郷路弁護士通信
2013年8月13日 魚谷次長、「初期の段階」のみが問題ではないのです。
魚谷次長は大学のカルト対策(14)、〈4.キャンパスでの声かけから、ネットSNSに移行する勧誘の手口〉で、親鸞会の元会員であった瓜生氏との「やりとり」を紹介した上で、「瓜生氏がどんなにカルトの勧誘テクニックの巧妙さを訴えてみても、確率が1000分の1ではあまり説得力はないと言えるでしょう。」と批判している。
親鸞会の勧誘に対して会員となる確率が1000分の1であるかどうかについて私は正確な知識がないが、統一協会の勧誘確率は1000分の1などではない。
統一協会の勧誘確率については、昭和63年から平成元年当時、統一協会のある青年支部で教育部長をしていた現役信者が統一協会申請の証人として青春を返せ第一陣訴訟で証言している。その証言と、原告ら申請の教育担当者であった元信者の証言、統一協会本部の総務局長岡村信男の証言が一致しているのである。その内容は、ビデオセンターの受講を決定(コース決定という。)した者のうち、1割が統一協会員になり、5%が献身者になるというものである。
平成3年の北海道西9支部(札幌地域の青年支部)の1年間の実績によれば、コース決定が664名だったのに対してツーデイズ受講者が279名(42%)、フォーデイズ受講者が263名(30%)、献身者が38名(6%)である。
それらの証拠を受けて、青春を返せ第一陣訴訟の判決では、新規ゲストのうちコース決定をする者が約半数(348頁)、S4(再来4回目)までで約半数が辞め、ツーデイズに参加するのはその約半数(351頁)、ライフトレ参加者はツーデイズ参加者の7、8割(356頁)、フォーデイズ参加者はライフトレ参加者の8、9割(357頁)、新生トレ参加者はフォーデイズ参加者の8、9割、半数以上は献身するとの方向性が定まる(361頁)、実践トレ参加者は新生トレ参加者の8、9割(364頁)であると認定している。
5%が献身者になる、1割が統一協会員になるという勧誘確率ではなく、「2〜4%」という数字を用いて「(統一協会が心理操作をおこなっていたとしても)有効性があるとは言いがたい」という意見が一部にある。このことについて私は『自立への苦闘』(教文館 2005年9月)の中で次のように批判している。
「札幌訴訟で明らかになったデータでは、百名にビデオセンターへの受講を決定させることができれば、そのうち5名は献身者になったと言います。仕事を捨て、親を捨て、文鮮明の指示があれば道徳的・倫理的に間違ったことでさえ正しいことと信じて実践する人間になったのです。これが信じられないような高率でなくて何でしょう?」
「統一協会であることを名乗って勧誘すれば、誰もその勧誘に応じないでしょう。『文鮮明のために、一生、物売りをしなければなりません』と真実の目的を当初から告げたなら、誰が入会するでしょうか?」
以上のことを前提にして判断すると、統一協会の勧誘確率は信じられないほどの、恐ろしいほどの高い確率と評価されるべきである。
その確率は最近、より一層あがってきていると思われる。平成18年6月頃のセラア・サッポロという統一協会の販売会社の資料によれば、信者達の、ポスティングや戸別訪問による合計活動時間1250時間によって、印鑑・風水展に18名を動員することができ、そのうち14名に物品を買わせることができ、7名をコース決定させることができたというのである。コース決定をさせるためには、物品を買わせた後で、先祖供養のためとして初水行(一日の最初の水をコップ一杯、先祖のために供える)をさせたり(一貫性の原理の利用)、古印供養と称して家系図をとり、家系図を用いて因縁話をするのである。因縁による恐怖に訴えることが勧誘方法の中核に据えられてきている。その後のコースでも、最初のうちは因縁による恐怖を教え込むことが中心になってきているので、離脱率はより低くなっていると思われる。
以上のとおり、統一協会の布教・教化テクニック(マインド・コントロール)は、恐ろしいほど強力なのである。
次いで、魚谷次長は「初期の段階で名前や目的を明かされたか否かに関係なく、教えの世界観や教団での人間関係が気に入った人は入信するし、受け入れらなかった人は拒絶するという、自由意思による個人の選択をしているのです。」と述べている。
青春を返せ第2陣2次訴訟の判決は、統一協会の布教活動の違法性の基準として、第1に伝道における宗教性の秘匿をあげている。その内容は、@自己啓発セミナーであるとか、占いであるとかという嘘をついてビデオセンターのコース決定をさせること、Aビデオセンターでは宗教教義であることを隠し、真実であるとの立場で、原罪や因縁を教え込むこと、である。
文鮮明をメシヤとして受け入れさせる段階において、入信後の特異な宗教的実践を秘匿していることが第2に違法であることの基準とされている。
原判決があげている特異な宗教的実践とは、@心情解放展での罪の精算としての多額の献金、A実践トレーニング直後からの献身、B公式7年路程と祝福、C様々な経済活動である。これらの事実を告げないまま、罪意識をいたずらに刺激し救いを求める心情を掻き立て、因縁を強調して先祖を救済し、子孫を守る者としての使命感を煽り、そのような者に文鮮明が「愛」を与えることによって感動させ、文鮮明をメシヤとして受け入れさせてしまうのである。
2次訴訟判決では以上の基準によって統一協会の布教活動が違法とされているのであって、「初期の段階で、名前や目的を明かされなかったこと」だけが問題とされているのではない。
魚谷次長が「偏見に満ちていて、書評に値しない」と切り捨てた私の論文では、より詳しく統一協会のマインド・コントロールの技術を明らかにしている。魚谷次長はそれらの具体的事実については知らないふりをして、問題を「初期の段階」のみに限局することによって、統一協会の布教活動に対する批判をかわそうとしているのである。