信仰の自由侵害回復請求訴訟(第一次)・訴状
弁護士 郷路 征記

第3 被告統一協会による伝道活動の違法性・総論

1 違法性判断の基準

 「特定の宗教の信者が、その属する宗教団体への加入を勧誘し、教義の学習を勧奨してその費用を収受し、献金を慫慂してこれを収受し、宗教団体の活動への参加を求めることは、信教の自由により保障された宗教活動ということができるが、他面、それらは、その相手方の信教の自由を始めとする基本的人権を侵害するおそれもあることにかんがみると、自ずから内在的な制約があることを免れない。そして、それらの宗教活動が、社会通念に照らし、外形的客観的にみて不当な目的に基づくものと認められ、また、その方法や手段が相当と認められる範囲を逸脱し、その結果、相手方に損害を与えるおそれがあるような場合には、たとえそれが宗教教義の履践の名の下に行われたものであっても、信教の自由としての保護の域外にあるものとして、違法性を有すると判断すべきものである。」(青春を返せ札幌第一審判決498頁)

2 勧誘目的の不当性
 前記札幌地裁判決は被告統一協会の勧誘目的について、「その勧誘の目的は、被告協会の信者となる協会員の獲得であることは明かである。問題は、その獲得した協会員の行う活動にある。協会員は、上記のような不公正な手段を駆使してでも、さらに新たな協会員の獲得のために活動することが求められる一方、万物復帰を始めとした宗教教義の名の下では抗い難い献金や出捐が間断なく、また時には、自らの資産や収入から考えると不相当というべき献金が求められるだけでなく、その修行過程のプログラムとして、それ自体が被告協会の教義とは直接の関連性があるとは認められない各種商品(印鑑、宝石、毛皮、絵画、茶、化粧品、サウナ設備、浄水器、珍味)の販売活動や自的を偽った募金活動などに従事することが組み入れられ、その積極的な活動が執拗に求められることである。そして、その販売活動に当たっては、常に客観的にみても達成が困難と考えられるような販売目標を、それも動員人数と売上金額を各人ごとに定めることになっており、その目標の到達のために、極端な例としてはキャラバン隊にみられるような肉体的精神的限界を極め、あらゆる手段を尽くすことが求められる一方、そのような労役の提供に見合うような対価の支払は一切ないに等しいばかりか、原告らの多くは、自ら購買者となって、その売上げに協力することが求められ、また、一連の活動の過程においては法規に触れることも厭わないものとされ、その目標の成就すなわち集金活動の成功こそが信仰のあかしとさえ受けとられるような体系に組み入れられている。このような経済活動が一時的偶然的なものではなく、また、特定の宗教上の必要に迫られたものあるいは宗教教義そのものの現実化とみるべき事情もなく、むしろ、これを外形的客観的に見る限り、経済的利得のために、宗教教義の名を冠して、労働法規を始めとする強行法規を潜脱しようとしていたものといわざるを得ない。とりわけ被告協会の教義その他公式に関係者が表明している言説を見る限り、伝道の対象を特定の者に限っていたものではないと思われるのに、実際には、身体の不自由な者、病者など精神的救いの伝道の契機があると考えやすい人達を逆に類型的に伝道対象者から除外する指導がされていたことは、その伝道が純粋に宗教的目的に出たものではなかったことを如実に物語っている。
 こうした経済活動について、被告協会は、被告協会の教義にいう万物復帰が意味するところとは異なるものであり、被告協会が信者に経済活動を行うことを求めることはないと主張している。この点は、前提事実に記載した被告協会の機関誌に掲載の被告協会関係者の言説と整合するのかどうか明らかではないが、被告協会が主張するとおりであるとすれぱ、むしろ、被告協会の協会員らは、原告らに対し、被告協会の教義であるとか、教義に沿うなどと偽りを言って、原告らに対し、上記のような献金を奨励し、経済活動等を行わせたものであって、それ自体が欺罔行為というべきである。
 いずれにせよ、被告協会の協会員が、協会員となった原告らに求め、あるいは求めようとしていたものは、上記のような勧誘、献金及び経済活動なのであって、これを外形的客観的に観察して直截に表現すれば、原告らの財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産という不当な目的にあったということになる。」と認定している(同判決502〜504頁)。
 被告統一協会が、対象者の財産の収奪と無償の労役の享受及び原告らと同種の被害者となるべき協会員の再生産という目的を「合法的」な装いで達成するためには、それらの行為が対象者(協会員)の自発的意思によって行われているという外形が整えられていなければならない。そのためには対象者が自己の現金や財産を統一協会に献金・献品することを正しいことであり、実践しなければならないことであると信じ、統一協会のために無償で働くことを正しいことであり実践しなければならないことであると信じ、統一協会の販売する商品を親、兄弟、友人達に買ってもらうことが正しいことであり、実践しなければならないことだと信じるようにならなければならない。
 実践トレーニングの最初に講義される公式7年路程を真理として信じて実践しなければならないと考えるようになれば、その目的は達せられる。しかし、それを最初から説明しても公式7年路程を真理であると信じさせることは全く無理である。そこで、当初は対象者に罪意識を与えたり、先祖の因縁で恐怖を与えたりして、宗教的救いを求める心情をかきたてて救世主(メシア)が文鮮明であると受け入れさせ、そのメシアが解き明かした真理であるとして、様々な前提となる思想を与えたうえで、万民の救いの道として公式7年路程を教えるのである。
 被告統一協会の勧誘目的が不当なものであることは明らかである。

