従事する」ことになる(判決 252頁〜253頁・PDF)。その重大なことが、信仰を与える段階でも隠されている。

 統一協会の伝道活動として行われている事実が被勧誘者の「自由な意思決定を歪めている」かどうかという問題は、魚谷次長が主張する基準によって取り扱われるべきものではない。
 ビデオセンターへの入会過程からフォーデイズで文鮮明をメシアと受け入れさせるまでの、人間の心理を分析しぬいて精密に順序立てられた一連の過程(その特徴が上記のとおりなのである)が順序を追って重合的、複合的に作用した結果、文鮮明をメシアとして受け入れさせられるのであるから、その総体を見て「自由な意思決定が歪められている」かどうかが判断されなければならない。
 以上の原告らの主張を踏まえた上で、札幌地裁判決は伝道における宗教性の秘匿と、宗教的実践活動の秘匿という上記1の2つの基準によって、統一協会の伝道活動に違法性を見いだしたのである。
 従って、原告らの主張としては上記2の@からEに記載されたような方法で原告らの自由な意思決定は歪められていたのであり、地裁判決は上記1の@とAによって原告らの自由な意思決定は歪められていたと判断しているのである。
 以上のとおり、議論の土俵を自分に有利なものに作り替えた上で行っている、魚谷次長の札幌地裁判決批判が誤っていることは明らかである。

3 魚谷次長は、「教義や宗教的権威の言葉が間違っていることを言葉により論理的に証明してみせても、人の信仰を揺るがすことができない」という札幌地裁判決を批判するため、原告らについて、「教義や宗教的権威の言葉が間違っていることを論理的に証明」してみせられた結果、信仰を棄てたものであると述べている。しかし、これも間違いである。
 保護説得の場で行われているのは、統一協会の歴史や文鮮明の個人史についての客観的な事実の提示、原理講義においておこなわれている聖書の引用の誤り等々の事実の指摘である。統一原理が論理的に間違っていることを説得しているわけではない。その場で行われているのは、真理と信じさせられた統一原理が本当に真理であるかどうか、それに反する事実をも検討の対象とすることによってその真理性を検証してもらおうとする働きかけなのである。従って、その作業は性質上統一協会員本人が自分の意思で行わなければならないものである。教え込むなどというものではない。親や説得者が行うことは、基本的に、客観的な事実の提示に留まるものである。
 次いで行われていることは、文鮮明と韓鶴子が真の父母であり、実の父母は肉の父母にすぎないと教えられ、その父母はサタンの手先となりうる者と教えられること等によって分断されている親子の絆を再生することである。分断された親子の情のつながりが回復すれば、統一協会員は自らの頭で考えることができるようになる。罪人だから自分の頭で考えてはいけないと教えられたアベル・カインの原則にとらわれることなく、自分の頭を働かすことができるようになる。親子の情がつながれば恐怖心を克服することができるようになるからである。自分の頭を働かせるようになれば、統一原理の誤りを理解することは可能なことなのである。
 以上のことが説得活動の本質的な内容である。だから地裁判決が「教義や宗教的権威の言葉が間違っていることを言葉により論理的に証明してみせても人の信仰を揺るがすことはできない」というのは、その通り正しいことなのである。
以上


【トップページへ戻る】
















スキンケア