郷路弁護士通信
2013年6月26日 魚谷次長、判決への批判は的はずれです
魚谷次長は青春を返せ訴訟第1陣訴訟判決、同第2陣2次訴訟判決について、私が「これらの判決について、統一協会の布教・教化課程そのものの違法性を認定した点が画期的である、と主張しています」と述べています。しかし、『大学のカルト対策』の論文で私はそのようなことを全く主張していません。
第1陣判決については「統一協会がその勧誘の当初、正体を隠して勧誘することが宗教を信ずることの重要な意味合いから見て、被勧誘者の思想信条の自由を侵害する恐れがある行為であって違法行為になる」という判断を示したこと、第2陣2次訴訟では、宗教団体の布教活動が違法行為になる場合として、「伝道における宗教性の秘匿」など4つの基準を示したことを指摘して、それらの判決を私は評価しているのです。
また、私自身が裁判において「統一協会の布教・教化課程そのもの」を抽象的に問題にしているわけではありません。統一協会の布教・教化課程を構成する統一協会員の活動を細大漏らさず調べ上げ、それを主張するという態度を貫いています。各判決とも統一協会の布教・教化課程を構成する統一協会員の活動を詳細に認定しています。そのうえで、統一協会員の布教・教化活動を上記の基準によって、違法だと認定しているのです。
従って「宗教団体の布教・教化課程そのものを違法性の根拠とすることは、国家が宗教的事柄の是非に過度に介入することになり、政教分離の原則から見て、大変に問題の多い判決であると言えるでしょう。」という魚谷次長の批判は、全く的はずれなのです。私はそんなことを言ってませんし、判決は「布教・教化課程そのものを違法性の根拠」としていないのですから。
憲法における政教分離の原則は、「国家が宗教との関わりあいを持つことを全く許さないとするものではなく、・・・・・信教の自由の確保という制度の根本目的との関係で、相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである。」(津地鎮祭訴訟大法廷判決)とされています。憲法20条第3項で国がおこなうことを禁止されている宗教的活動とは「当該行為の目的が宗教的な意義をも」つものとされています。
従って、裁判所が、宗教団体の布教・教化活動によって権利が侵害されたという国民からの訴えに関して、訴えられた宗教団体の布教・教化活動について、当事者から提出された証拠に基づいて必要な判断をすることは、その職責上当然のことで、いささかも政教分離の原則に抵触することではありません。