3 勧誘手段の不当性
(1) 利用されている承諾誘導の諸技術等の解説

 被告統一協会の布教方法の不当性を解明するためには、その過程で用いられている社会心理学的諸技術等についての理解が不可欠であるので、まず、最初にその解説をする。
ア 希少性
 手にはいりにくくなるとその機会がより貴重なものに思えてくるという人間の心理。これを商売に利用する技術としては「数量限定」や「最終期限」といった承諾誘導の技術(働きかける側の要請を承諾するように相手方を誘導する技術)があげられる。希少性の原理が効果を上げる理由は、手にすることが難しいものはそれだけ貴重なものであることが多いので、ある品や経験を入手できる可能性がその質を判定する手っ取り早い手掛かりとなるからである。希少性の圧力に対して心を鬼にして理性で対抗するのは困難である。それが思考を困難にしてしまうような情動を引き起こす性質を持っているからである。
イ 好意
 自分が好意を持っている知人から何か頼まれると、ほとんどの場合その依頼を承諾する。人は好意を持っている人の指示に従うのである。そしてより重要なことは、人を操作して好意を持たせることができるということである。
 人は自分に似ている人を好む。この事実は、意見やパーソナリティー、経歴、ライフスタイルなど、どのような領域の類似性においてもあてはまる。したがって、私たちから好意を獲得し自分に従わせようとする人は似ていることをさまざまな方法で示すことによって、その目的を達成しようとする。
 人はお世辞を好む。私達を操作しようとする意図が明白な場合にはだまされないという多少の制限はつくが、一般的に言って、私達には他者からの称賛を信じ、それを与えてくれる人を好む傾向がある。
 協同行動によって好意が生まれる。であるから、好意を持たせるには協同行動を行えばいいのである。
 人には不快な情報をもたらす人を嫌う傾向がある。たとえ、その人が悪い知らせの原因ではないとしてもである。その知らせと結びついているというだけで、私たちの嫌悪感を刺激する。逆に、魅力的なモデルの特性、美しさと好ましさが商品に結びつくからこそ、美人モデルがコマーシャルには登場するのである。連合という。
 ランチョン・テクニックとは食事中に関わりのあった人や物をより好きになることを利用したテクニックである。
ウ 返報性
 他人がこちらに何等かの恩恵を施したら、似たような形でそのお返しをしなくてはならないというルールである。こうした恩義の感覚を伴う返報性のルールは人間社会の文化に広く浸透している。承諾誘導の技術のなかでもっとも強力な威力がある。困ったことに、頼みもしないのに勝手に親切を施されても、私たちの心の中には恩義の感情が生まれてくる。人には好意を受け取る義務がある。であるから、そのような場合私達は恩義を感ずる相手を自分で選ぶことができない。その結果、返報性のルールの力を他者の手に委ねることになるのである。
エ 社会的証明
 私達は、他人が何を正しいと考えているかによって、物事が正しいかどうかを判断するという傾向が強い。このルールが特に適用されるのは正しい行動が何であるかを私達が決める時である。特定の状況のもとである行動を遂行する人が多ければ多いほど、それが正しい行動だと見なすのである。たいていの場合、多くの人がおこなっているのであればそれは正しい行動だというのが、このルールが成立した根拠である。一般に、自分自身に確信が持てないとき、状況の意味が不明確あるいは曖昧なとき、そして不確かさが蔓延しているときに、私達は他者の行動を正しいものと期待しそれを受容するようである。社会的証明のルールは自分と似ている人の行動を見ているときにもっとも強く作用する。どう振舞うのが適切なのかを考えるとき一番参考になるのは自分に類似した他者の行動なのである。
オ 一貫性
 競馬場にいる人々について次のような事実が発見されている。馬券を買った直後では買う直前より、自分が賭けた馬の勝つ可能性を高く見積もるようになっていたのである。もちろん、その馬が勝つ可能性は現実にはまったく変わっていない。それは、自分が既にしたことと一貫していたい(そして一貫していると見てもらいたい)という、ほとんど脅迫的ともいえる欲求によるものなのである。ひとたび決定を下したりある立場を取ると、そのコミットメントと一貫した行動を取るように、個人的にも対人的にも圧力がかかる。そのような圧力によって、私達は前の決定を正当化するように行動するのである。
 強力な一貫性のルールを働かすものはコミットメントである。もし私があなたをコミットメント(すなわち、立場を明確にさせる、公言させること)させることができたとしたら、あなたを自動的にそのコミットメントと一貫性を保たせるためのお膳立てができたといってよい。立場を明確にしてしまうと、その立場と強固に一貫して行動しようとする傾向が自然に生じるのである。
 些細な要請に同意する場合にも十分注意しなければならない。それに同意することによって、類似したもっと大きな要請を承諾するようになるばかりでなく、最初に同意した小さな要請とはほとんど関連のない、さまざまな種類の大きな頼み事を受け入れやすくなってしまう。
 自分自身の行動が自分がどんな人間であるかをおしえてくれる。自分の行動が自分の信念や価値や態度についての第一の情報源なのである。中国人が捕虜に促した確認行動の一つに意見を文字にして書かせるということがあった。意見を書くということはコミットメントの方法として大きな利点がある。証拠が残ることと、他人に見せることができるということである。
 行動を含むコミットメントをしてしまうと、自己イメージには二つの面からの一貫性圧力がかかる。内からは、自己イメージを行動に合わせようとする圧力がかかる。そして外からは、もっと密かな圧力−他者が自分に対して抱いているイメージに、自己イメージを合わせようとする傾向−がかかるのである。人は書いてしまったことに見合うように行動するのである。
 コミットメントに労力が投入さればそれだけ、コミットした人の態度に与える影響が強くなる。自己イメージや将来の行動を変化させるためには、なんらかの行動を含み、人前で行われ、努力を要するコミットメントがもっとも効果的なようである。
 しかし、今あげた三つを合わせたよりもっと重要で、コミットメントを効果的にするものがある。自分の意志で行なった行為であると信じさせることである。そして、人は外部から強い圧力を受けずにある行為をすることを選択すると、その行為の責任は自分にあることを認めるようになるのである。
 心の中の変化を導くコミットメントには「自ら自分を支える脚をつくる」というもう一つの魅力がある。だから、そうした行動をとることになった元々の理由がなくなっても、新しく発見された理由だけで、正しい行動を取ったというふうに考え続けることが十分にできる。
 一度相手に決定を下させてしまえば、その決定が新しく作り出される支柱の上に立つようになるのであるから、最初に相手を誘った条件を取り除いてしまってもいいのである。
カ 権威
 権威の持つ影響力の強さについて衝撃的な実験がある。大学の中で、研究者らしい風体の人から「罰を与えることが学習と記憶にどのような影響をおよぼすかを明らかにするため」との説明を受ければ、被験者の3分の2の人達が450ボルトと表示されたレバーを引いて、回答を誤った生徒役に「致死的な」電気ショックを与える。生徒役もスタッフの1人であって、電気ショックは実際には与えられておらず、その人は苦悶の演技をするのであるが、被験者である教師役の一般公募の人達は驚くべき誠実さで、「権威」たる大学の「研究者」らしい風体の人の指示に従う。
 電気ショックを与える装置には195ボルトの所に「非常に強いショック」、225ボルトの所に「はげしいショック」、315ボルトの所に「きわめてはげしいショック」、375ボルトの所には「危険すごいショック」と表示され、435ボルトからは「×××」という表示がされているのにもかかわらず、なんと3分の2の人達が450ボルトのレバーまで引くのである。人は権威の命令にはとにかく従おうとするのである。見かけの権威も同じように人の服従を引き出すことができる。
キ 集団への順応
 ソロモン・アッシュ博士の実験が有名である。8人の集団に2枚のカードを見せる。1枚のカードには線分が1本だけ書かれており、もう1枚のカードにはそれぞれ長さの異なる3本の線分が書かれている。被験者は3本の線分のうちどれが、1本だけ書かれた線分と同じ長さなのかの判断を求められる。8人の内7人はサクラであり真実の被験者は1人である。順に答えを言うのであるが真実の被験者は7番目に答える。サクラが全員一致で故意に誤った判断を答えた場合にその影響は被験者にどのように及ぶのかという実験なのである。なお、このような全員一致の誤りの直面しない実験では、被験者は誤りの答えをほとんどしなかった。それくらい簡単で、普通間違うことなど考えられない問題である。
 アメリカの男子大学生が被験者になった実験でなんと3分の1の被験者が多数者であるサクラの誤った回答と同じ誤りか、長さにおいて同一方向の誤りをした。ことほどさように人間には集団への順応の傾向が強いのである。
ク 社会的比較の制限
 被告統一協会の布教過程においては最初のビデオ・センターから「口外禁止」が要請される。布教過程が進んでいくにつれて、対象者は他の情報に接する機会がすくなくなり、統一協会員以外の人達と接する機会が少なくなるように誘導される。そして献身した暁には統一協会員以外の人達と接することがなくなる。そのことが持っている意味は次のとおりである。人は成長していく中で、親、兄弟、教師、書物、友人、そしてマス・メディアなどからの情報を受けてビリーフを形成・変化させる。ビリーフとはある対象と他の対象、概念、あるいは属性との関係によって形成された認知内容のことを指す。たとえば「神が宇宙を支配している」、「A型の人は几帳面だ」、「政治家は腹黒い」、「霊界がある」などである。日常的な表現では「信念」だけでなく「知識」、「偏見」、「妄想」、「ステレオタイプ」、「信条」、「信仰」などがそれにあたる。つまり、人はこうしたビリーフを数多く所有し、個人的に整理し構造化して、あるシステムを形成していると考えられる。新しい情報に対してはそれまでに獲得したビリーフと一致するか、不一致なのかの吟味をおこない、受け入れるかどうかの判断がなされている。そのときの不一致情報は自分の体験や他の関連するビリーフに当てはめて解釈できるか、周囲の人の意見と比較して判断する(リアリティ依存)。また、何か重大な悩みや問題を抱えていてそれを一気に解決してくれる情報であったとしたら、人はその情報を受け入れてビリーフとする。
1 個人的リアリティ:被告統一協会の布教過程でサタンが存在するという講義は普通の人の心の中に存在する嫉妬心、猜疑心、劣等感、見栄、虚栄心、責任転嫁等の心の動きを邪心と規定し、神と同じような人格となるべく神によって造られた人間にそのような邪な心が存在するのは、人間がサタンの子孫であることを示しているという論理で展開される。これは、サタンという知覚できない存在を、自分でも嫌だと感じている心の一部の働きと関係づけることによって、個人的リアリティーを与え、納得させ、受入れさせようとしているのである。
2 社会的リアリティ:聖書、科学、キリスト、著名人などの権威性を利用し、「霊の親」などのメンバーの支持を与える。ビデオの講師や状況を学校や予備校の「熱血教師」というイメージに似せて提供して、信憑性を高める。逆に、対象者は、疑念を確認する他者を発見できない設定で見せられるため、疑念をはらすための社会的リアリティを利用できない。
ケ 催眠の技術
 被告統一協会はツーディズ、フォーディズなどで、意図的に対象者に「まどろみ」の状態を作り出す。知的な活動の中枢である大脳の働きを低下させる。そのことによって、新しい価値観に対してそれまで獲得したビリーフと一致するか一致しないのかを吟味する力を低下させているのである。
 人の脳が適切な対応をすることができる刺激の範囲は限られているといわれる。刺激が少なすぎても人間の脳は健全な働きをしない。感覚遮断の実験(無音で無刺激な部屋に被験者を隔離する)などでは被験者に幻覚などが現れる。過剰な刺激にであうと頭は急に真っ白になったような感じで働かなくなり、言われることをそのまま受け入れてしまう。被告統一協会はこの過剰刺激による催眠の技術を用いている。イエス・キリストの十字架、文鮮明に対する拷問の講義や日本の朝鮮侵略時の事を編集したビデオがそのあらわれなのである。
 被告統一協会がその構成員を支配する方法の一つとして、祈祷による自己催眠と思考停止が重要である。
 被告統一協会はその構成員が常に祈祷するように指導し教育しつづける。祈祷は被告統一協会員のパワーを極限まで高めて活動に邁進させるための方法であり、他のさまざまな事柄に興味や関心を移させないで、被告統一協会が指し示す当面の課題にのみ統一協会員を集中させるための方法である。祈祷によって神との対話の世界に陶酔するようになれば、被告統一協会の教えに疑問を持つことなど一切なくなる。祈祷による思考停止も重要である。統一原理に反する考えが頭に浮かんだら、祈祷によって、その考えを頭から追い出し、心の平静さを回復するのである。
コ 罪意識を与え持続させる
 被告統一協会にとっては組織の構成員に罪の意識を持たせることは死活的に重要なことである。この意識が薄らげばメシヤによる救済を必要としなくなる。メシヤが必要でなくなれば統一協会に所属している必要もなくなるのである。
 被告統一協会はどのようにして罪の意識を抱かせ、それを持続させるのであろうか。
 最初の方に「邪心・本心」の講義がある。誰でも持っている通常の嫉妬心等の、人生経験を積めば消失していく可能性のある心の動きに注意を向けさせ、それを他の心の動きから切り離してサタンの支配する心であると講義する。その程度の「よこしまな心」の動きであれば誰でも経験している。それがサタンの作用であるということになれば、そのような心の存在はサタンの存在の根拠になる。人間が堕落したのだということの根拠にもなる。罪の影さえもないように神に作られたはずの人間である私にも「邪心」があるのだから、たしかに私は堕落しているのだ、罪人なのだということを納得する根拠となる。
 ツーディズではイエスを不信した人類の罪について自覚させる。
 ライフトレーニングでは自分の過去や深層意識をふりかえれと指示する。人間は自分のことを善人だと思っているが、深層意識は罪を覚えていると講義する。確かに過去を振り返ってみれば、例えば、小学生の頃、同級生の女の子を殴った記憶などが思い起こされる。この方法を使えばだれにでも罪を自覚させることができるであろう。
 ライフトレーニングでは日本民族の朝鮮侵略のビデオを見せる。日本民族としての罪を自覚させるのである。このことは本当の罪である。しかし、問題は日本の若者がそのような事実を知らないことである。そのために被告統一協会における講義が不意打ちの過剰刺激となって、対象者に連帯罪を自覚させ、被告統一協会に引きこむために利用されているのである。
 新生トレーニングの過程にある心情解放展で過去の罪の清算をさせる。過去のアダム・エバ問題が中心であるが、「思い」そのものが罪だとされるので、罪のない人はいない。罪を告白した結果、今後の人生は罪のないように生きなければならなくなる。しかし、「思い」を断ち切ることは不可能だから、罪は清算後も沸いてくるのである。
 被告統一協会に不信をすることは天法にふれる最大の罪である。
 伝道や珍味売りの活動はその目標が成就するように神が働いてくれると教えられる。神は万能なのだから結果が悪いのはすべて協会員ひとりひとりが責任分担を果たさないからなのである。そうすると活動をしていくにしたがい罪の意識が増強されていく。そうそう簡単に売れたりするものではないからである。日々の活動が罪の意識の発生の源に変えられる。罪の意識は毎日の活動によって次々に発生することになり、協会員は絶対に罪の意識から逃れることはできなくなる。
サ 不安や恐怖を与える技術
 人は通常恐怖を自覚しないで生活している。ところが、被告統一協会は人に恐怖心を持たせなければならない。そうしなければ人を被告統一協会の組織にとらえ続けることが難しくなるし、被告統一協会の指示する狭い目的の範囲にその人の活動と意識を緊縛し続けることが難しいからである。そして人は不安や恐怖を解消しようと行動するものである。
 被告統一協会にとって人に恐怖を与える最大の武器は霊界や霊である。人は死んだら霊人体となって天国に行き永遠の生命を生きることになっていると教える。その霊人体は肉身を持たないので、すべてが透けて見えると教える。心の動きのすべてが他人に見えるだけではなく、思ったことがそのまま実現してしまう世界なのだと教える。殴りたいと思うと衝撃が相手に伝わるという世界なのである。そう言われると私達の日常においては心と行動がいかに相違しているかが、思い知らされる。また、そのような心の動きが霊人体にキズをつけているという。そうだとすると自分の霊人体はキズだらけなはずである。このままでは地獄に行くのだと恐怖をいだく。
 ここで注意しておかなければならないのは、霊や霊界の存在は協会員にとって、リアルなものだということである。ヴァーチャルなものをリアルに存在すると感ずることができるのは人間の特性である。迫力満点の映画を映画館で見ているとき、我々は映画の世界に没入している。その時には、ヴァーチャルな世界がリアルで、現実の世界は我々の意識の中には存在しない。しかし、映画への没入は醒めていく。映画館をでた直後に感ずる現実世界への違和感は、ほぼ間もなく消えていくのである。ところが、協会員は、霊や霊界の存在について我々が映画を見ているような感覚を体験し、その後もその感覚が醒め切らない状態、或いは何かあればすぐにその感覚がよみがえってくるような状態にあるのだと思われる。そのような状態であるから、霊や霊界の存在は恐怖である。
 なお、霊などに対する感受性は人によって異なる。そのような超自然的なものの存在を信じないと強く思っている人がいる。被告統一協会はそのような人を勧誘の対象にはしない。
 ツーディズでは吉展ちゃん事件などいろいろな事件を例にあげて先祖の因縁について語る。ライフトレーニング以降恐怖心を与えるものは霊とともにサタンとその人間社会における現実体である反対派や共産主義者になる。
 人間は堕落してサタン世界に存在していると教える。そのサタン世界から抜け出て神の世界に戻ることが当面の課題とされる。そのためには、サタンすら屈伏するような超人的で完壁な活動をしてサタンを分立していかねばならない。そうでなければ、サタンの「ざん訴権」は消えず、「ざん訴」されば地獄に落ちることになる。そうすると自分の日常の活動が恐怖に支配されるようになる。例えば、路傍伝道で一瞬人に声をかけることを躊躇したとする。躊躇すればその人は歩いて行ってしまうので、その人への伝道は出来ないことになる。その人と霊界で一緒になったとき「あの時、なぜ声をかけてくれなかったの」と言われたらどうしょうと恐怖に捕われるのである。自分の躊躇でその人の永遠の生命を救う機会を失わせたからである。このような場合、サタンの「ざん訴」によって天国に行けないことになる。このようにして日々の活動自体が恐怖の源泉に転化するのである。
 協会員は被告統一協会にいるかぎり恐怖から逃れることはできない。

