郷路弁護士通信
2013年6月18日   魚谷次長、又、スルーですか? 

 統一協会員である魚谷俊輔天宙平和連合日本事務次長(以下、「魚谷次長」という。)が『大学のカルト対策』(北海道大学出版会刊)の書評を書いています。私は『大学のカルト対策』の中に「青春を返せ訴訟25年:統一協会との闘い」という論文を掲載しています。魚谷次長は、私の論文をブログで批判していますので、以下その批判に答えることにします。
 魚谷次長は私の論文が『大学のカルト対策』という本の全体の21%を占めていることから、「『大学のカルト対策』において統一協会対策がどれだけ重要な部分を占めているかを、この数字が物語っています。」と述べています。
 勿論、『大学のカルト対策』の中で統一協会対策は重要な部分を占めているのだと推測します(現場を担当していないので詳しいことはわかりません)が、そのことと私の論文がこの本全体の21%を占めていることとは何の関係もありません。
 私がこの論文を執筆したのは櫻井義秀先生の依頼によるのですが、その依頼の際に頁数や、論文の内容についての指定や注文は何もありませんでした。題だけは与えられていて、その題に沿った論文を書くように依頼を受けただけです。従って、私の論文が本全体の21%になったのは、櫻井先生にも私にも統一協会に対する関係で、何らかの意図があったからではないのです。
 それだけの分量になったのは、ただ、ただ、統一協会の布教・教化課程が極めて複雑、巧緻に組み立てられていているためです。それをできるだけわかりやすく述べることに心を砕きました。できるだけ短くしようとも考えました。しかしながら、これだけの分量になってしまったというだけのことです。

 魚谷次長は私の論文が裁判における原告側の主張を要約したものと評価しています。その意味で「一方当事者の言い分」に過ぎずと述べています。
 私のこの論文は、私が25年にわたっておこなった裁判での主張を総括したものだと考えています。これまで、統一協会の布教・教化課程について様々な分析をしましたが、それらの分析を土台にして、今回の分析でこそ、普通の人が何故こんなことを信じてしまうのかという疑問に答えることができたのではないか?と考えています。
 裁判における「一方当事者の言い分」であるからと言って、それが正しい分析であるかどうかについて批判や意見を拒むものではありません。
 このような場合には、私の論文に対してその内容が事実と違う、或いはその論証が誤っている等々の批判が加えられ、そのことによって私の論述の正当性を覆そうという試みが行われるのが普通です。
 ところが、魚谷次長はそれをしようとしません。目次を示しただけで、内容を示さず、「内容は偏見に満ちていて書評に値しない」と一刀両断、切り捨てています。私の論文のどの部分が偏見に満ちているのか、たった一つの具体例もあげてくれていません。
 魚谷次長が私の書いた文章について、この様な態度をとる、批判もしないで放置するのは初めてではありません。魚谷次長は統一協会申請の証人として青春を返せ第一陣訴訟で平成12年12月5日証人として証言をしています。反対尋問に立った私は魚谷次長に対して、私の著作『統一協会マインドコントロールのすべて−人はなぜ文鮮明の奴隷になるのか』(教育資料出版会刊)について、「あなたは、この本の批判を何故しないのですか。」と質問しました。それに対して魚谷次長は、「これからやらしていただきたいと思います。」と答えたのです。それから12年もの年月が経っています。
 魚谷次長はマインド・コントロール論について色々書いてはいるらしいのですが、私の書いた、統一協会の布教・教化課程を具体的な事実に基づいて分析した著作について、ひと言も反論しないことが12年間も継続しているわけです。
 魚谷次長は今回も同じ方法で逃げようとしているのだと私は思います。


【トップページへ戻る】















スキンケア