(2) 組織的目的的体系的な勧誘と違法性判断の手法
 被告統一協会に入り、違法な商法を行うようになるまで、対象者は何段階にもわたって決定を求められ、決定をしていく。その結果、当初には考えることもできなかったような行動を行う人間に変えられていく。その各段階の決定をそれだけ切り離して観察すれば、人の自由意思が侵害されたとは評価できないように思われる。
 しかし、注意しなければならないのは、何段階にもわたる決定が、ひとつの目的のための一連のものであることである。勧誘する被告統一協会の目的は公式7年路程を実践する人をつくることである。その視点から各決定の問題点を検討しなければならない。そして重要なことは各段階でそれとは知らされないで統一原理が教育され、対象者の判断基準そのものが次第に変化させられていることである。重大な決定が受け入れ可能なように判断基準を変化させた上で、決定を迫るのである。それらを「全体として」検討すれば、対象者の自由意思は明らかに侵害されているのである。
 青春を返せ札幌第一審判決は、被告統一協会の上記のような布教過程の特徴と違法性判断の留意点について次のとおり指摘した。
 「被告協会の協会員による被告協会への勧誘等の方法は,個々の勧誘等の行為それ自体を個別的外形的に観察する限りは,詐欺的強迫的手法を用いていることが明らかなものを除いては,本人も承諾納得の上での任意の選択を求めるものであって,それ自体の違法性を論ずることができないようにも見えるが,その勧誘方法が信者獲得という一定の目的のもとに,あらかじめ周到に準備された組織的体系的目的的なプログラムに基づいて行われているという前記のような事情に照らせぱ,その勧誘等の手段方法の違法性を判断するに当たっては,その個々の勧誘等の手段方法の違法性だけを論ずれば足りるものではなく,その勧誘方法全体を一体のものとして観察し,その一部分を構成する行為としての位置付けの中でその部分の違法性を判断することが必要であるというべきである。」(同判決 500頁)

(3) 宗教の伝道であることを否認。歪められている決定その1
ア 宗教性の秘匿の持つ重大な意味・判例
 前記札幌地裁判決は次のとおり認定している。「非宗教的な思想のように、一般には、歴史的、経験的、科学的な合理性、論理性に基づく論証が可能であると考えられるものについては、その学習のいかなる段階においても、自らのあるいは第3者からの批判的な検討の結果に基づき、その科学的論理的な誤謬を見いだすことによって、その正当性を否定してその思想への傾倒を断ち切ることは可能であると考えられるのに対し、宗教上の教義の場合には、一般的には、超自然的事象に対する非科学的、非合理的な確信に由来する信仰に基づくものであると考えられるため、その学習段階によっては、自らはもとより第3者からの批判的検討によっても、その科学的論理的な誤謬を指摘することが極めて困難であるばかりか、被告協会のそれのように、宗教教義からの離脱を図ること自体が罪悪であるとの教義を内包している場合には、その教義そのものがそれからの離脱を阻止する心理的に強度なくびきとなって、より一層、その教義への傾倒を断ち切り難い場合が生じるものと考えられる。これを要するに、宗教教義の勧誘の場合には、個人差が大きいものと推測されるとはいえ、宗教教義とは知らずに、したがって、意識的目的的な検証の機会を持つことができないままにこれを普遍的真理として受け容れてしまった者に対し、後になって、それが特定の宗教教義であることを明らかにしてみても、すでにその教義を真理として受け容れて信仰している以上は、外部の者がその誤謬を言い立ててみても、その客観的な検証の術がない以上は、科学的論理的説得をもってしても、その宗教教義からの離脱を図ることは通常極めて困難というべきであって、こうした事態に立ち至る可能性があることにかんがみると、それは、その者の信仰の自由に対する重大な脅威と評価すべきものということができる。宗教上の信仰の選択は、単なる一時的単発的な商品の購入、サービスの享受とは異なり、その者の人生そのものに決定的かつ不可逆的な影響力を及ぼす可能性を秘めた誠に重大なものであって、そのような内心の自由に関わる重大な意思決定に不当な影響力を行使しようとする行為は、自らの生き方を主体的に追求し決定する自由を妨げるものとして、許されないといわなければならない。したがって、宗教教義の伝道に当たって、宗教教義であるかどうかを尋ねられてもこれを意図的に否定するというような積極的な欺罔行為を施した上、あたかも特定の宗教上の教義を超えた普遍的真実を流布しているという外形をまとって伝道するような行為については、被告協会の主張する上記のような事情を考慮しても、伝道の方法としては許容し難い不公正な方法であるとの批判を免れない。」(同判決 500〜502頁)
 同事件の控訴審において札幌高等裁判所は次のとおり判決した。「しかし、伝道とは、自ら価値があると信ずる宗教的教義を他者が信ずることがその人の幸福や救いにつながると考え、善なる目的の下に行われるものである(控訴人=被告統一協会の主張)のであれば、本来的には、その教義を秘匿すべき十分な必要性及び合理性はないはずである。しかも、本件における被控訴人らに対する勧誘は、先に見たとおり、上記組織的体系的目的的な勧誘の方法に基づいて行われ、単に宗教的な伝道であることを消極的に秘匿するだけではなく、宗教教義に関する伝道ではないかと等と尋ねられてもこれを否定したり巧妙に答えをはぐらかしたりし、その一方で親族らに話をしないよう言葉巧みに指導するなどして被勧誘者と外部との接触を困難にさせ、正常な判断ができない状況を作出して、教義に傾倒させ、これを断ち切り難い状態にまで強めさせようとするものであって、このような方法による勧誘を受けた者が外形的には個々の行為に承諾を与えたようなことがあったとしても、それは自由な意思決定を妨げられた結果にすぎず、そのような承諾があることによって違法性が阻却されることにはならないというべきである。また、控訴人に対する偏見が流布されていた等の事情が存在するとしても、そのことによって上記のような勧誘の仕方が正当化される余地はなく、上記主張は失当である。」(青春を返せ札幌控訴審判決 20頁)
 以下に詳細に明らかにする具体的事実は控訴審判決が「正常な判断ができない状態を作出して、教義に傾倒させ、これを断ち切り難い状態にまで強めさせようとするものであって」と指摘したことに関わっているのである。

イ 宗教であることを隠さなければコース決定等は得られない
 コース決定=ビデオ受講の決定をさせることは大変な努力と運が必要なことである。青年の場合は、壮婦と違ってこの段階では因縁などのデタラメを主要な手段としては使えないので、その困難はより大きい。したがって、被告統一協会はビデオ受講の決定をさせるために、精緻で慎重で継続的な勧誘をする。この段階で宗教団体であること、まして、統一協会であることを明らかにすることは、絶対にできないのである。

(ア) アンケート
 まず「賛美」する。
 賛美とは出会った人に対して褒める言葉を言って本人の心を開かせるということである。心を開かせた後のアンケートによって、本人のニード(問題意識、悩みなど)を引き出していく。そのことを通して勧誘すべき人なのかそうでないのか判別できる。
 直ちにビデオセンターに連れて行くことができなくてもホームに帰った後、反省会などをして、復帰(勧誘)計画をたてる。ビデオセンターに来させるために電話をいつするかと、手紙をいつ出すかなどがアベルと相談しながら決められていく。
 この段階で統一協会の伝道であることを明らかにすれば、どんな努力も無駄なことである。
(イ) 新規トーク
 ビデオセンターに足を運んだ対象者にビデオ受講の決定をさせるための「説得」が新規トーカーによって行われる。新規トークという。次のとおりの操作が行われている。
a 場の支配
 対象者をビデオセンターに連れて来たときに、座る場所、座り方も決まっている。新規トーカーと対象者が正面に向かい合わせて座り、紹介者は対象者の横につく。対象者は入り口を背にして座らせる。新規トーカーの話に対象者を集中させるためと、中座しにくくするためである。
b 情報の取得
 対象者を連れてきた霊の親はタワー長に対象者を連れて来たことを報告し、対象者にどういう内容を説明して連れて来たか、対象者が何に一番関心を持ってビデオセンターまで来たかを伝える。新規トーカーもその話を一緒に聞いてる。トーカーは担当者から個人情報を得ているので、対象者と会ったときにそれをもとに話を展開していく。新規トーカーは、対象者に対しての救いの心情を高めるため、まず祈祷室に入って祈って、それから対象者の前に行く。
c 好意の利用
 対象者に出会ったときは、まず笑顔が基本である。「会った瞬間にいかに愛するか」「120%の笑顔」「つくしきる、愛しきる」という態度で接する。好意を持たせるように努力するのである。
d 転換期(小さな不安を与える)
 対象者が考えていることや、どういうことに興味を持っているかということは聞いているのでそれに合わせて、ビデオセンターで学ぶことによって、その興味を満たすことができる、その問題を解決することができると説得する。その中で「転換期」のトークをする。対象者の将来が良くもなり悪くもなる時に来ていると言うのである。「竹は節をつけて大きくなってゆくでしょう。そういう変り目、交互点の時なんですよ。」という言い方をする。
e 希少性の利用
 人生は出会いです、今はその出会いのときですということを強調するトークをする。今ここで紹介者の○○さんと出会って、こういう素晴らしい内容を紹介されて、あなたにとって今がチャンスです。人はチャンスが訪れていても見逃してしまうことが多い。それをつかむかつかまないかはあなた自身がそこでどういう決断をするかによります。だからせっかく出会ったチャンスを無駄にしないでほしいと説得する。
f 社会的証明の利用
 その説得の際に紹介者といわれる人(霊の親)は、ビデオセンターのスタッフという立場をとらない。私もここで勉強している、ちょっと先輩という立場で、とてもいいところだからと勧める。
g コミットメントの利用
 説得によってコース決定させておきながら、受講申込書を書かせた後、新規トーカーは本人に動機の確認をする。自分が決めたんだということに本人の認識を転換させるために、本人の口から動機を言わせるのである。説得されて選んだ道ではないんだ、自分が選択した道なんだと無意識的に認識を転換させるのである。そして受講料の内金として最低3000円を必ず支払わせる。お金を払ったんだから続けようとか、代償を払ってるわけだから今後通っていこうという気持ちにさせるためである。
h 返報性の利用
 受講料について、対象者がお金を持ってないと言った場合には紹介者が貸す。対象者の口実をつぶすためと、一方的に恩義を与えるためである。初めて会った人なのに、お金を貸してくれるなんて申し訳ないと思わせる。当面、借りたお金を返すために必ずビデオセンターに来なければならなくなる。
i 口止め・相談するとすぐやめるから
 ビデオセンターで受講することを家族とか友達に話さないほうがいいと口止めをする。「言いたくなるかもしれないけれども、自分自身がもっと学んで内容を理解して、それから人に言うなりしたらいい。せっかくのチャンスを失うことになりかねないから」という感じで言う。素晴らしいところだと思った対象者が、第3者から統一協会であることを伝えられたり、批判的な意見を聞かされたりすると、それだけで受講をやめてしまうことになるからであるし、社会的比較を制限するためである。
j いつでも辞めることがでるとの思いで・・・
 おかしいと思えばいつでも辞められるし、辞めるにしても自分の納得のいく理由で自分が決めれば良いと思うので、ビデオ受講を開始する。
 これらのすべての操作も、これが統一協会の伝道であることが明らかになれば、全く無意味に帰することになる。
(ウ) 宗教の伝道であることを隠さないと皆、すぐ辞める
 100名コース決定して、ツーディズセミナーに参加するのは大体25名前後という。
a S4までのやめる理由→相談して
 コース決定からS4(再来4回目)までで約半数がやめる。その理由で一番多いのは、家族とか友達、職場の人とかに、こういうところに通うようになったんだけどと話をしたら、いや、それは怪しいからやめたほうがいいんじゃないかとか、宗教だと思うからそれはもうすぐ行かないようにしたほうがいいと言われたということである。
b S4以降の理由→自分にあわない・・
 S4からビデオセンターの終わりまでで、対象者はさらに半分に減る。その理由の中で1番大きなものは、神だとか宗教的な内容が多くて自分には合わないということである。従って、統一協会の伝道であることをこの段階でも明らかにすることはできないのである。
c 個人情報の取得と人間関係による説得
 ビデオセンターで、主任は対象者1人1人について個人管理カードAを記載する。その項目すべてが埋められるようになると、対象者のことをかなり把握したという状況になる。たとえば本人の性格、本人のニードや問題意識、本人の今までの人生史(個人路程という)、本人の人生観などが把握される。そのような状況になると、例えばその対象者がビデオセンターを辞めたいという気持ちになったとしても、主任を含めてビデオセンタースタッフは、管理カードで把握した本人の状況に合わせて、精密でポイントをついた説得を繰り広げることができ、その結果、辞めたいという対象者の気持ちを翻意させることに成功することが多くなるのである。しかし、これとしても統一協会の伝道であることが明らかにされれば、多くの場合意味を持たないことは明らかである。
d ツーディズ以降はやめる率が激減する・質的な変化である
 ツーディズに参加した人たちは、その後のコースでやめる率が激減する。その後のコースには、80パーセントから90パーセントの人が参加する。これは、ビデオセンターの時とは質的な変化である。そのような変化は一体何によってもたらされたのであろうか?ツーディズを終了した人たちには、統一原理の内容がそれなりに浸透しているのである。ツーディズからライフトレーニングへの参加は、後述するように、メシヤが今再臨していると講義しながら、その人が誰であるかは次の過程で明らかにされますという「詐欺的」な手法によってもたらされている側面があるけれども、ツーディズまでの教化によって、ここで教えられてる内容は自分にとって必要なのかもしれないとか、もっと学んでみたいとかいう気持ちも作りあげられてきている。そのような気持ちを作り出すためにも、罪とか、霊界とか、氏族のメシヤであるとか、因縁があるとか、罪人であるとか、現在が終末であるとか、人類を罪から救いだすことのできるメシヤが再臨しているとかという内容の講義が語られているのである。
e 統一協会と判っても辞めない
 統一協会であることをライフトレーニングの最後に開示されても対象者がほとんど辞めないのは、教義がより一層浸透してきて、自分は罪人でありメシヤが必要という認識になってきていること、まだ説かれている教義は、物売りではなく為に生きるということで悪いことでないこと、スタッフがとてもいい人達であり、こんな人達が嘘を言うわけがないという気持ちなどであろう。この時も、統一協会の真の姿は明らかにされていないのである。

(4) 情緒高揚・歪められている決定その2
ア 情緒高揚により操作された決定
 ライフトレーニングの受講決定をしなければメシヤも統一協会も知らされないで済む。献身するという決定によってその人の生き方が変えられる。その人の人生を変えることになった最も重要なこの2つの決定はツーディズとフォーディズという閉ざされた空間の中で後述するとおりの社会心理学的技術を用い、催眠の技術を利用して人に統一原理を注入し、感情を揺さぶって、その先どうなって行くのかということについての情報を何も知らせないまま決断させる。
 被告統一協会は決定というものが人の行動、感情、思想を変化させる特殊な力を持っていることを知っていて、それを利用している。

イ 情緒が高揚させられると?
 被告統一協会の布教過程を社会心理学の立場から分析した西田公昭静岡県立大学助教授は、次の通り分析している。
 またセミナーでは情緒高揚性の因子が得られ、感動した人や興奮した人のいたことが明らかになっている。集団雰囲気の特異性の因子項目を見ると、睡魔や疲労に抵抗しながら、周囲の人々の熱狂に煽られている様子が伺えよう。こうしたストレス状況下では、被暗示性が高まり、現実性のチェックといった判断機能が低下するのかもしれない。つまり、身体的ストレスで生理的に剥奪され、情緒的に高揚することで刺激の過負荷状態になり、思考の動機づけが低下し、熟慮しようとする傾向が低くなる。

ウ ライフトレへの参加決定
(ア) それまでの教育
 ライフトレーニングの受講決定まで対象者はビデオセンターでのビデオ受講とツーディズの講義で、概ね2回統一原理の講義を受けている。大体次のとおりである。
 理想社会としての地上天国と人間のためにそのような天国を作ろうとした親としての神の素晴らしい愛が存在し、にもかかわらず子供である人間はその自己中心的行いから堕落してしまい、私もその結果として罪人であり、神はそれにもかかわらず、人間を救うために、各時代に1人の中心人物を準備して摂理をされたが、いずれの機会も人間がその責任分担を果たさなかったために失敗しており、特に2000年前、神はひとり子であるイエスを摂理のために地上に遣わしたのに、人間はイエスを不信することによって、その摂理も失敗しているのである。
 人は肉身と霊人体とでできている。肉身生活の意義は為に生きることによって霊人体を成長させ、光り輝く霊人体が天国で永生することである。自己中心的に生きた人の霊人体は黒く傷ついており、そのような霊人体は地獄へ行く。
 そして、今は終末と思われる。終末とはメシヤが地上に現れるときなのである。肉身を持ったメシヤが地上に現れるこの時でなければどんなに個人として努力して霊人体を成長させたとしても天国へはいけない。地上天国は建設できない。
 したがって、先祖の霊はみんな天国にはいけないでいる。その霊達が私の成長と一緒になって成長し、よりよい霊界に行こうとしている。真理を知った私は氏族のメシヤであり、この道を行く責任があるのである。
 そして、今回のメシヤが最後の機会なのである。
(イ) にんじんは先に
 そこまでの教育をしておいて、ツーディズの最後に、歴史の同時性の講義で、過去の歴史が同じように繰り返されていると説明して、今この時期メシヤが地上に存在していると説明する。
 その上で、メシヤが誰であるかは、ライフトレーニングで・・・と言うのである。上記のような教育がそれなりに浸透していれば、当然、ライフトレーニングへの参加を選択するはずである。その後になにが待ち受けているのか(例えば、統一協会という宗教団体であることが開示されることなど)、知らされていないのでもあるから。
(ウ) 班長面接
 第1日目の班長面接で、権威に仮装している講師の言葉として対象者に賛美が伝えられ、その権威がライフトレーニングに参加することを願っていると伝えられる。しかし、この段階では、詰めることはしない。翌日の講義によってライフトレーニングに参加を決意する対象者がいることを考えているのである。被告統一協会は対象者がそのように決断したくなる或いはしなければならない状況を作り上げながら、対象者が自分で決断したのだと思わせたいのである。コミットメントの利用である。
(エ) メシヤ論と歴史の同時性
 2日目の講義は暗い重い話である。神がせっかく準備した摂理を人間が責任分担を果たさないで失敗させていくと言う歴史の連続である。特にメシヤ論では強い絶望感が与えられる。
 メシヤ論の講義の際に催眠の技術が使われる。イエスの処刑の場面がリアリスティックに講義される。五寸釘が打ちこまれたイエスの手のひらがイエスの重さによって裂けていく様子を語りながら、イエスの苦痛と、それを見ている父たる神の苦悩について語る。そのことによって、その悲惨さや悲しみを感ずると共に、感覚的な受容の限界を超えてしまうと、頭の働きが止まったような状態になる。まるで自分がその場にいるかのような感覚になり、現実感が失われ、物事の是非を判断する能力が著しく落ちてしまう。
 その直後に歴史の同時性でメシヤがいまこの世に存在するという希望にみち満ちた話をするのである。その落差が対象者の心をつかむ。そしてメシヤが今地上にいることは、信じられないような幸運なのである。ここでは、希少性のルールが用いられている。そのような心理操作が行われているため、ライフトレーニングへの参加を決断する人が多いのである。
(オ) 閉講式
 対象者を感激させるため、純粋にそれだけの目的の「演出」である。真理への道を紹介してくれ、親身になって尽くしてくれた霊の親がわざわざ来てくれる。感激しないわけがない。その霊の親が望んでいることが、ライフトレーニングへの参加である。それに応えないのは困難である。閉校式でもライフトレーニングへの参加を決断しなかった対象者には、ウエルカムパーティーで「説得」が続く。ここでは、後がないから承諾するまで「説得」し続ける。

エ 献身の「内的」決定
(ア) それまでの教育
 ライフトレーニングでは、愛の神や人生の目的である三大祝福、すなわち理想社会についての講義が行われた後、罪の確認がさせられる。過去を振り返らせることによって自犯罪を自覚させる。理想社会を構成するはずの理想的人間についての講義が前段にあるので、どんな小さな事でも罪に思える。連帯罪を自覚させるため、日本の朝鮮侵略に関する強烈な映像を見せる。
 その罪人が神のところに帰っていくのが、復帰の過程である。その過程は善なる条件を積み、自分の中に巣くっているサタンを分立して(心の中からも追い出して)アダムとエバが堕落した地点まで成長し、その段階でメシヤを迎えて新生(祝福=合同結婚式を受けることだが、この段階では隠されている)し、その位置からさらにメシヤと共に成長して、三大祝福を完成するということである。
 今は第3次世界大戦が思想戦として闘われている。思想戦に神の側が敗北すれば、現実の戦争としての第3次世界大戦が勃発する。
 日本は韓国にひどい仕打ちをしたのに韓国人である文鮮明は、日本人である我々を恩讐を越えて許してくれている愛の人である。奇跡的な活動をした人である。
(イ) 新生の手順
 以上のとおりの講義を前提として、新生の手順の講義が行われる。この講義の特徴は対象者に生き方の転換を突きつけていることである。メシヤが現存する今という時代に、罪人であり、真理を聞いてしまったあなたはいかに生きるのか?と問題を突きつけるのである。文鮮明は無原罪なのにもかかわらず、たった1人で私達の救いのために闘い続けてきてくれた。罪人であるあなたはどうするのか、今まで通り自己中心的に生きるのか(そうすると地獄行き)という問いかけである。そうでない道は、24時間神のために生きること、すなわち統一協会に献身することであると示される。
 この講義によって献身の決意を直ちに求めているわけではない。フォーディズで献身の決意をさせるための伏線なのである。フォーディズで突然献身を求められたと後で考えさせないためにこの段階で提起しておくことが必要なのである。
(ウ) メシヤ論
 フォーディズでは以上の講義が繰り返された上でメシヤ論が語られる。人類の不信の故にひとり子をサタンに奪われた神の悲しみ、人間の罪が強調され、神のためにたった1人で闘い抜いてきた文鮮明の人生が語られる。
 メシヤ論はツーディズでも聞いているが、フォーディズのメシヤ論の方がはるかに感銘力が強いという。ライフトレーニングの教育で罪意識が強められていることや実際に活動に参加していて、神の悲しみなどを実感しているリフレッシュのメンバーなどがいて、その影響力が及ぶためであろう。
(エ) お父さまの詩
 メシヤ論の後だけは、講師が「聖歌を歌いましょう」と呼びかける。歌う聖歌は68番「十字架に迎えり」である。このときだけ、講師も対象者といっしょに聖歌を歌う。その後、黙とうしてくださいと言って講師が祈る。この祈りは極めて熱烈なものである。
 その後、オーディションの結果選抜された朗読の上手なスタッフが「お父様の詩」を読み上げる。聖歌指導がいるときは、その後の状況にあった曲を弾く。いないときはCDがかけられる。
 「お父様の詩」は罪人である対象者に愛を伝えるメッセージである。ところで、原理の神は愛の人である。「お父さまの詩」によって、文鮮明は愛の体現者となり、神と同格のメシヤとして受け止められていく。照明が落とされた会場は号泣につつまれる。
(オ) 班長の証
 メシヤである文鮮明のメッセージだけではあまりに距離がありすぎる。その直後、希望の実体である班長が私も献身をしていると言う。「大丈夫だよ、私でもやれるだし、素晴らしい人生だよ」と伝える。あの彼が献身しているのなら私だってと思う。社会的証明の利用である。
 班長の証は、お父さまの詩と献身の決意を迫る班長面接とをつなぐものである。各班の班長が班員を集めて自分がどのような経過で献身をしたのかを語る。この内容も班長が自分で勝手に決めるわけではない。対象者が講義を聞いている間に班長を集めて、それぞれの班員の状況をよく聞いて統一原理の浸透度などを検討の上、進行が証のレベルを指示するのである。
(カ) 班長面接
 フォーディズの開始から献身の決意をさせる班長面接までの間、班長は担当する班員の状況を克明に観察する。統一原理の教えはどのぐらい浸透しているのか、性格はどうか、献身をするために家庭生活や職業生活などに問題はないのか、借金は無いのか、恋人はいるのか等々すべての状況にその観察は及ぶ。うわべの優しさとは裏腹に、獲物をねらう猟師のように対象者の心を読み、工作の方向を検討し、変化をとらえて、献身の決意へ向けて働きかけを継続しているのである。班長は観察した結果をノートに記載する。その記載をもとに、進行に各班員の状況を報告し、面接の順番、面接の際の攻め所などについて指示を受ける。
 献身の決意をすることが困難な人は面接の最後にまわす。エンドレスに説得ができるようにするためである。班長は説得をするためには、対象者が感じている困難を自分自身も感じたことがあるふりをして話をすることが多いようだ。人は類似性を持った人に好感を抱くし、自分と同じ困難を抱きながらその困難を見事に克服しているかに見える班長に希望を見いだすからである。献身の決意をすることが困難な人は、個性が強い人であったり、自分の夢や家族の絆など、捨てさることは容易ではない貴重なものを持っている人であることが多い。班長はそのような人に対して、寝させない決意で臨めという進行のハッパを受けて、それがその人の救いであると信じて、ひたすら献身を迫るのである。
(キ) 献身の多さ
 フォーディズでは参加者の半分位が献身の決意をするのだという。求められているは、当面「決意」だけであるからと言う面はあるが、それにしても極めて高率である。それまでの教育とフォーディズにおける操作の力なのである。

(5) 不安と恐怖による決定・歪められている決定その3
 壮婦の場合のビデオ受講の決定は、それが宗教団体の勧誘ではないとという虚偽に加えて、姓名判断や家系図判断という一種占いのような手法を使って、転換期や因縁による脅しをもちいて、子供や夫の幸せを願う女性の心を不安や恐怖でとらえて行われている。この手法は霊感商法に用いられていたものをそのまま転用したものである。
 姓名判断も家系図判断も全部何の根拠もない全くのデタラメであり、それをおこなう「先生」も単なる協会員にすぎないニセ者である。
 この手法は「控訴人の協会員がその勧誘に当たって用いた姓名判断や家系図鑑定等及びいわゆる因縁トークは、先に見たとおり、組織的体系的目的的な勧誘の方法の一環として、被勧誘者の心理的弱みを突き不安を煽るなどして畏怖困惑させ、宗教的救いを希求させるための手段として用いられているものであって、その真実性の裏付けはないし、それが行われる目的が正当なものであるとは言い難い」(青春を返せ札幌控訴審判決22頁)と認定するとおり、不当なものである。
 以下、その勧誘方法を具体的に説明する。
ア 新規チケット
(ア) 賛美
 新規チケットは各家庭を訪問して販売する。協会員は、戸別訪問をする対象の地域を与えられ(任地という)、偽装の身分証明になるものを与えられ、1軒1軒訪問して歩く。チャイムに応じて玄関をあけてくれた際に、最初に行うのは賛美である。どこかほめるところはないかと家の周囲、玄関の中、応対してくれた人の態度、顔などなどを敏速に正確に観察して、その人がいちばん喜ぶであろうところを見いだし、賛美する。褒められて嫌な顔をする人はいない。自分が気にかけているところ、努力してるところ、いいと思ってるところを褒められた場合には、なおさらである。協会員が賛美をする目的は「情を開かせる」ためである。相手方の警戒心をとき、心を開かせるためである。そうすることによって初めて、協会員によるトークが受け入れられていく。
(イ) 手相
 相手方が賛美に喜んで心を開いてくれたと判断できた段階で、私は鑑定の勉強しているので、ちょっと手相を見せてほしいと申し出る。相手方がそれを承諾した場合、必ず手をとって手相を見る。手をとっている間相手がその場を離れることはできないし、より警戒心が解き放たれ、長い時間話をすることができる。手相を見て、まず、仏眼紋と神秘十字線の話をする。親指の第一関節のところのしわが目の形のようになっていたらそれを仏眼紋といい、それがあったことを心から喜びながら、先祖の功労が高いとか、3回死ぬ目に遭っても守られるとか言って喜ばせる。手の真ん中あたりに、シワがつくる十字があれば、それを神秘十字線にしてしまう。そして、神秘十字線がある人は、その家系の中でとても使命を持った人だと言う。特別な人だと言うわけである。その後、生命線、運命線、感情線を見て、すごく情が深く、涙もろい方なんですねとか生命線が長いので長生きをしますねとか言って、嬉しくさせる。しかしそれだけでは終わらない。生命線にちょっとした亀裂が入っていたりという事実を指摘して、ちょうど今が転換期ですねという。そして、ちょっと心配ですから、詳しく姓名判断をさせてくださいといい、そのために家にあがらせてくださいという。この段階で、家にあがらせくれない人はそれ以上の勧誘はしない。警戒心が強くて勧誘の効率が悪いことが明らかだからである。
(ウ) 個人情報の収集・十方位
 家に上がった後、ひとしきりまた、家の中の様子などをほめる。そして、姓名判断に入る前に十方位を取っていく。取る際に、総合的な運勢を一目で分かるようにする円グラフなので取ってみましょうねなどという。対象者は姓名判断など占いの一環であると誤解しているが、被告統一協会が十方位をとる目的は、その対象者が工作対象として価値があるかないかの判別をするためである。被告統一協会が把握をしたい中心的な項目は財産の有無と信仰心の有無とその人が財産を処分する権限(決定権という)を持っているかどうかという点である。それらの点が、被告統一協会が時間をかけて工作をしても、対象者から財産を収奪することができるかどうかを、結局規定するからである。
 家系運のところでは家族構成を把握する。簡単な家系図を取る。仕事運のところではその家庭の経済的な状況を大まかに把握する。決断運のところでは、あとで献金を出してもらう際にひとりで決断できるかどうか判断するために、大きな家具を買うとかという場合にひとりで決められますか、それともご主人に相談しなければならないですか?という質問をする。決断運がなしということになった人はそれ以上誘わない。社交運のところでは性格を把握する。蓄財運のところでは資産を把握する。100万円以下の人はなるべく誘わない。健康運のところは、夫の健康のことについても、家族の健康のことについても聞いていくようにする。ニードにつながることが多いからである。信仰運のところでは目に見えない霊界とか因縁とかを信じやすいかどうかを判別する。信仰心が全くないと判別されたような人は誘わない。いずれ努力が無駄になる確率が高いからである。他の宗教団体を信じている人について誘うか誘わないかはその信仰の程度問題による。全く揺るがないという人については誘わない。愛情運はニードにつながってくることである。
 対象者は何がされているのか、どのような目的で十方位を取られているのかわからないのであるが、被告統一協会の側は対象者を勧誘すべきなのか勧誘すべきではないのか、勧誘する場合にどのようなニードが考えられるのかなどについて、詳細な個人情報を掌握してしまうことができる。対象者がこのような重要な個人情報をやすやすと被告統一協会の側に与えてしまうのは、それが被告統一協会の布教のための活動であるということが隠されていて、占いの一環であるかのように装っているからである。
(エ) 姓名判断
 ついで姓名判断を行う。姓名判断は姓名に使用されている文字の画数をさまざまな関連で足すことによって得られる和を評価判断する方法による。和を出す方法自体は桑野式という姓名判断の方法を借用している。被告統一協会が特に桑野式を正しいと認めているわけではないし、協会員が正規に桑野式の勉強しているわけではない。桑野式の本や先輩の指導によって桑野式の和を出す方法を身につける。それは、協会員の行っている姓名判断の権威づけのために利用されているにすぎない。
 問題なのは、桑野式で和を出した後、その相互の関連などを評価する基準である。その基準は被告統一協会が定めているものを用いる。桑野式の評価基準は使わないのである。被告統一協会の基準は因縁である。もちろん、その基準が合理的であることを示す根拠は全くない。被告統一協会の教義に照らしても、それと関連があるものではない。そして、使われているその基準に良い因縁は全くない。すべて悪い因縁なのである。基準が全て悪い因縁なのであるから、協会員が示す判断は結局すべて悪い因縁の判断となる。悪い因縁や転換期について話され続けていると、対象者の心の中に不安がきざしてくる。その不安を、さらなる悪い因縁のトークによって増大させる。
(オ) どうしたらいいのと言わせる
 対象者が「どうしたらいいの?」というまで、トークを継続する。これは解決策を求めるまで、内心の不安が高まったことを示す言葉である。そのような状況で、受け入れ可能な解決策を提示すれば対象者はそれに飛びつく。不安を抱いた人間はそれを解消したいと思い、そのための行動をとるものだからである。そして、「どうしたらいいの?」と言わせるのは鑑定に行くことを選択したのは対象者自身であるという認識を無意識的に対象者に抱かせるためでもある。被告統一協会が誘ったわけではないのだ、自分が行きたいと言ったのだと思わせるために、この言葉が対象者の口から出てくるまで、不安をあおり立てるトークを継続するのである。
 対象者がその言葉を発した後、協会員は実は自分も転換期のときにいい先生に鑑定をしてもらって運勢がよくなったのですと言う。嘘である。それで私も鑑定の勉強してるのだという。これも、社会的証明の原理の応用である。人は、自分で判断ができなくなったときに、周りにいる自分に似た人の判断に従ってしまうという傾向が強い。したがって、対象者は当然、私もその先生に見てもらいたいという。そこで、たまたま鑑定チケットを持っていてご紹介することができるので、先生のご都合を聞いてみましょうかといって鑑定所に電話をする。鑑定所に電話をして、空きが確認できたらそこに予約を入れる。そして、お忙しい先生なのに空いていてよかったですねという。希少性の原理の応用である。幸運なことであり、まれな機会だと思わせるのである。
(カ) コミットメント
 その上で、鑑定申込書に必要事項を記載してもらい、チケット代をもらう。これは、コミットメントの利用である。関わることによってそこから逃れられにくくする手法である。鑑定料は4000円である。低すぎる金額ではキャンセルが多くなる(高すぎてももちろん駄目である。金額が鑑定を承諾するための障害になるようなものであってはならない)。無駄にできないほどのお金を払ったのだからと思わせることができるような金額に設定してある。鑑定申込書に必要事項を記載してもらうのは、鑑定に行くことが本人の選択であると本人に思わせるようにするためでもある。本当は、協会員が玄関のチャイムを押した時から周到に周到に対象者に対して工作をして鑑定を受けることを余儀なくさせたのであるが、冷静になった本人がそのような認識を持つようになっては困るので、鑑定申込書を記載させることによってその意識を無意識的に転換させていくのである。

イ 新規カード
 鑑定申込書をホームに持ち帰った協会員は、新規カードを記載する。新規カードは、新規チケット販売の過程で協会員が掌握した対象者の個人情報を鑑定を担当する協会員に整理して伝えるためのものである。その内容はきわめて詳細なものである。鑑定を担当する協会員が対象者に対して行う因縁による脅しが説得力を持つことになる家庭内のさまざまな不幸、例えば離再婚、中絶、夫との死別・不和、子供との関係などなどの事実が記載され、被告統一協会が重視する財産の状況、信仰心があるかどうか、決定権を持っているかどうかなどの事実が記載されている。

ウ 鑑定
 この新規カードに基づいて、鑑定を担当する協会員は姓名判断を行う。姓名判断の方式は新規トークの際の姓名判断と基本的には変わらない。判断をする対象の人数が増えることや過去・現在・未来を鑑定することが違いとしてあげられる。桑名式に基づいて集計されたり関連づけられたりした線や数字が、被告統一協会の基準によって説明される。したがって、それはすべて悪因縁に帰着する。悪因縁の結果として説明されるべき事実は、新規カードによって鑑定を担当する協会員に伝えられている。鑑定を担当する協会員は、先生と呼ばれたり、よく当たると説明されたり、忙しい先生であると説明されたりして、対象者にとっては「権威」となっている。場所も、被告統一協会の設定している「鑑定所」である。そのような特別な場所で、特別な人が、鑑定を行って、初対面であるその人が知るはずもない個人的な事実を鑑定の結果として当てていくのである。対象者は、その人の言うことを信じてしまう心理状態にさせられてしまう。自分の個人情報が新規チケットの販売をした統一協会員によって鑑定を担当する協会員に伝えられているという事実を知っていれば、対象者が上記のような心理状態になることはなく、したがって、鑑定を担当する協会員が勧める真理の勉強を始めること=コース決定に至ることはあり得ない。したがって、この意思決定も被告統一協会による詐欺的な行為によってもたらされているものなのである。
 鑑定を担当する協会員は、鑑定の際に、姓名判断とともに家系図の判断を行う。家系図の判断に特別の根拠はない。子供が女だけであれば絶家の相があると言い、家系の中で男性の死亡が多かったりすると男性運が弱いといい、男の子が生まれないことや病弱であることや心配であることを先祖からの因縁のせいとして説明するだけのことである。しかしながら、兄弟姉妹など関係者を辿っていけばいくほど、様々な問題は見いだせるし、親族間では性格や問題点などが似ていることは大いにあり得ることであって、それを因縁という概念で説明されると事実の基礎があるものと考えて説得されてしまう。たとえば、祖父の女性問題が大変で祖母がとっても苦労したなどという事実があって、夫が浮気をしたりなどすると、子供にはこんな思いはさせたくない、私のところでこの因縁はたち切らなければならないという気持ちに妻はさせられてしまう。なんの根拠にも基づいていない家系図による因縁の鑑定が効果を持ってしまうのである。しかしそれとても、新規チケット販売を行った協会員から鑑定を行う協会員に、対象者の詳細な個人情報が伝えられているということがなければ、説得力を持つことはないであろう。
 姓名判断によって、対象者が気にしている子どもあるいは夫について、過去、現在、未来の判断を行う。家系図判断によってその原因を指摘する。それらによって、転換期を強調する、そのために最近何かあった悪いことなどを指摘する。これには新規カードによって入手している情報を利用し、姓名判断があたるという思いを持たせる。そして、このままではその大切な人に大きな不幸が襲う可能性があることを指摘する。それを防ぐためには家系の使命者である対象者が、今ここで真理の勉強をしなければならないと言って、ビデオの受講を迫るのである。コース決定をした場合、お金を必ず取る。それも3000円以上である。少なくないお金を必ず徴収することが、対象者に対してビデオ受講を心理的に強制するものになることを重視しているからである。お金をもらった後、口止めをする。青年の場合と同じように、相談されては辞められてしまうことが明らかだからである。対象者を情でからめとるためにも、原理の考えを浸透させるためにもできるだけ頻回にビデオセンターに通わせなければならない。だから、週3回くらいは通ったらいいですよねという。最後まで通わせ続けなければ協会員にすることはできないのであるから、最後までやってみないと本当のことは分からないしご主人のためにも頑張りましょねと動機づけをする。

エ それを支える霊の親
 コース決定の際に、対象者の決断を支えるのが、新規チケットを販売した霊の親である。霊の親はその当日待ち合わせをして鑑定所に一緒にき、鑑定の開始まで一緒にいる。コース決定をして入金が確認されたら鑑定を担当する協会員はタワー長に報告するため中座する。その時、霊の親は中に入り、私も先生を信頼して本当によくなったので頑張りましょうねと言って本人が不安にならないようにケアをする。霊の親も鑑定を担当する者も同じ協会員である。しかし、霊の親はその鑑定所で対象者よりも少し前に鑑定を受け、勉強しているものという立場をとる。同じ立場の者であると装うのである。社会的証明の原理の利用である。

オ 中級コースの鑑定
 中級コースへ移行させるための鑑定は家系図鑑定である。対象者は初級コースを受けている対象者であるから、その個人情報は鑑定所の主任が掌握している。それは管理カードにまとめられている。その個人情報が中級コースの鑑定を担当する協会員に事前に渡されている。
 中級コースの家系図鑑定の際の家系図は初級コースの場合と違って、何代にもわたった詳細なものとなっている。鑑定と言っても、その詳細な家系図の中で短命な人とか、離再婚、その他の事情を探し出して、それを先祖の因縁と結びつけて話をするということである。鑑定を担当する協会員は時々席を立って部屋を出て行く。タワー長に対象者の状況を報告し、説得の方向性などを確認するためである。鑑定を担当する協会員が中座するときには、霊の親である協会員が中に入って、対象者がこの鑑定の進行過程に疑問を持ったり不安を感じたりしないようにケアする。因縁が夫や子供にも影響するとして不安をかきたて、家系の使命者であるあなたが頑張らなければならないと責任感を強調するのは、初級コースの鑑定と同じパターンである。そして、その様な不安を解消する道として提示されるのがより深く真理を勉強するということである。

(6) 不可欠な情報の非開示・歪められている決定その4
ア 布教過程の次の段階を明らかにしない
 被告統一協会の布教過程において、被告統一協会が受講性に対して求める決断が歪められている根拠の一つは、その各決断をするに際して、受講の決断を求める布教過程の存在のみが明らかにされ、その過程の後に次の過程があるのかないのか、あるとしてどのような過程なのか、そして結局どこに導かれるのかということが全く隠されていることである。
 ビデオセンターのコース決定の際には、ビデオセンターの受講とツーディスで真理が分かると説得される。その後に布教過程が続いているとは対象者は全く予想もしていない。ライフトレーニングの受講とフォーディズの受講はセットであり、ツーディズで決断を迫られる。その時には、フォーディズの受講の際に、献身の決意が求められることは全く明らかにされていない。献身の決意をさせられると、当然に、新生トレーニングと実践トレーニングに参加することになるのだが、そのような過程があることもツーディズにおける決断の際には、何も明らかにされていない。

イ 勧誘の真の目的を隠すこと
 被告統一協会が対象者を最終的に導こうとしているのは、実践トレーニング冒頭で講義される公式7年路程を真理と信じ、そのとおりに実践する人になることである。物売りと組織の拡大が、愛の人格者として復帰していくために必要な過程であり、その課題の達成後無原罪の文鮮明による合同結婚式(無原罪の文鮮明が女性と性的に交わることによって女性の罪がぬぐわれ、その女性が男性と性的に交わることによって男性の罪がぬぐわれるという考え方の前半の部分を宗教儀式化したものである)で原罪を脱ぎ、さらに物売りと組織の拡大をしていくことが救いの道だと信じ、実践する人たちである。
 その目的は実践トレーニングに入るまで隠されている。新生トレーニングで過去の罪の清算を終わらせ、献金もさせ、恋人と別れさせ、親との連絡を断たせ、一生をかけてこの道を行くと決意させて被告統一協会に入った後でなければ、この目的は明らかにしない。すでに退路は断たれており、前に進む以外ない状態とされているのである。そして、その講義がされる時期は睡眠時間が極めて少ない新生トレーニングが1ヶ月程度継続した後で、睡眠不足の状態が慢性化していて、頭が正常に働きにくい状態になっているのである。

(7) 教育を受けることを継続させ、その後組織に縛りつける方法
 統一協会が公式7年路程を真理だと対象者に信じさせるためには、統一協会の用意している教育を順序良く、全部受講させなければならない。信じさせた後でも組織に縛りつけてなければ、その信念は失われてしまいかねない。そのことのために、統一協会は周到な努力を重ねている。
ア 受講料を取る
 被告統一協会の布教過程では全ての段階において受講料をとる。受講料の金額はバラつきがある。その関係を合理的に説明することは難しい。その受講料は被告統一協会の払っているコストに応じて算出されているものではない。高すぎると思わせないで、しかし、途中で簡単に辞めることができない程度の高い金額というところが経験的に割り出されていったものだと思われる。受講料を払わせることによりコミットメントが強まる。そのことによって受講を継続することになる。被告統一協会にとってみれば受講を継続させることが何よりも重要なことなのである。
イ 動機付け
(ア) 受講決定の段階
 上記のとおり、受講決定の段階で新規トーカーは本人に動機の確認をする。そうすることによって、誘われて受講決定したのではなく、自分の責任と判断で受講決定したのであると考えるよう無意識のうちに認識を転換させるとともに、「1回見ただけで投げ出さないで下さい。初めはおもしろくない内容かもしれないけど、最後にハッとおもしろい結末になったりしますよネ。途中であきらめないで、やるからには最後までやり通して下さいネ。」などと言って動機づけをする。
(イ) ツーディズへの動機付け
 ツーディズの参加者に対しては、主任や霊の親からツーディズが素晴らしい所という暗示が頻繁にかけられている。例えば、感動の涙でハンカチでは足りないバスタオルが必要だとか、真理がわかるとか、素晴らしいところだとか、だから全力投球をしてとか、でも他人と比較してはいけないなどと言われる。そのことによって対象者はツーディズにすごく期待して参加することになる。真理を理解しようとするから、語られる原理の内容をそのまま受け入れようとする。又、アンケートをとり、ツーディズに参加する際の希望や目的を書かせる。「こうなりたい」という事を書かせることによって姿勢を積極的にさせるとともに、自主的に参加したのだと無意識的に認識を変えてしまうのである。
(ウ) ライフトレへの動機付け
 ライフトレーニングは毎日夜遅くまでの講義が長期の場合約1ヶ月続くので、参加への障害が生まれやすい。しかし、一つ一つの講義は対象者の価値観を変化させるために意味と役割を持って組まれているため、全部を聞かせなければならない。そのために暗示をかける。暗示の内容はライフトレーニングが始まると、例えば、仕事が急に忙しくなって残業が多くなったりとか、あまりつきあいがなかった友達から誘われることが多くなったりすることがある、しかしそれにはサタンがあなたをライフトレーニングに行かせないようにしているのだから、負けないで参加するようにしなければならないと言うのである。
(エ) 転換・フォーディズへの動機付け
 ライフトレーニングの終了時、新生の手順の講義を聞いて献身の方向が提示される。それを聞いて心配になる。ところが心配した直後に書かれたフォーディズに向けたアンケートでは、フォーディズがその心配を克服するような内容であることを期待し、それを学びたいという意欲に変えられているものがある。アンケートに書くことによって、意識が転換されている、あるいはスタッフの期待に添うような決意が表明されているのである。表明された決意がその人を変える力になる。
ウ 好意
 ビデオセンターへの勧誘の際やビデオを見た後の和動の際にまず徹底的に話を聞いてくれる。受け止めてくる。愛してくれるのである。多くの人は話を聞いてもらうことに飢えている。否定しないで、遮らないで話を聞いてくれる人に出会うことによって、受け止められているという実感を持ち、相手方=主任などに対して好意を持つ。
 そして賛美する。適切なお世辞を言うのである。それがその人の永遠の命を救う道であると意義を与えられ、賛美のやり方の教育を受けたスタッフがお世辞をいう。また、主任がこのように評価していたよと霊の親がいい、霊の親はこのように言っていたよと主任が賛美を伝える。第3者から伝えられるので、賛美の有効性が増す。
 被告統一協会はビデオ受講3回目までにその人の人生史(個人路程という)を把握することにしている。その人の生い立ちを掌握してニードを把握し、その後の働きかけをより有効なものにすることや、生い立ちを話させることによって急速に親密な関係を作りあげるためである。対象者に生い立ちを話させるために同じような問題を抱えていたという主任が自らの人生を語る。こんなにしっかりした人も私と同じ悩みを抱いていたんだという思いが相手方に対する好意となり、主任の自己開示に対する返報として滅多に他人に語ることのない自分の人生・秘密を被告統一協会に語ることになる。
 ツーディズには班長との面接がある。権威に偽装している講師は直接対象者と会わない。第1日目の夜の面接で班長が対象者に対して、講師からの言葉としてその対象者に対する賛美の言葉を伝える。たとえば「貴方が本当に真剣に聞いていたので、ついつい力を込めて話してしまいました」と講師が言っていましたよと伝えるのである。この言葉に対象者は感激する。
 班長は対象者全員に対して賛美をするのであるが、対象者相互の交流が遮断されているので、対象者は相互に自分にだけ講師の賛美が行われたものと誤解させられる。
 ライフトレーニングでは好意を持たせるために夕食を提供する(有料である)。1人暮らしの若者にとっては同じくらいの年齢の人達との語らいながらの食事は、なによりも楽しいものである。歌を歌ったり、ゲームをしたり、ピクニックをしたりという協同行動が相互の間に、そして主任に対する好意を作りあげる。
 フォーディズ以降には好意を意図的に作り出すためのテクニックは使われていないようである。統一原理がその人の頭に浸透していくにつれ厳しく対応しても被告統一協会を離れる恐れはなくなるし、被告統一協会が必要とする早さで統一協会的人格を成長させるためには、ほめることよりも詰めることが大事になってくるからであある。
エ 返報性
(ア) 霊の親の役割
a 一方的に親切を与える
 ビデオセンターに通い始めた当初、霊の親は対象者に対して一方的に親切を与える。例えば来館第1日目の当日、または前日に電話を入れる。受講動機を確認し、主任が素晴らしい人だと言い、手紙を書く。第2日目にも手紙を書く。来館第4日目にはケーキを持って訪れて話しかけ、励ます。その他ノートを与えたり、手作りの聖書カバーを作って与えたりという親切をする。被告統一協会の中では「目で多く見てあげ、口で多く語ってあげ、心情で大いに心配してあげる。その人のために多くをしてあげることが人を伝道する秘訣です。」という文鮮明の言葉が、この時期の対象者を工作する協会員の行動の指針とされている。その親切に対象者は応えなければならないと返報性のルールによって心理的に強制されてしまう。応える道は、ビデオセンターに通い続けるということなのである。
b スパイする
 対象者の本心を聞き出し、それをビデオセンターの主任に伝え、工作の方向を正確にしていく資料を提供することも霊の親の重要な役割である。
(イ) 返報性のルールの変化
 返報性のルールに着目すると、対象者が恩を感じる対象が実に巧みに変化させられる。ビデオセンターやツーディズの段階では霊の親から一方的な親切が与えられ、その親切に恩義を感じて自分の行動を変化させていく。フォーディズの段階以降では文鮮明の超人的努力と恩讐を超えた愛に恩義を感じ、伝道機動隊以降では自分が作りあげた「神」に対する恩義に答えるようになる(もちろん個人差はある)。
 霊の親の親切は現存する身近な人の行為である。これは実在するものである。文鮮明の超人的行為は存在すると伝えられた人の行為である。本当に存在するかどうかは不明のことである。それが神になると、少なくとも原理の神は自分自身が作りあげた観念の世界のものである。
 段階を追って恩義を感ずる対象が操作されているのであるし、自分の作りにあげた観念の世界の神に恩義を感ずるようになると、恩義と返報の関係は自己の内部で循環するようになる。そのためもう外からなんの恩義を与えなくても、この関係は論理的には永遠に継続するようになる。
オ 絶対に悪く思えない人たち
(ア) 「天才的詐欺師」たち
 被告統一協会の勧誘活動を考える場合、それを担当する人の要素が大きいと考えられる。まず、きわめて親切で、何でも受け止めてくれ、明るくて、元気で、自信に満ちて見える。協会員たちは、カインに尽くしぬくことが愛の人格者になるための訓練であり、対象者の永遠の命を救うための行為と信じているのであるから、怪しげな様子は毛ほどもない。組織全体としてみれば、人の財産権を侵害したり、その人生を奪う意図が明確なのだが、目の前にいる担当者にはその様子が微塵も感じられない。その理由は、その担当者自身が前記のように信じさせられている「被害者」だからである。天才的詐欺師は、自分の描いている詐欺の構図が真実であると信じ込める才能を持っていると言う。だから、人は騙されるのだという。被告統一協会はその意味では、末端の信者を天才的詐欺師と同様な位置につけることに成功しているのである。
(イ) 父性的機能と母性的機能
 スタッフの役割についても時間の推移によって変化が生まれる。被告統一協会は父性的機能と母性的機能の差異を承知していてその機能をスタッフのそれぞれに分属させる。
 ビデオセンターやツーディズでは母性的機能の担い手である主任や班長はライフトレーニング以降単に母性的機能のみの担い手ではなくなる。フォーディズで献身をせまりその決断をさせるのが班長の重要な任務だが、そのためには「包み込み、愛する」ことだけでは不可能だからである。「詰めて、決断させる」役割を持たされるのである。
 班長が母性的機能を担わなくなった時点からその機能を代替する修母が配置される。伝道機動隊以降は父性的機能が全面にでてくる。母性的機能はチームマザーという役割の人の牧会という機会でのみ果たされるにすぎない。
 人間の成長のためには母性的機能と父性的機能が必要である。「厳父、慈母」という言葉がよくそのことを示している。被告統一協会は当初母性的側面を全面に出して愛を求める若者を誘い、統一原理がその人の頭に浸透するに従って父性的側面を押し出してきびしく詰めるという方法を取っている。
(ウ) 情的にがんじがらめに
 ビデオセンターで学び続ける対象者の状態を組織の意図に照らして客観的に表現すれば「スタッフの情によってがんじからめ」という状態なのである。顔前の担当者の「純粋な動機」と組織の意図による対象者の客観的な状態とはわけて考えなければならない。
(エ) 引き締める
 必要なときに必要な引き締めをすることは、その人や集団が真面目であることや、対象者本人のことを本当に考えてくれているんだという思いを対象者にもたらすことがある。受け止めてもらうことによって感ずる「母の愛」と、批判され、指摘を受けることによって感ずる「父の愛」である。両方が必要なのであり、そのバランスが大切で、そのバランスが変えられる。ビデオセンターでは「母の愛」がほとんどであるが、必ず1回だけ「もっと、真面目に頑張りなさい。」などとつめる。
カ 使命感・責任感を与える。
(ア) 復活論・氏族のメシヤ
 被告統一協会の青年の布教過程で家系図を最初にとる目的の1つは、その家系の中であなたが因縁をはらす立場にある人であると指定して責任感に訴えることである。本人が責任を果たさなければ悪い因縁が子供や孫や関係者に及んでしまうと脅されるので、何もないところに責任を感じてしまう。
 ツーディズでは霊界に行ってしまった霊人体の復活の話をし、そこで氏族のメシヤという概念を提起する。そのことによって単に、今生きている人に因縁を及ぼさないようにするだけではなく、その根元であり、且つ、地獄で苦しんでいるとされている先祖をも救う責任があるのだということになってしまう。その家系の復活の全ての責任を本人が負うことになるのである。既に死んでしまった人の救いの責任を持たされることによって、その責任を無限のものにすることが可能になるし、死後の世界で霊たちに責められることを考えるから、現世でその責任を果たさないことの恐ろしさがひびいてくるのである。
(イ) 世界大戦を防ぐのは我ら
 ライフトレーニングの講義で、第3次世界大戦とは、神の側である自由主義陣営とサタンの側である共産主義陣営が対立し、サタンの側が神の側に最後の悪の発露として起こすものだとされている。それは、既に理念闘争として発生しており、協会員の活動が成功しなければ武力戦争として発生するとされている。即ち世界戦争を防ぐのも協会員の責任だったのである。
 現在ではその様な議論は使えないので、様々な国際情勢の危機を回避するのが協会員の責任であるとされている。世界全体の事に使命感を持つように教育されているのである。
(ウ) 色々な使命感
 過去・現在・未来にわたる歴史的使命感を持っているか?家族、氏族、知人、友人の救いを使命として感じているか?先祖の代表、世界人類の代表として立っていることを感じているか?神の願いと期待を感じているか?日本エバ国家の使命を感じているか?等ということが問いかけられている。
(エ) 組織につなぎ止められる。
 であるから、組織を辞めるわけにはいかないのである。氏族のメシヤなのであるから、自分が実績がなかったり、神様に逆らうようなことがあれば、家族が怪我をしたり病気をしたり、何か不幸になると思わされている。辞めれば地獄に堕ちるだけではなくて、家族が交通事故に遭うなどということが言われている。
キ エリート意識
 自分たち以外の人たちを救いの対象とみて、自分たちだけを特別なエリートと思うようになってくる。したがって、他者との間に心理的壁を作ることになってしまうので、そのことも組織につなぎ止められる方向に働く。
ク 終末意識−切迫感を持つ
 今は終末だ、そして人類が救われる最後の機会なんだということがいつもいつも、強調されている。摂理、摂理、摂理、摂理・・・。その摂理が常に延長されるのだが、それでも協会員は常に目の前の課題を達成しなければ何か悪いことがおこるのではないかという切迫感を抱かされている。
ケ 罪意識
(ア) 自犯罪の告白と新生
 新生トレーニングで行われる心情解放展ではそれまでの教育によって形成された罪意識、或いは罪という概念に従って、自分の個人史をその視点から振り返って罪の告白をすることが求められる。全て書き出さなければならないとされている。そうでないと死んだときに、それが引っかかるのだと言う。罪の中心は男女関係で、淡い恋心さえも罪だとされる。その罪の告白文をチームマザーが全て読む。読んだ上で更に面接をして告白させられることになっている。しかしこの心情解放展の重点は、その様なことをした上で献金させるというところにある。罪の償いのためとして献金が求められる。
(イ) 清算しても湧いてくる罪の思い
 心情解放展でそれまでの罪は清算することができた。しかし、罪は心の動きの中にもあるのだから、湧いてくる罪の思いはどうすることもできない。若い男女が一つの目標を目指して共に活動するという状況では好意が生まれるのが普通である。それが罪の思いになるのであるから、生きていること自体が罪を再生産することになる。到底、組織から離れることができない。
(ウ) 壮婦の場合
 壮婦の場合は露骨である。ひどい非科学的認識が説明されている。例えば感応遺伝である。壮婦のために用いられる「生命に対する尊厳性」というビデオでは、女性の思いが子孫に85パーセント遺伝するという。例えば白人同士の結婚で黒人の子供が生まれた例があると言って、その理由は、女性が以前黒人と恋愛関係があって同棲をしていた。その男性をとても愛していたが、親に反対されて諦めて白人と結婚した。その思いが遺伝して黒人の子が生まれたというのである。奇形の子などは、結婚前の相手への思いが忘れきれずにいると生まれやすいなどと言う。感応遺伝とは霊人体に記憶されたことの結果が子供に出るなどと言う。
 どうしてこのようなことを信ずるのであろうか?霊人体に記憶されるという説明が次第に対象者には説得力を持つのだと思う。すなわち、霊人体の存在がその人たちにとってはリアルなものになっているのである。
a 罪観持たせる。自犯罪聞き出す
 壮婦の場合の自犯罪には深刻なものが多い。浮気をしたとか、親兄弟から性的な虐待を受けたとかである。そのような罪の告白をしてしまうと、救いを求める気持ちがかき立てられる。その救いはメシヤにつながることだとされて希望の道が示されると、必死になってすがるようにメシヤによる救済を願うようになってくる。
b 原罪の自覚へ
 エバが時ならぬ時に性的な関係をルーシェルとの間で持った。そしてその後、エバがアダムを誘惑して関係を持ったということが人間の原罪であるという堕落論の聖書解釈は、性的な問題は人に罪の意識を持たせるために極めて有効なものであることから、多くの人、特に女性を惑わすことになっている。結婚前に夫以外の男性と関係があったこととか、結婚してからの浮気とか、様々な性に関する「逸脱」が堕落論によって罪として浮かび上がらされるのであるが、そのような体験を持たない女性についても、心がそのように動く可能性を否定しきることはできないのであるから、それは「神の子」らしからぬことであり、「原罪」があると認識することができることになるのである。
コ 偽りの希望を与える。喜ばせる。
(ア) 堕落論・実は希望だという
 堕落論は原因を解明しているのである。原因がわかれば解決策も説明できるわけで、原因がわかることは希望であるかのように誤解させることができる。また堕落論は、自分が抱いてきた親などとの葛藤についても解決を与える。堕落人間なのだから仕方なかったのだという解決である。
(イ) メシヤがいる。罪人にとっては信じられない希望
 メシヤが今この地球上に再臨しているということは信じられないくらい幸運なことなのである。メシヤが地上にいなければ、どのような偉人であっても救われることはできない。霊人体を完成させるのは生きている間にしかできないのであるし、原罪を脱ぐことも生きている間にしかできないのである。その為には生きているメシヤが必要なのである。
 イエスの後2000年、今メシヤが地上にいるということは、今いる我々が救われる可能性があるということであり、これは罪人にとってみれば信じられないような幸運なのである。イエスの後、第2のメシヤによって摂理は終わりとされているから、最後のチャンスなのである。今回は失敗するわけにはいかないということになる。
(ウ) 落ちこぼれにも希望を
 フォーディズの2日目と3日目の朝拝には講話がある。その中で主任が、自分はいかに落ちこぼれていたか、その自分がこのように頑張っているんだから皆さんも大丈夫なんだよという話をする。文鮮明が完璧すぎて、だめだ、とても私はあんなふうにはなれない、と感じてしまう人にもしっかりとケアをするわけである。
サ 不安や恐怖
(ア) 霊界を信じさせると変わる。
 協会員は霊の存在を強く認めるようになる。霊があり、霊界があるということになればこの世における自分の在り方について、霊界を認識する前とは違った評価をするようになる。
 まず第1に霊界の働きによって、今自分が生きている現実世界が動かされている、影響されているという認識を持つ。物が売れたのも、不可能と思われることが達成されてしまったのも、霊界が協助したからだ。その霊界を動かすためには祈りが必要であるとされる。祈ることで集中力を高め、切迫感を高め、説得力を増す。その結果、成果が上がることが霊界の働きと認識されるように操作される。
 第2に肉身生活はたかだか100年、霊界は永久である。霊界こそ本当の自分の人生だということになれば、霊界での人生のために、現世の利益を捨て去ることは何でもないことになってしまう。現世的な欲望を全て捨てても、霊界の利益のために生きようとする。お金が全くなくなってしまっても、そうすることが霊界に徳を積むことだと説明されればその事のほうに価値があるように感じてしまう。そういった心理構造になる。
 第3にどんなに夫や親や周りの人たちから、おまえのやっていることは間違っていると批判を受けても、霊界に行ったらみんなわかってくれる、霊界に行ったら感謝されると思うので、その批判が響かない。協会員に霊界を信じさせるということは極めて重要な事柄なのである。
(イ) 霊界の天法
 リアルに感ずるその霊界には天法がある。被告統一協会のためのことは善、被告統一協会の利益に反することは悪である。善悪の判断のためにこの世の法や道徳は関係がない。善悪の判断基準が変えられているからこの世の法規範に反することは平気なのである。しかし、天法はそうはいかない。肉身を脱いだ後、霊界で永生するのである。その世界で幸せに生きるために、今は自己犠牲の道を歩んでいるのである。その世界の法に反することは、肉身生活の時でも絶対にできないのである。そして、天法による最大の罪は、統一協会と文鮮明を不信することである。
(ウ) み言葉を聞く前と聞いた後では違う
 み言を聞く前と聞いた後では違うと言われる。統一原理を知った後で、それに反する行動をとったり、組織から離れたりすることは、絶対に許されないということであるし、それに反した場合、自身が地獄に堕ちるばかりでなく、氏族にも災難が及ぶとされている。これもよく言われることであり、協会員の行動を緊縛する言葉となっている。
(エ) 地獄・壮婦のビデオ
 地獄のはりの山というのは、はりの山にいるようにチクチク心が痛むことをいい、血の池とは、体から血が吹き出て死にそうなくらいの思いで永遠に生きることなのではないだろうかとビデオで教える。これは恐怖である。
(オ) 因縁・家系図
 壮婦の講義では、1人に30万人の霊がつき、その8割から9割の霊が色情か殺傷の因縁があると教える。いい因縁などあるわけないことになる。
(カ) 神とサタン・敵
a 神を意識した生活の開始
 ライフトレーニングから神を意識した生活をさせる。夕食の時に主任が「今日、神を感じた人?」と質問し、答えさせる。そのことによって神を求める心を作る。神を求める心を作ることによって、求める心が少ないから感じられなかったのではないかと考えさせるようにしていく。毎日毎日、それを繰り返していくことにより、結局、全てのことを神とサタンを原因として考えるような人間になっていく。
b サタンも意識することになる。
 被告統一協会のための行動を妨害するものについてそれをサタンのせいと考えるようになる。例えば今日は風が強く、下宿を出るときに雨も降っていたので、サタンがライフトレーニングに行くのを邪魔しているのかと思った、というように感ずるようになっていく。
 サタンの現実体として、共産主義者、反対派を作り出す。その講義は聖書論あるいは宗教迫害問題と称して行われている。反対派は親を使って迫害してくると教える。親の行動を、自分を心配してくれての行動ではなくて、反対派がお金目当てに親を利用しているのだと考えるようになるのである。そのことによって親との絆を切断させていくようにするのである。
(キ) サタンのざん訴権
 サタンのざん訴権がある限り神にいけない。天国に行くためには、サタンすら屈服するような活動と生活が要求される。
シ 献金
 心情解放展では人によってはほぼ全財産を献金させるのであるから、極めて重大なコミットメントである。これだけのことをしたんだから統一原理は正しくなければならないという心理が生まれる。また、経済的に無一文になっていくのであるから、組織に縛り付けられることになる。
 私は裸で生まれてきた、だから裸でかしこへ帰ろう。神様のもとに帰ろうということを教えながら、持っているお金を捧げなければならないのですよ、そういうのが献身のひとつの道ですと、そういう話をするということを被告統一協会の幹部自身も認めている。
ス 絶対の服従
 一般の人は文鮮明を信じなくとも地獄に堕ちるとは思わないし、被告統一協会の活動に疑問を抱くことがいけないとも思わない。
 しかし、協会員は、もし文鮮明を毛先ほどでも疑うことがあれば、すぐに悪いことが起き、死んで地獄に堕ちると信じている。また、被告統一協会の打ち出す方針と活動は絶対であり、ともかく、なにもわからなくても徹底的に活動しなければ、やはり、悪いことが起きてしまうと信じている。
 そのように考える人間を作り出す教義がアベル・カインの教えである。
(ア) アベル・カインの講義
 常にアベルを求め、屈服することによりみ旨は自分も知らずに成し遂げられていくことをいつも意識の中においてアベル的人間を求めていかなければならないとライフトレーニングで教えられる。
(イ) アベルに管理された状態
 報告、連絡、相談とアベルカインの教えによって、完全に管理された状態、自分勝手な行動をしない人間になってしまう。カインがアベルに侍れなかったというのがアダムを中心とした摂理の失敗した理由なのであるから、その歴史上の失敗をもう繰り返すことは許されないのだからである。
セ 思考停止
 思考停止は、現実を吟味する人間の能力を妨げるいちばん直接の方法である。教義は完全であり、リーダーも完全なのだから、持ちあがってくる問題は何でも、個々のメンバーの落ち度とみなされる。彼はいつも自分を責め、もっと一所懸命働くことを身につける。
 そのような人間を作り出すための道具が祈祷であり、不信こそ最悪の行為という教えである。
(ア) 祈祷
 被告統一協会の中では、呼吸をするように祈りなさい、祈りは神様との会話である、常に祈っていなさいと教えられる。日常的に祈祷していると、雑念がおきにくくなる。例えば友達とどこかに遊びに行きたいとか、道を歩いていて好きな洋服を見て欲しいとか、そういう思いを起きにくくさせる働きがある。もし例え、その様な気持ちがおきても、その気持ちを押さえ込むようにお祈りをする。
 条件としての祈祷というのは、自分の気持ちを奮い立たせる、決意するための祈りが多い。
(イ) もう、不信できない
 不信が霊界の天法にひっかかる最悪の行為であり、イエスによる摂理を失敗させた原因なのであるから、もう被告統一協会や文鮮明を不信することはできないのである。だから、色々と疑問を感じることがあったとしても、思考停止して考えないようにしていく。
ソ 献身
 会社を辞めさせられ、親、恋人、友人との絆も切断させられ、無一文となって組織に取り込まれていくことが献身である、もうこの組織から離れるのは容易ではなくなる。近くにいるのは皆、同じ考えの人ばかりである。テレビも見なくなり、新聞も読まなくなる。だから自分の考えが間違いであると気づくきっかけがないのである。
 献身後は家にも自由に帰ることができない。許可が必要なのである。
タ 不平不満を待たない
 カインとしての生活は不平不満を持たない、いつも感謝、謙遜な態度で報告、連絡、相談をすることである。
 再臨復活のために、悪霊人達は地上人を打つ。それを甘受する、感謝して悔い改めなければならない。地上人は悪霊人による苦痛を甘受すれば悪霊人の罪が精算されると教えられる。だからどんな悪いことが起きても、それは悪霊人のせいか、感謝して悔い改めなかった統一協会員のせいであるから、正しい原因と結果を考えることができなくなってしまう。

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